調査研究

各種部会・研究会の活動内容や部落問題・人権問題に関する最新の調査データ、研究論文などを紹介します。

Home調査・研究部会・研究会活動宗教部会 > 学習会報告
部会・研究会活動 <宗教部会>
 
宗教部会・学習会報告
2000年9月30日
「ケガレ観念の歴史的変遷」
〜国家権力による差別の制度化をめぐって〜

(報告)沖浦和光(桃山学院大学名誉教授)

---------------------------------------------------------

 本報告はケガレ観念の歴史的変遷を考えるにあたって、国家権力がいかに差別の制度化にケガレ観念を利用してきたかということを実証的に解明することが議論の中心となった。

 まず、日本における「差別観念の歴史的変遷」をみていくことになる。差別観念は大きく、<貴・賤>観と<浄・穢>観に分けてられる。<貴・賤>観は中国律令の良賤制=儒教がその思想的基盤、その特徴として 1 血統・家柄よりも「職能による差別」(相対的差別) 2 賤民であっても同じ人間で「身分内の身分」 3 貴も賤も「可変的な身分」であるという点である。それに対し<浄・穢>観はインド・カースト制=ヒンドゥー教がその思想的基盤であり、その特徴として 1 血統・出自カーストによる差別(絶対的差別) 2 不可触民は「身分外の身分」(カースト外で人外のヒト) 3 「生得的に浄なる身分」であるアーリア系と、どうしても穢れた身分から抜け出ることのできない非アーリア系→他のカーストへの身分的移動はありえない、と貴賤観と浄穢観の整理をする必要性を指摘した。その上で、<浄・穢>観を詳しく見ていくために「ヒンドゥー教・カースト制思想と仏教」の関係が述べられた。

 このようなケガレ概念は、平安期は王朝の貴族社会、鎌倉期から武家社会へ、さらに室町期に入ると民衆社会に広がるようになる(ただし、ここでで注意しておくことして、地域社会ではかなりの地域差・階級差があったとする)。簡単にいうと、日本の差別観念の歴史的変遷として古代は貴賤観、中世は貴賤観と浄穢観、近世は浄穢観と変わってきたということである。

 古代のケガレ観念は、呪術的なアニミズム思想に基づいていた。だが、中世に入って王朝貴族や権門寺院を中心に広がったケガレ=不浄観は、ヒンドゥー教の影響を強く受けた密教を通じてこの列島に伝わり、神道や陰陽道と集合しながら、賤民差別・女性差別・障害者差別を定着させる宗教的基礎になっていった。

 ケガレ=不浄観が入ってくることによって、死・産・血や排泄物などがケガレの発現体とされると、それまでのアニミズム的思考でののハライ・キヨメの儀式だけでは、ケガレは取り除けないという考えが、次第に強くなってきて、王都(京都)における「触穢忌事」の法制化が起こる。京都では、ケガレを清めることは神聖な王域を維持するために重要な業務であった。そのために国家的装置として<ケガレ・キヨメ>が法制化されたのだが、このケガレの処理者として動員されたのが、宿非人・河原者・清目・犬神人・乞食などの中世の非人層であった。

 中世に入って、「悪」という概念が浄土系仏教の興隆につれて広がり、ツミを悪と考えるようになり、犯罪をなくすためには、処罰せねばならいとする実定法的な考えが強まり、ミソギ・ハラエだけでは犯罪の根を絶つことができなくなる。そして、そのような犯罪者の刑罰の執行にも被差別民が動員されていくことになる。このように、「ケガレの除去」と「刑罰の執行」を賤民層の「役」として課し、その見返りとして「旦那場権」を保障した。王都近国を中心にそのような慣行はしだいに広がり、近世の元禄・享保期の段階に入ると穢多・非人という身分呼称とともに幕府によって全国的に制度化されていった。

 ケガレ観念の歴史的変遷をたどりながら、その中でいかに国家権力が差別を制度化し利用してきたかという詳細を明確にした報告であった。今回は、宗教の領域からケガレ観念を見てきたが、民俗学、文化人類学におけるケガレの捉え方など、どう整理して理解したらよいのか、などの質問もあった。今回の報告では主に古代から近世までだったが、近現代ではどのようにケガレ観念が変遷していくのか、どう捉えたらいいのか今後の研究に期待したい。(川口泰司)