前回(5/31)は柴田昌美さん(大阪市・男女共同参画課)に、側面的支援の立場から大阪市の女性学級における自主的学習活動について報告いただいたが、今回は大阪教育大学の森実さんにファシリテーターや社会教育職員など「学習支援者」の役割について報告いただいた。以下、概要をまとめる。
学習支援者にあたる概念に関わってこれまでの論を整理してみると、<1>海後宗臣の「教育の三類型」によれば、教える人が学ぶ人に伝えるという「陶冶」における授業者・講師などのインストラクター、互いに切磋琢磨する「形成」における師匠・グループワーカー、教育者の意図を形にしたものに学習者が触れる「教化」における学芸員・司書・映画製作者など、
<2>マルカム・ノールズの「成人教育者」によれば、現場の最前線で指揮をする教師・グループリーダー・監督者レベル、教育プログラム全体の組み立てに関わるプログラム責任者レベル、スーパーバイザーにあたる専門家・指導者レベル、
<3>企業内研修に関する研究をしている教育技法研究会による「教育担当者」によれば、企画立案に携わるプランナー、受講者を指導するインストラクター、受講者をマネージメントする事務局、インストラクションを側面から支援する教育管理に分類されている。
これに対し日本の社会教育の主流では、インストラクターを除く全役割を含む社会教育職員、職員から団体役員まで含む社会教育指導者という括り方はあっても、「学習支援者」という概念・役割についてあまり語られてこなかったのではないか。
学校教育における教師論をもとにすると、学習支援者論は、求められる中身によって、スキルや専門的知識の集合を中心に据える技術主義、科学を超えた人間性を中心に据える人格主義、政治的立場性や社会変革思想を中心に据える政治主義の三つに分かれる。教育運動や集団づくりもこの三つの要素を抜きにはできない。
しかし、これら三つは対立するばかりで三要素を結ぶ概念がなかった。そこで、三者をつなぐ「核心」概念を提案したい。ワークショップの「展開の根底に横たわり、学習者の学びを大きく左右する可能性のあるファシリテーターの人間観・価値観・世界観・教育観、すなわち、ファシリテーターの核心」という大阪YWCAの神阪登茂子による定義をもとに、その時々で重要なスキルを取捨選択する側面を重視して「実践者の教育に関わる哲学や信念の中核となり、あらゆるスキルを統合して活用することを促進する端的な考え方」としてみた。
ファシリテーター研究についても神阪のまとめを引用すると、
<1>授業や研修を実施する場合の、具体的な方法や留意点を述べたもの、<2>ファシリテーター個人に求められる能力や資質について述べたもの、<3>ファシリテーターと学習者との関係の重要性について述べたもの、に分類されるが、<2>に関しては、表層的でマニュアル化されやすく、むしろそれを生みだしているファシリテーター自身の「人間観・価値観・偏見・世界観・教育観などを検証」すべきだとする。
ファシリテーターに求められるものとして1997年頃に森は、<1>権力関係への自覚、<2>対話(自己開示)への期待と畏れ、<3>学習者自らに根ざした方向付け、<4>ネットワーキングと人間関係編集の意欲と力、<5>想像力と創造力、に整理した。
今後の課題として、<1>常によきものとして措定される「学び」概念や、学習支援と同一視される今日的な「教育」概念の整理、<2>コーディネーターを含めた「学習支援者」概念の拡大と捉え直し、<3>「核心」概念の革新性の検討、<4>ファシリテーターにおいて、援助の対等性とキリスト教の「神」のような絶対者を背景に置くことの整合性、教育者の指導性と学習者の自発性の調整、<5>「教育者の変容」の事例研究など、学習支援者研究の方法論、<6>学習支援者の学習の場の設定などを提起したい。