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成人教育部会・学習会報告
2001年6月29日

成人の学習の場における相互作用と変容
―ワークショップを交えた事例から

(報告)金香百合(大阪YWCA教育総合研究所)

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 前回の、ワークショップに関する理論的な整理を経て、今回は、実践のなかで参加者の変容がどのように起こるかを報告いただいた。

 まず金さんの自己紹介―子どもの頃から自分が好きかどうかにこだわっていたこと、在日であり耳が聞こえにくい自分を好きになれなかったこと、けれども周囲の大人たちの期待に応えて本名を名乗る「いい子」だったこと、しかし今は自分のことが好きであること―の後、各自A4の紙に「生まれ育った土地、名前、こだわっていること、好きなもの・こと」を書き、自他を互いに紹介しあい、初めて会う人とも、よく知っているはずの人とも、新たに知り合うワークショップを体験した。

 以下、金さんの報告を一人称でまとめてみる(紙幅の都合で質疑応答は割愛した)。

 私自身がファシリテーターを務めるワークショップで常に大切にしているのは自分を知ることを手がかりに人間理解をすることである。そのためには他者を必要とするので、ワークショップの規模に関係なく、二人一組の対話的な関係をつくることから始めることが多い。そのなかで、互いが、あるがままの自分を意識化(自己覚知)し、話す(自己開示)という相互作用を通じて、自己理解、他者理解が深まっていき、受容へといたる(ここでも参加者は、「元気度」について、二人一組で話し手と聞き手の役割を交代しながら対話するワークショップを体験した)。

 対話的なワークショップにおいて重視するのは、聞き手の受容的な姿勢・態度であり、話し手は話したくないことを無理に話す必要はない。

 二人ペアで始めたワークショップから、ペアの相手を替えたり、もっと大きなグループに組み替えていくが、グループから始めると埋没してしまう人が生まれたり、自己開示への壁が厚くなる。

 人間理解に到達できるように、自分自身とつながり、他者とつながる過程にかなりの時間を割く。それと並行して、あるいはそれに遅れて、平和、人権、ジェンダー…といった課題・テーマとつながるという段階にいたる。これらのテーマと結びついて私のつくるワークの中身は、ほとんどすべて自分自身の体験にもとづいているので、参加者に対しても課題につながってもらうよう働きかけやすい。

 最後に、超越するものにつながるという段階があるが、いつもこのことを意識しているわけではない。人間を超えるものが存在していると私自身は理解しているので、たとえば自己肯定感情を高めるワークで、中高生たちには神・仏・宇宙のエネルギーといった言葉で語ることがあり、特定の宗教を超えた「宗教性」という意味で、ワークショップの隅々に反映している。

 学びの場における学習者の相互作用と変容について、私の修士論文「思春期のセルフエスティームに対するワークショップの効果 女子中学生の参加体験型学習とその影響に関する実証的研究」(1998)をもとに、実践例を紹介する。ワークショップのなかで参加者の自己肯定感情が高まっていることを肌で感じとってきたが、それを数字のうえでも実証したいと考え、宿泊を伴う3日間のワークショップで中学2年生120人のセルフエスティームがどう変化するか、ワークショップの直前、各日終了後の計4回、心理テストを実施して測定した。その結果、ワークショップの経過とともに見事なまでにセルフエスティームが上昇した。

 さらに、毎回終了時に参加者が書くふりかえり用紙の自由記述と、その時々の気持ちを詠んだ川柳を分析すると、(1)自己肯定、(2)自己発見の喜び、(3)自分らしさ・個性の発見、(4)友との出会い・つながり、(5)ファシリテーターへの思い、(6)人間讃歌が表現されている。

 このような変容が生まれるプロセスを、「人間形成相互作用らせん理論」としてモデル化した。中学生たちの変容は「体験→ふりかえり→気づき→概念化→(再)体験」という体験学習のサイクルをなぞって同じところをぐるぐる回っているというより、それを越えてさらに大きく力強くらせんを描いていくと捉えたものである。ワークショップのなかでファシリテーターが体験し、ふりかえり、自らの気づきを引き出して再体験することを通じて、自分自身のらせんを持ち込む。ファシリテーターと参加者との間に対話的な関係が生まれると、「自分」「他者」「根元的なもの(=根元的・哲学的学習課題または神)」とつながることを通じて、参加者の抱える混沌の中かららせんが引き出されるようになる。すでに小さいらせんを持っている参加者に加え、ファシリテーターとの相互作用のなかでらせんを描くようになった参加者が増えてくると、非常に大きな混沌を抱えた参加者からもらせんが導き出されるようになる。

 学級崩壊の起こっている集団の場合は、マイナスに引っぱる力を持つ「混沌」の非常に強いエネルギーに、教師のらせんが巻き込まれてしまっていると考えられる。

 このらせんは透明なチューブのようなもので、聞くことを通じて吸収し、話すことを通じて排出する、というように呼吸をしていると考えてほしい。

 これは中学生の事例をもとにつくったモデルではある、大人の場合もほとんど変わらないと考えている。大阪府立婦人会館で実施した30回にわたる連続講座で参加者が書いた川柳にも、中学生と同様のモチーフが表現されている。

 相互作用と変容についてつけ加えると、セルフエスティームが高まっている状態とは、人の心が温められた状態であり、人の心に内在化している可能性やエネルギーが引き出されてくる。他者との距離が遠すぎると何の変化も起こらないが、距離が縮まると、相互作用のなかでそういった変化が起こりやすくなり、複数の人の間でセルフエスティームが高まると、磁石のように互いのエネルギーが引き出されてくる。また自己肯定感が強まると、自己教育力・自己決定力が増していく。

 これに対し、非常に大きい混沌を抱えている場合、大きなマイナスの力が働く反面、らせんそのものが大きくなる可能性を秘めているともいえる。しかし、あまりに大きな混沌を抱えている人の変容の可能性を信じるのは、「同じ神がつくった人間なのだ」ということを拠り所にするほかないのではないか。また、ファシリテーターの役割はその人らしいらせんを引き出す契機をつくることで、重要なのは、意図をもって関わることではなく、意志をもって関わることである。 (熊谷愛)