成人教育は、社会教育と重なるところが多いが、学校教育と別のものばかりではないのである。また、社会教育法によれば、学校教育課程以外の組織的教育が社会教育であり、したがって、学校教育課程以外の教育としての公開講座など学校の行う社会教育もあることになる。「学校外」は、正確には学校教育課程以外をさすことばである。
欧米では、概して教育といえば従来学校教育のような定型的な教育を中心に考える傾向が強かったのに対し、日本では、社会教育のように、教育を幅広くとらえ、ときには、「影響」といった非意図的な作用までも含むことがあった。社会教育法が法でいう社会教育を組織的教育としたのは、計画的・意図的な作用に限定する必要があったからである。このことは、欧米では、青少年の学校外での活動が、教育というよりも社会事業として扱われる傾向があり、集団活動の援助などグループワークを中心としたユースワークとして、教育とは関連がありながらも別の流れで発展してきたことにもあらわれている。また、生涯教育という概念が登場した背景にも、欧米等で社会教育といった呼び方がないことと無関係ではない。
さらに、近年では、成人学習といった言い方もイギリスなどでよく使われているが、そこには、教育というと、よく定型的な教育が考えられるということがあり、もっと定型的でない多様な教育を示そうとすると、学習という概念を使わざるを得ないということがある。一方、日本では、教育のなかに自らが計画的・意図的に学習することも含めてとらえてきたのであり、社会教育の機関として図書館が位置づくなどにも、そのことがあらわれている。
おとなも学ぶ必要があるという考えは昔からあったが、現実にはその保障は不十分であった。しかし、社会の変化が激しく、産業構造や職業技術もすぐに変わるような現代にあって、民主主義を実現し、主体的に生きるためには、絶えず学ぶことが生存権として重視されねばならず、すべての人の成人教育の保障が重要な課題になっているのである。
2. 成人教育の歴史的性格―労働者教育、民衆教育からの出発
成人教育は、それぞれの歴史的社会的規定のもとで、成立し、発展してきたものである。この概念の成立はほぼ19世紀後半から20世紀初めと考えることができるが、その前史としては、労働者教育、民衆教育などがある。いずれにしても、公教育制度が整うまで、労働者階級など一般民衆は学校教育の機会をほとんど持たず、また公教育制度が成立しても、中等教育や高等教育を受けることはきわめて困難であった。しかし、国民国家としての統一や民衆の力の向上に対する選挙権拡大の必要などもあって、民衆の教育要求とともに、その体制内への組み込みの観点からもある程度の教育機会の提供が課題となり、労働者教育、民衆教育が展開されることになる。成人教育は、このような教育を基本としながら、特定の層をイメージしやすい概念に代わって用いられるようになり、やがて成人一般というように対象の拡大をもたらすことになる。
このような背景からもうかがわれるように、成人教育は、もともと対象の限られていた学校教育の拡大であり、公的な初等教育の成立後は、中等教育や高等教育の一般への拡張を図るものであった。それが容易に正規の学校教育にならないときは、構外教育のかたちで展開されたのである。反対に、構外教育がもととなって正規の大学ができ上がるということもある。同時に、成人教育の独自性として、生活を担う成人の学習を中心とするところから、実生活の諸問題などをとりあげての取り組みなど、学問的な体系に強く左右される学校の教科・科目とは異なった学習内容や方法も見られることになる。しかし、そこでも、学校的成人教育機関が果たす役割が大きく、学校型のコースが多く設定されているのである。イギリスやアメリカ、英連邦諸国などの大学成人教育(継続教育部)、イギリスの継続教育カレッジ、アメリカのコミュニティカレッジ、ドイツやオーストリア、北欧諸国などの民衆(国民)大学等はその例である。
日本の場合、成人教育に先立って、社会教育の概念が登場している。明治の中ごろには、この概念はかなりよく用いられるものになっている。そこには、学校制度が欧米からの輸入であり、当時の日本の社会とのギャップが目立ったことがあり、学校に合わせて社会の近代化を図ろうとする立場からも、また、それに危機感をいだく立場からも、学校以外の社会における教育が意識されたことがある。もっとも、政府の公用語としては、民衆教育に近い通俗教育が用いられたが、一般には社会教育がよく使われ、村や国家以外の社会についての意識形成が課題となる大正期には、政府も社会教育を公用語とする。同時に、このころの欧米の状況を見ることによって、成人教育としてのとらえ方もなされるようになるが、社会教育の一部とすることによって、学校の拡張を視野に入れながらも、学校教育との間に一線を引くことになる。
