今年の成人教育部会準備会の活動では、成人教育の取り組みについていくつかの典型例(短期講座、多様な形態の諸活動を含む長期の学習、など)を選び、その学習過程を通じてどのような変容が生まれるのか、生まれないのかを調査するという方向が定まってきた。
そこで、実際の観察・調査に先立つ理論的な学習をすることになり、まだ日本では研究が深まっていないこの領域について、欧米の成人教育理論に関する研究成果を整理するかたちで赤尾勝己さんにご報告いただいた。ごく簡単にその概要をまとめる。
まず前提となる「成人教育」とは、日本の社会教育よりはるかに広い概念である。成人教育はその国(社会)の社会的、政治的、文化的状況と密接に関わるので、統一的な定義をすることは難しい。A.Rogersによれば「フォーマルな初期教育のシステムを離れた人々に提供される、すべての計画された目的を持った学習活動」とされ、フォーマル教育/ノンフォーマル教育のいずれをも含む。
次に、経験学習の理論としてD.A.KolbとP.Jarvisを例にとると、Kolbの場合、「学習とは、経験の変容を通して、知識が創り出される過程であ」り、「具体的な経験→観察と反省→概念化と一般化→積極的な実験」といった学習のサイクル図が提唱されたが、それではあまりに単純化されすぎているとしてJarvisは、経験に対する9タイプの反応として学習を類型化した。まず「非学習」には、社会生活の大部分を占める「仮定」、そして「無思考」「拒否」が、社会的再生産の過程といえる「非反省的学習」には、「意識前学習」「技術学習」「記憶」が、「反省的学習」には、「黙想」「反省的な技術学習」「経験学習」が含まれるが、反省的学習=刷新的・批判的であるわけではない。
知識社会学から出発しているJ.Mezirowの変容的学習の理論は、自明なものを問い直す視点から「学習=意味を創る活動」と規定し、成人教育を、学習者にとっての過去の経験の意味づけやその前提・信念に対する批判的ふりかえりを通じて、意味のパースペクティブ変容を援助するものとして位置づけた。
このような論に対し、学習者におけるパースペクティブ変容を社会文化的、政治的、歴史的文脈から切り離し、個人の意識レベルにとどまっていて、社会変容、社会改革への視点が弱いといった批判が提出されている。
成人識字教育の実践者であったP.Freireは、「教育の政治性」を自覚化し、識字を通じて生活現実を読み解き、社会変革に結びつける課題提起型教育の理論を提唱した。
これらの理論を実際の学習過程の調査・観察にどう生かすかに関わって、学習者の認識の変容における個人差、講座のなかだけでの認識の変容にとどまり、社会生活に反映されないという限界、認識の変容が行為の変容に結びつかないという限界をどう考えるべきか等の課題がある。 (熊谷 愛)