ノ−ルズは、この過程について、「おそらく、われわれのだれもがこの仕事を簡単に、体系的に行えるコンピュ−タの時代がいつか到来するであろう。しかし、現在のわれわれの多くにとっては、この仕事は機械的なプロセスではなく、芸術的なプロセスなのである。」(165頁) というように、自動的にコンピュ−タ−で行なえるかのような印象を与えている。ここで、ノ−ルズは、いつでもこのプロセスは人間が行う芸術的なプロセスであると言えないのだろうか。
彼のプログラム計画理論は、ニ−ズ至上主義に基づく機能主義的な性質を有している。しかし、はたしてプログラムを計画する際に、ほんとうにニ−ズ調査を先に行う必要があるのだろうか。実際に、熟達した成人教育プログラム計画者はニ−ズ評価を先に行っているのだろうか(赤尾, 2000)。プログラム計画にあたっては、まず計画者の人間観、社会観、世界観が基盤にあるのではないかという疑問が湧いてくる(赤尾, 2001)。
近年、日本でも地方自治体において、市民が学習プログラムの計画に関わるという「市民企画講座」が現れてきた。たんに生涯学習関連施設における職員だけでなく、市民も協議のテ−ブルについて、職員と一緒にプログラムを作ろうとするものである。(赤尾, 2002)ノ−ルズは、プログラム計画におけるそうした「市民参画」の視点を出しているが、十分に展開されているとは言えない。
より質の高いプログラムのあるところはだいたい、成人教育のプログラム運営を監督する責任と権限がある特定の代表者たちが、一般委員会を構成している組織であるといえる。(82頁)
どんな組織のメンバ−でも、プログラム計画のさいに彼らの特定の利害・関心がそれなりに反映されていると思えるならば、彼らは、そのプログラムを受け入れ、支援するであろう。(87頁)
この観点をさらに発展させる必要があるのではないだろうか。ここで言われている「一般委員会」において何が協議されているかが問われてくるのである。
さらに、ノ−ルズは、成人教育の運営に関わる職員を専門職としてとらえている(p.91)。
これらのプロセスを運営している職員が、専門的な訓練を要する専門職であるということを理解する必要がある。
彼らは、特定の専門的な態度と能力とが必要とされる専門職なのである。
しかし、生涯学習関連施設において学習をした市民がエンパワ−されて、市民やNPO、NGOが講座プログラムの作成に関わっていくことが今後増えていくなかで、職員のみが専門職という位置づけでよいのか疑問が残るところである。
2.成人教育プログラム計画理論の新たな動向
アメリカでは、ノ−ルズの成人教育プログラム計画理論が主流を占めるなか、1990年代中頃に、カファレラ(R.Caffarella, 1994)とセルベロ&ウィルソン(R.Cervero & A.Wilson, 1994)から、新たなプログラム計画理論が提示された。
カファレラは、ノ−ルズのプログラム計画理論を修正して、「相互作用プログラム」(interactive program)という考え方を提起した。そこで彼女は「プログラムの計画は直線的ではなく、ステップバイステップの過程ではない」「一人の計画者でプログラムができることはめったにない」「特殊な計画の状況の諸要求に応える柔軟性が必要とされる」「プログラムは時間の経過のなかで、形を変えていく」(pp.17-19)ということを論じている。そして、プログラム計画の過程は次の11の構成要素からなるが、これらすべてを使う必要はないと言う(pp.19-22)。
- 計画過程の基礎を確立する。
- プログラムの諸理念を確認する。
- プログラムの諸理念を分類し優先順位をつける。
- プログラムの目的を開発する。
- 学習の発展を準備する。
- 評価の計画を定式化する。
- 構成、日程、人員の必要を決定する。
- 予算と市場調査計画の準備を行う。
- 教授計画を構想する。
- 施設と行事の現場を調整する。
- そのプログラムの価値を伝達する。
次に、この基礎となる6つの前提が示される(pp.22-24)。
- 教育プログラムは、参加者が実際に何を学ぶのか、どのようにしてその学習が、参加者、組織、あるいは社会的問題や規範に変化をもたらすかについて注目すべきである。
- プログラムの計画はシステマティックで、前もって計画された課題と独立した決定を含む。
- 教育プログラムの開発は、施設での優先順位、課題、人員、行事間の複雑な相互作用の成果である。
- 教育プログラムの開発は、運営的な努力というよりも協同的な営みである。
- 教育プログラムを構想することは実践的な技術である。成功につながる唯一の方法はない。
- 各人はひとつあるいは複数の計画方法を手引きとして利用し、実践を通してより効果的なプログラム計画者になるように学ぶことができる。
一方、セルベロ&ウィルソンは、「合理的な計画」(rational planning)への挑戦という観点から真向から、次のようにノ−ルズへの批判を行なっている。