歴史に見ることができるように、一方では民衆の教育要求があり、他方では支配層による民衆の教化があって、これらが重なり合って成人教育を構成している。このうち、主として民衆によって担われた成人教育を自己教育としての成人教育とよぶことがある。自己教育には、学習のスタイルに着目してひとりで学ぶことをさす場合があるが、ここでは必ずしも独習を意味せず、教育の担い手に着目しているのであり、集団による自主的な教育活動をもさすのである。
日本においても、第二次世界大戦後、社会教育の本質を自己教育とし、国や地方公共団体の役割は、自己教育の奨励や環境醸成にあるとする考えが強くなった。教育基本法や社会教育法の規定に、そのことがあらわれている。成人教育の場合、成熟を前提とし、成人が主権者として位置づけられることからも、一層このことが重視される。このことは、自主的・協同的な成人教育を重視しながら、その公共性に着目して、広がりを保障するために公的な機関も関わりを持つといった、パートナーシップによる成人教育を指向するものである。
3.成人教育の内容―ー般教育、職業教育、生活教育、成人基礎教育
労働者や一般民衆は、職業に従事することからも、何らかの職業教育を受けることはあっても、幅広い教養を身につける機会を阻まれてきた。そこから、成人教育では、一般教育が重視されることになる。また、解放のために、社会的認識が重要とみなされる。この考えは、とくにイギリスで典型的に見られ、狭義の成人教育は非職業教育を意味するのである。そこには、分業のなかで職業教育が狭いものになり、人間を部品化しかねないのに対して、幅広いものの見方をはぐくむことが教育であるという考えがあり、所与の目的に合わせてなされる訓練と、価値そのものを問う教育との区分も介在している。
しかし、アメリカなどでは、実用的な立場が強いこともあって、成人教育でも職業教育が重視されてきた。移民の受け入れにあたって、そのことが必要であったことも関係している。近年は、産業構造の変化や技術革新によって、成人の職業教育の必要性が高まり、イギリスなども含め多くの国で、成人教育、継続教育などの名で、その促進が図られている。
日本では、大正期の社会教育で職業指導も大きな柱とされ、第二次世界大戦後も、アメリカの影響もあって、成人教育として職業教育が意識された時期もあったが、1948年の労働省と文部省の協定で、労働者の一般教育は文部省で、職業教育は労働省で扱うこととなり、そのことも影響して、社会教育行政における職業教育は弱いものになった。ただし、農業教育は社会教育でも重視されたし、教育基本法や社会教育法に照らしても、社会教育は職業教育を排除したものではないし、家庭や地域とともに勤労の場での教育を前提としている。また、本来、成人教育概念は、職業教育を含み得るものである。専修学校や各種学校、高等技術専門校などの教育も、成人が関わるものとしては、成人教育の一環をなすのである。成人の職業教育としては、企業内教育が中心であった日本でも、いわゆる終身雇用体制が崩れるに伴い、他の国々と同様、公的に継続的職業教育を保障する教育機関の存在が一層必要になる。
ちなみに、多くの国で、成人教育には、専門家の再教育、職場の教育、刑務所での教育、軍隊での教育なども含まれている。また、これらのなかには、市民が地域や学校で受けるのと同じ一般教育が含まれているのである。
日本では、社会教育の内容として、生活課題解決のための学習や生活改善など、生活との関連における教育が重視されてきた。社会教育法でも「実際生活に即する文化的教養」を高めることがうたわれている。また、生活上の問題が、地域で共同の問題としてあることが多いため、地域課題への取り組みが重要とされてきた。このことは、成人教育においてとくに強調されている。まちづくりと関連した学習も盛んであるが、そこには、行政によっては、あらかじめ決められた線に沿ってのまちづくり活動自体を生涯学習とすることもあり、まちづくりの計画樹立から学習していくものと必ずしも同じではない。しかし、まちづくりに人々が力をあわせ取り組むなかで、交流が進み、学習がなされることも多く、そのきっかけづくりは社会教育にとっても重要である。部落解放の観点からの地域総合計画づくりにおける学習や、近年の部落内外共同の住みよいまちづくりの実践と結合した学習が注目されるのである。
発展途上国においても、コミュニティ教育として、地域開発などとの関連での成人教育が注目されてきた。近年では、イギリスなどヨーロッパにおいても、地域を基盤として生活問題をとりあげての学習が広がっている。その背後に、従来の学校型成人教育では移民や少数民族、未熟練労働者、女性など底辺状況に置かれた人々の参加が少なかったことへの反省がある。もともと、成人教育の特性として、生活関連への着目があったのである。
