前回(6/28)は森実さん(大阪教育大学)に、成人教育・学習における学習支援者の役割に関する先行研究の整理と議論の枠組みを提案いただいたが、今回は福祉の視点でまちづくりを進める茨木市総持寺地区における部落内外の交流・協働について、部落解放同盟大阪府連の大北規句雄さんに報告いただいた。以下、概要をまとめる。
旧厚生省は社会福祉基礎構造改革の総まとめとして、市町村に対し、2003年をメドに小学校区・町村単位で地域福祉計画をつくるという努力目標を設定してきた。地域福祉計画は、国のガイドライン(権利擁護・ソーシャルインクルージョンと住民参加が二つの柱)、府県の支援計画、市町村の地域福祉計画、社会福祉協議会によるアクションプランの四層構造になっており、「福祉のまちづくり」ではなく「福祉(の切り口)でまちづくり」という発想である。
国は大阪市(西成区を含む)など6か所で、大阪府は独自に部落も含めて5か所で、さらに我々運動側は府内8か所で、それぞれモデル事業を実施してきた。
福祉の構造改革における柱は、措置制度から選択利用制度への改革、それを担保する権利擁護にある。今この権利擁護を担保ならしめるための地域の役割が注目されている。 炭谷茂さんを中心にまとめられた旧厚生省の報告書「社会的援護を必要とする人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会報告書」(2000年12月)では、人の「つながり」によって支えられてきた福祉は、これからは「つながり」そのものを生み出さなければならず、「官か民か」ではなく官と民が協力して、新たな「公」を創設する必要があると述べている。
この視点を地域福祉計画策定にあわせて、我々のめざす部落解放と人権のまちづくりにどうつなげていくかが課題である。言い換えれば「人権のまちづくり」の福祉版であり、各部落の個性に応じた住民主導のまちづくりを実現できる絶好のチャンスでもある。部落にたくさんある公共施設を利用したり、差別された痛みを新しいまちづくりに生かす視点が必要である。まさに「計画をつくる過程にこそ地域福祉の実践がある」。
総持寺地区では、部落と精神病院があることを「財産」と考え、三島小学校区地域福祉推進研究会(M・KAN〈ミカン〉)を中心に地域の諸団体に呼びかけ、2001年10月〜2002年3月末にかけて4回の研究会を開いてきた。地域にある福祉の団体が同じテーブルについてもらうことが何より重要で、それで目的の半分は達したと言っても過言でない。研究会では、地図を広げて地域の福祉資源(施設と人・活動)を発見することから、地域の課題の整理と解決法を探る取り組みを進めてきた。
解決策は、「自助・共助・公助」の視点で議論され、その中からでてきた「ゴミ出しボランティア」(9時にならないと派遣されないヘルパー制度の不備を補う形で、ごみ出しの難しい人の支援をする住民活動)のサービスが新たに10月から始まろうとしている。
議論では、「なぜ福祉サービスは使いにくいのか」という問いから、申請書類などを代読する「アテンダント」や、サービス利用券=「地域マネー」の発想も出てきている。
反面、最も参加してほしい障害当事者や重度の要介護高齢者、町会(連合自治会)の参加が難しいといった限界もある。80世帯ほどの部落だが、解放会館や青少年センターは多くの住民でいつも満員になってきた。「部落がなぜ存在するのか?」を、今日的に問い続ける取り組み(部落「発」だが、部落だけでない「共助」の仕組みづくり)を、これからも自信を持って発信し続けたい。