1.事例の概要
(1) 豊中市における公民分館活動
豊中市は、大阪・神戸・京都三市を結ぶ三角形のほぼ中央に位置し、人口約40万を抱える大阪府内有数のベッドタウンである。古くから学者をはじめとした知識人が多く住むなど、市民や文化団体の高い文化的要求にこたえることが公民館活動の重点課題であった(1)。豊中市の公民館は府内初の公民館として1948年に誕生し、翌年の1949年には桜井谷分館が設置されている。他市に先駆けて公民館・公民分館の充実が図られ、現在は中部ブロックの中央公民館をはじめとして、北部ブロックの蛍池、南部ブロックの庄内、東部ブロックの千里の4公民館が設置されるとともに、公民館活動を浸透させるため小学校区に1分館を目標に市内41ある小学校区に40公民分館が設置されている。また、1993年の公民館運営審議会提言「生涯学習時代を迎えた豊中の公民館のあり方について」(2)にもとづいて、1995年以降、北部ブロックの大池、中部ブロックの中豊島、南部ブロックの庄内の3コミュニティプラザ(3)が設置されている。
組織体制については、教育委員会から委嘱を受けた公民分館長が副分館長や主事(現状では教頭が6割)などの役員を構成して活動を企画・運営するとともに、地域に開かれた公正で民主的な運営を図るため分館長の諮問機関として「運営委員会」を設置している。公民分館の基本行事は、体育祭、文化祭、春・秋の講座、社会見学、広報活動、人権学習講座等で、これらの活動に対して市から交付金が支出されている。豊中における公民分館活動の特筆すべき点は、その歴史的伝統や分館数もさることながら、公民分館が活動の拠点を学校教育に支障をきたさない範囲で小学校の余裕教室に置かれていることであり、小学校や子どもたちとの関係性創出のための物理的な条件が整っていると言える(4)。
(2) 泉丘公民分館
泉丘公民分館は、「泉丘にぜひとも住民の心のよりどころとなる分館を」との呼びかけから、1975年に市内で30番目の公民分館としてスタートしている。一昨年人口が初めて1万人を突破し、今なお増加の一途をたどる新興住宅地のなかに泉丘小学校および泉丘公民分館がある。分館活動の目玉である「ワッショイ文化祭」には毎年3,000人以上の地域住民が参加し、企画・運営段階から多くの人や組織が関わっている。また、学校週五日制事業を公民分館が担う形で始まった「スポーツフェスティバル」は今年度で8回目を迎え、学校週五日制事業を地域の大人たち自身が楽しんでいる姿が印象的であった。こうした公民分館による地域に根ざした活動の蓄積のもとで、1997年に「泉丘ボランティアサークル」、2001年に「泉丘地域連絡会」(5)が誕生するなど、地域全体で教育活動を盛り上げている地域および公民分館である。
表1 泉丘公民分館 2001年度活動概要
泉丘公民分館は、1985年にそれまでの体育教官室から子どもたちが毎日利用する下足室前の余裕教室に拠点を移し、活動を展開してきた。しかしながら、就学児童の増加に伴う余裕教室の減少によって活動の拠点を失う可能性が出てきたため、泉丘地域連絡会の各組織と連携しながら市側との折衝を続けてきた。その結果、余裕教室の活用を目的とした活動拠点整備の一環として小学校の敷地内に新しく「泉丘コミュニティルーム」が建設され、2002年3月から利用が開始されている。一人の専従職員も置かない自主管理・自主運営の分館活動を引き継ぐことにより、地域の諸団体との共同利用ではあるがその利用者は毎月約1,500人にものぼっている。
(3) 泉丘ボランティアサークル(以下、「泉丘VC」)
現在、137名ほどのメンバーで構成される泉丘VCは、1995年1月の阪神淡路大震災の経験をきっかけとして、5回のボランティア講座、1年間の準備委員会を経たのち、1997年4月に誕生した。発足の経緯については、1997年9月の豊中市公民分館研究大会にて報告されている。
2年前、被災者のための旭丘団地の単身者用住宅の掃除を依頼され、近所の人達と3名で2部屋の掃除をしました。その時の様々な形でのお手伝いが公民分館から現在のボランティアサークルが誕生するきっかけとなったようです。その時も空いている時間で気軽に引き受けさせていただき、僅かな力でも必要とされている方がいて、その為にできる人ができる形で参加するボランティアの輪が地域でどんどん広がっていることは、この地域の大きな財産だと思っています。気軽に声を掛け合える地域作りに果たす公民分館の役割は大きいものがあると思います。