歴史をたどっても、18世紀末から19世紀にかけて、聖書の普及と関係づけた識字教育が成人教育の起源をなしているのであり、その後も識字教育は、成人教育の重要な分野を構成してきた。被抑圧からの解放、民族のアイデンティティ確立、内外人平等などの動きとつながって、その重要性が増している。単に文字を獲得するだけでなく、生産技術や生活能力の向上と関連させての識字教育は、機能的識字とよばれ、ユネスコによって推進されてきた。これが状況適応的であるとする立場からは、抑圧の現状をとらえることとの結びつきでの識字を提唱し、批判的識字と称してきたが、その後ユネスコでも、機能的識字に社会を批判的にとらえることを組み込んでいる。
識字と訳されるリテラシーは、文字の獲得以上の意味を持つ。計算したり、メディアを読み解いたり、情報を処理したり、法を理解したりすることは、それぞれリテラシーを身に着けることといわれる。このように、職業生活をはじめ成人が生活をしていくうえで欠かせない基礎的な知識・スキル(技術・技能)を獲得するための教育は、成人基礎教育とよばれ、識字はそのなかに位置づくのである。コミュニケーション・スキルや職業への構えなども含め、すべての人への成人基礎教育の保障が、国や公共団体の大きな役割となっているのである。
4.成人教育の方法
欧米の成人教育では、学校教育の拡張の性格から、教授することが中心となり、一人の教員が継続的に教育に関わるのが通例である。もっとも、成人を対象とすることから、その経験を重視し、具体的な問題をとりあげての学習に重点が置かれ、教育者と学習者の関係も対等性が強調される。成人教育者の大事な姿勢として、学習者に対する尊敬があげられる。
イギリスで始まった大学拡張は、講義を中心として始まったが、労働者に適した教育を確立するための労働者教育協会(WEA)の成立は、1907年にチュートリアル・クラスを生み出すことになる。これは、労働者にも高等教育を普及することをねらいとしたもので、30人以下の少人数の学級で、講師はチューターとして個別的な指導も行い、週1回、年24週、3年をかけて学ぶものである。これによって、多様な成人への対応をはかったのである。今日では、3年かけるような典型的チュートリアル・クラスはほとんど姿を消しているが、チューターとしての継続的指導、少人数学級による討論の重視などは、成人教育の重要な方法として用いられている。ワークショップによる教育も盛んである。
日本の場合、学校教育との対比による社会教育の一環としての成人教育として、学校形態とは異なる方法をとってきた。第二次世界戦以前には、社会教育施設も乏しく、大正期以後に大学等での公開講座の開催が促されても、それは部分的な取り組みで、自主的な自由大学など本格的な継続的体系的な学習の例はあっても、全体としては団体による活動が社会教育とみなされる傾向があった。
戦後は、民主主義の普及の課題もあって、講座・学級も盛んになり、ワークショップによる学習もよく行われるようになり、公民館等の社会教育施設も広がるなかで、学習方法にも工夫が凝らされるが、やはり学校教育との違いが意識されやすい。1954年、日本青年団協議会の共同学習の提唱は、その例である。アメリカから紹介されたグループワークが、小集団での相互作用重視で、新しい活動方法として意味を持ちながらも、それだけでは現にある問題を掘り下げる学習につながらないところから、小集団によって身近な問題の解決を目指して話し合う学習方法を提起したのである。この方法は、青年学級のみならず社会教育の学級全体に広がっていく。
ただ、産業構造の変化など、政策動向とも関係して複雑な社会構造を把握するには、共同学習のみでは十分ではなくなる。経験の交流では、問題の本質に迫り得ないことが少なくない。このことから、1960年ごろから、講座等での体系的学習も見直されるようになる。公害問題の多発への対応も、このような学習を必要とする。専門家の指導を交えた少人数での共同研究による学びとしてのセミナーもしだいに盛んになってくる。信濃生産大学は、地域のサークルでの話し合い学習、郡市レベルのセミナー、そして県レベルでの理論学習を結合したものとして展開された。そこでは、当初農業問題に重点が置かれ、生産学習と政治学習の結合がはかられた。以後、労農大学、住民大学と名を変え、今日に至っている。
話し合い学習は、その後も社会教育の中心的位置を占めてきた。とくに地域での諸問題の解決のための取り組みと関連した学習は、生活懇談会方式の学習として、各地で展開されている。京都府における「ろばた懇談会」は、集落単位で地域の問題について話し合い、解決の道を探るもので、行政関係者も資料提供者として協力し、1967年から12年間行われ、一つの成人教育モデルを形成した。この方法は、部落問題学習でも、地区別懇談会として行われてきた。