例えば、計画者たちは次のように言う。ノ−ルズの1980年のプログラム計画の規定は、彼のアンドラゴジカルな前提から出ており理論において偉大に響くが、自分たちが見ている実際の状況において何をすればよいかを言っていない。(p.118)
明らかに、私たちの理論は、ノ−ルズによって提起されたような、文献を支配している包括的な合理性モデルとは異なる。包括的な合理性に基づく理論では、計画者がよく定義された問題に直面し、十分な代替案をもち、文脈についての十分な情報をもち、これらの問題を解決するための限界ある資源を満たすことが前提となる。(p.118)
(ノ−ルズによって:筆者補注)成人教育の現代的実践が規定されたその中心的なイデオロギ−構造は、教育的な問題を解決するための科学の能力への信頼である。このモデルでは、合理的な人間の行為のモデルとして科学の方法を使うことによって、実践は改善される。私たちは、この前提が成人教育における「理論から実践へ」(theory-to-practice)の関係を支配していると思う。この成人教育の理論から実践へという道具的な価値についての一連の信念は、ほとんど疑問をもたれないほどオ−ソドックスであった。(p.173)
彼らは、学習者の関心やニ−ズに基づいて学習プログラムを作る過程は、ノ−ルズが考えるほど、機械的なものではなく、むしろプログラム計画に関わる人々や地域社会の権力関係が大きな役割を果たしていることに注目すべきであると論じている。こうした彼らの議論は、今後、各地での学習プログラムの形成過程についての実証的な研究によって補強されていくことになるであろう。
3.プログラム計画におけるニ−ズ至上主義を超えて
成人教育プログラム計画における「ニ−ズ至上主義」(needology)については、成人教育の社会学の視点から、1980年代にグリフィン(C.Griffin, 1983)からの批判がなされている。それは、次のように学習者のニ−ズを充足すること自体を問う必要があるというものである。
ニ−ズ充足というイデオロギ−は、哲学的な懐疑主義に基づく目的の問題を巧妙に回避することによって、成人教育を脱政治化(de-politicize)する。そして、意思決定を直線的な技術の行使という問題にしてしまう。そこでは市場の力が論理的な行使を形成している。(p.78)
それは目的についての問題を回避し、倫理的な問題を不問に付し、一方でコミュニティの諸問題の解決に重要な役割を要求しながら、成人教育を脱政治化している。ニ−ズに関する方法論における「無批判的な経験主義」(uncritical empiricism)、専門職主義という条件下での支配的な権力構造との結びつき、政治支配という成人教育の隠れたカリキュラムの考え方をあからさまに実体化している。(p.80)
ニ−ズおよびニ−ズに応えるという考え方は、理論的に制限されており、かなりのイデオロギ−的な意味を帯びている。その結果、実質的な哲学的・道徳的・政治的問題が無視され、それらが一定の専門職主義のイデオロギ−において解決される技術的・経営的問題へと減じられていく。このことは進歩主義的な学校教育や、社会的に進歩的な機能を果たす成人教育におけるニ−ズへの批判にもなる。(pp.80-81)
また、ピア−ス(S.D.Pearce, 1995)は、ニ−ズ至上主義に陥らないようなニ−ズ評価の方法について次のようなモデルを提起している(図2)。それは、プログラム計画者にとって、学習者のニ−ズ評価よりも、「このプログラムを行う私の理由は何か?」(What is my reason for doing this program?)という問いがが中心に据えられるべきであるというものである。これは学習者のニ−ズよりも、計画する側のあり方を優先的に問うている点が新鮮である。
それは、学習プログラム計画を需要の側に一方的に委ねるのではなく、まず供給する側から考え、そのうえで学習者に対してニ−ズ評価が必要であるかどうかを問うべきだとしている。まず、プログラムの理念を考える際に、それに関わる専門家、組織、プログラム計画者、学習者、外部機関のことを考慮して、そこで第1次評価を行なう。そして、「このプ
ログラムを行う私の理由は何か」をはっきりさせ、そこで実行に移すこともできる。それでも、まだ決められない場合に、ニ−ズ評価を行なうかどうかを問うのである。
このような過程を経て学習プログラムは作られるのであるが、それが成功するかどうかは実施してみなければわからない。実際に、実施されたプログラムが、参加した学習者からの要求によって変更を受けることもありうる。プログラムもまた生き物であり、いったん作られたものがそのまま実施されるとは限らない可変的な要素をもっている。(木全力夫他, 1996)
図2 プログラム作成者の意思決定過程
(Sandra D.Pearce, Needs Assessment: constructing tacit knowledge form practice, p.421).