学校形態の教育の盛んなイギリス等でも、1970年代に入るころから、コミュニティ教育として、具体的な生活問題をとりあげて集団で論議したり、行動しながら学ぶことが多くなってくる。ラベットなどの実践がそれであり、これには、ブラジルのフレイレの課題提起型で対話による民衆教育の影響が見られる。これまでの成人教育では、底辺状況に置かれた人たちの参加が限られていることへの反省から、地域に出かけ、そこで問題解決のための学習集団を組織するというアウトリーチの活動が注目されるようになるのである。このことは、日本の同和教育でも促されたことである。
概して、成人教育でもフォーマルな教育(学校型の定型的な教育)が中心であった国々で、ノンフォーマルな教育(意図的であるが討論や共同作業等を多くした定型的でない教育)やインフォーマルな教育(意図的な学習という面は弱いが、集団活動等を通じて教育効果のみられるもので、狭義には教育といわないことも多い活動)も注視されるようになっている。しかし、同時に、インフォーマルな教育やノンフォーマルな教育をどのようにフォーマルな教育につなぐかについても関心が深い。一方、インフォーマル、ノンフォーマルな教育に比重がかかっていた日本では、さらにこれらの発展を試みるとともに、フォーマルな教育への取り組みも充実させる必要が大きいのである。
イギリスのフォーダムたちは、ノンフォーマルな成人教育と社会変革との関係について、次のような図を示している。
5.教育者の役割
欧米の成人教育者では、教授を行う人、チューターの役割が大きい。あるコースが開かれたならば、通常一人でそのコースを担当し、受講者との密な人間関係を構成して、学習の展開に責任を持つことになる。その点、学校の教師と似通っている。したがって、そのコースの内容は、あらかじめ絞られたものになっていて、それを深めることになる。チューターは、単に専門領域の指導を行うだけでなく、学習の方法等についても指導・助言にあたる。したがって、チューターは、専門領域の知識・技術だけでなく、成人教育についての力量を高める訓練を受けていることが期待される。コースを企画し、チューターを決定するオーガナイザーも、チューター経験を持ち、成人教育機関の長になった人などがその役割を果たすのがふつうである。
日本では、社会教育主事など専門職員はオーガナイザーであって、上記のようなチューターではない。講師は、専門領域についての力量は持っていても、成人教育の訓練を受けていることはまずない。コースも短期間のものが中心で、大まかなテーマのもとで、毎回内容が異なり講師が変わるものが多く、講師と受講者の人間関係は密なものになりがたい。それだけに、社会教育職員等のコーディネート機能が重要になる。主催講座・学級を契機として自主的なグループが成立し、学習が継続されることを期して、運営への受講者の参加を進める点は、イギリス等の成人教育クラスの学習者中心の運営と通じるところがある。
近年は、欧米でもコミュニティ教育や社会文化活動などで、これまでユースワーカーなどで必要とされたグループワーカーとしての機能やアニメーター、ファシリテーターとしての機能が、成人教育者においても重視されるようになっている。コミュニティワーカーとしての機能を兼ね備えることも期待されるようになっている。
コースの設定、プログラムの形成において、住民のニーズを把握することが重要であるが、それにも、表明されたニーズに焦点を当てるものから、潜在的なニーズも把握しようとするものまである。前者は、日本では要求課題、後者を必要課題と二分する傾向があるが、どちらもニーズ(必要)であることには変わりはない。後者の把握には、教育者の考えが相当影響する。
6.成人学習理論
成人の変容をもたらす学習においては、これまで自明としてきた前提そのものに気づき、見方を広げ、変えることに力が注がれる。アメリカのメジローなどに、そのための理論構築をみることができる。ただし、個人の変容がどのような方向に向かうかを考えるとき、自己を規定している社会に目を向けることが必要になる。このような学習は、フレイレ、ラベット、ジェルピといった人々が追求してきた。
イギリスのラベットは、コミュニティ教育について次の4つの型をあげている。
- コミュニティ組織化/教育型…アウトリーチなど、学びやすくするもの
- コミュニティ開発/教育型…コミュニティの資源を開発するもの
- コミュニティ行動/教育型…コミュニティを変える行動につながるもの
- 社会行動/教育型…広い社会に目を向けた変革の行動につながるもの