最後に、日本における成人教育プログラム計画理論の研究動向について概観しておきたい。日本におけるこの領域の研究は、ノ−ルズの理論的影響を大きく受けており、まず学習者のニ−ズ(要求課題)を診断してから、学習プログラムの目標を設定して、各回の講座内容と講師、教育方法を決めていくという様式が支配的である。
例えば、岡本包治(1998) は、学習者の焦点化、学習者の要求をつかむ、学習要求の原因をつかみ内容をきめる、学習内容を選定する、学習方法や指導者をきめるという5段階を設定している(pp.11-22)。もう少しくわしく学習プログラム立案の視点と手順について見てみると、岡本(1988)は次の11段階を設定している(pp.16-41)。
1.実施する事業の大ワクを決める
- 学習者を明確にする。
- 事業の目的・形態・時期・場所の大ワクを決める。
- 担当者を決め、経費を決める。
2.学習者参加の学習プログラム立案組織をつくる
- 学習者の参画を呼びかける。
- 立案組織のメンバ−を決める。
3.要求課題をつかむ
- 学習予定者を中心として発言を求める。
- 各種の調査結果をも活用する。
- 要求把握のポイント─「学びたいこと」よりも「困っていること」を─
- 要求課題の共通化を図る。
4.要求課題の整理と必要課題の発見
- 要求課題の整理─「削除」「併合」「改変」「活用」の原則
- 必要課題の発見とその編入
- 要求課題と必要課題の関連づけをする
5.学習目標をつくる
- 学習要求から学習目標を生むこと─迫力ある具体目標の必要性─
- 魅力的な学習目標に必要な要件─達成可能性、具体性、焦点性、メリット性−
6.学習内容(項目)を決める
- 少量化の原則
- 学習項目の種類を少なめに─中心テ−マ優先の原則─
7.学習の順位を決める
- 学習の発展性をねらう
- 学習の身近さと一般化をねらう
8.学習方法を決める
- 多様な方法を立体的に活用する
- 活動を伴う学習方法の導入─ふれあい活動も有効─
- 学習資料づくりも学習方法
9.学習資料・用具を決める
- 指導者にレジュメや資料を求めること
- 担当者も学習資料を用意すること
- 学習用具を決めて確保すること
10.導者を決める
- 人材情報のネットワ−クを活用する
- 地域人材の活用も図る─ボランティアにも注目する─
11.学習時期・期間・時刻・場所などを決める
- 多くの学習者の生活実態に合わせる
- 場所の固定は避けよう
これらに、岡本(1980年)は、次の4項目を付け加えている(pp.78-82) 。
12.学習課題名・事業名の工夫
13.所要経費の確定
14.評価視点・態勢の設定
15.広報内容・方法・態勢の決定
ここではかなりマニュアル的に学習プログラムの立案の手順が示されている。ここに書かれてあることが、あらゆる学習プログラム計画の状況において一般化できるかどうかは疑問であるが、4.において要求課題と必要課題の関連性づけをすることなどは、少なくともプログラム計画に携わる初心者にとっては参考になるであろう。
また、金藤ふゆ子(2001)は、国内外のプログラム計画理論を概観しながら、学習者・住民主体の学習プログラムに求められる基本的視点として次の10点を挙げている。
- 多様な準備活動の実施が、質の高い学習プログラムにつながる。
- 学習者の特性に対応する学習プログラム編成は、対象者の明確化に始まる。
- 学習者の視点から見て到達目標となる学習目標を設定する。
- 学習内容を精選し、その構造化をはかる。
- 学習者による参加型学習方法を活用し、かつ情報化に対応する。
- 計画段階からの学習者・地域住民の参画・協働の促進をはかる。
- システマティックに学習プログラム評価を行う。
- 学習プログラム編成に携わる関係者間のサポ−ト体制を確立する。
- 生涯学習のネットワ−クを活用した学習プログラム開発に取り組む。
- 学習プログラム編成に影響を及ぼす操作可能な要因に配慮する。
ここでは、先の岡本が出した手順を参考にしながら、より抽象的なレベルで学習プログラム計画について留意すべきことがしるされている。6のように学習者が参加してプログラムをつくることの必要性はその通りであるし、8や10は、カファレラのプログラム計画論の視点が織り込まれていることがわかる。
一方、渡邊洋子(2002)は、ノ−ルズやデインズらの理論を下敷きにして、大きく3つの段階から学習プログラムを作ることを提案している(pp.202-228) 。
まず第1段階では、プログラム化の前に「まずだれのための学習機会か?」というあたり前のことを問い直すことから出発する必要性を訴えている。学習場面の設定にあたっては、成人学習者が学習(の場)に抱く期待やニ−ズと成人学習の特質をもっていることを改めて認識し、それらを充分に実現できる「学習場面」を心がけることが重要である、としている。
次いで第2段階として、学習プログラムへの基本姿勢として、学習機会のイメ−ジの明確化、「学ぶ前の学習者」と「学んだ後の学習者」の想定、学習者の立場からみた学習プロセスのシミュレ−ションをすることが必要であると言う。
そして第3段階で、具体的なプログラムの作成に関わる。ここでは、対象となる学習者層の決定、学習テ−マと学習目標の設定、学習をめぐる条件整備や配慮の必要性の検討、学習の形態・方法の吟味、必要となるスタッフ、必要となる設備、用具、教材、サポ−ト体制や配慮、日時・場所・回数・経費、対象となる学習者層への広報・周知について考慮することが必要になる。
ここでは、プログラム作成前の段階で、講座に参加する対象となる成人学習者の立場について熟考することが大切であると論じているところがポイントである。
今後、これらの成人教育プログラム計画理論が、どのようにプログラム計画の実際において役に立っているのか、についての検証が必要であろう。そのためには、プログラム計画の現場への参与観察が必要であるように思われる。そこからよりよいプログラムの計画に共通した要素が抽出できればよいと思われる。