泉丘VCは、一部の住民の要求によって組織される通常のサークルとは異なり、地域全体の要求によって組織された公民分館主導のサークルとして誕生している。数名の公民分館役員を中心に、他サークルのメンバーをはじめ多くの地域住民がつながり始めたのがこの時期であった。
泉丘VCの活動は、主に「コーディネーター」と呼ばれる40〜50代の女性10名前後によって月一回行われる「コーディネーター会議」によって決められる。コーディネーターとそれ以外のメンバーとは日々の活動の中で関わりを持っているため、多くのメンバーの声がそこでは反映されている。平日13:00〜16:00まで毎日活動しており(6)、その内容も多岐にわたる(表2参照)。他の多くの公民分館では、前述した公民分館の活動やサークル活動のあるときに参加者が集まるという形態をとるが、ここでは泉丘VCが学校内にある公民分館を「ゆうゆうサロン」と名づけ毎日使用しているため、そこに集まる大人だけでなく、教師や子どもたちとも毎日顔を合わせている。「ボランティアサークルをやりだしてからの方が、先生や子どもたちとの関わりが多くなった」(泉丘VCメンバー談)との言葉に象徴されるように、すぐには名前が浮かばなくとも見たことある顔といった顔見知りの関係が日常生活の中で自然と構築されている。学校教育と社会教育の協働、あるいは地域における成人学習という観点に立った場合、その意義は「つながり」の生成という点に見出すことができると考えている。特に、泉丘VCの活動がもたらす「つながり」は、<子ども>と<大人>、<学校>と<地域>、<教育>と<福祉>といったこれまで対立的に捉えられてきた領域の境界を打破し、さまざまな学習および活動を可能にしているという点で重要であろう。以下では、「つながり」をキーワードとして、泉丘VCに関わるいくつかの取り組みについてふれていきたい。
表2 2001年度 泉丘ボランティアサークル活動報告
2.「つながり」にみる泉丘VCの取り組み
(1)「小学生と一緒(工作教室)」の取り組み─学校での子どもたちとのつながり
児童A:「おばちゃん、これ難しいわ!」
泉丘VCメンバーB:「頑張ってごらん。あなたならできるって。」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
児童A:「先生、ここはこれでいいの?」
泉丘VCメンバーB:「ほー、できたじゃない。うまい、うまい。」
毎週水曜日の放課後、ゆうゆうサロンで行われる「小学生と一緒(工作教室)」では、このような会話があちこちで飛び交っている。七夕飾りづくりやクリスマスリースづくりなど、取り組みを支える地域人材の多さとその発想には毎回驚かされる。参加する子どもたちも1999年度…588人、2000年度…486人、2001年度…785人(春・夏休みは除く)と定着してきている。
現在、泉丘VCが公民分館活動のなかで子どもへの視点の重要性を体現しているとはいえ、発足当初から子どもたちと関わりがあったわけではない。その契機となったのは、サークル発足2年後の1999年に始まった「保育活動」である。この活動は、授業参観やPTA総会などに就学前の子どもを連れて参加する保護者たちの大変そうな姿を見た泉丘VCメンバーが、「そのような取り組みのときには子どもたちを一時的に預かってあげよう」と始められた。1999年度…15回(延べ保育児数277人・延べ応援者数111人)、2000年度…10回(214人・83人)、2001年度…10回(171人・91人)と多少の増減はあるものの、泉丘VCメンバーと就学前の子どもたちやその親たちとの接点がこの活動を通じて生まれてきた。学校との連携のなかで取り組みが進められ、公民分館利用者と学校関係者が互いに顔見知りになり始めたという点で、この取り組みの意義は大きい。
その後、この活動をきっかけに、フォーマルなつながりとして学校授業への直接的な参加・協力が始まる。1999年度…6年生「ボランティア公開授業」、2000年度…3年生「手話でコミュニケーション」・4年生「竹細工授業」・6年生「色々な人と出会おう」・第17中学校1年生「ボランティア体験授業」・大池小学校5年生「命の大切さとボランティアサークル」、2001年度…南桜塚小学校5年生「ボランティアサークルのこと教えて」、第17中学校1年生「ボランティア体験授業」などである。ここで重要なのは、授業への関わりが単発でなく継続的な取り組みとして行われていること、そしてこの関わりが泉丘小学校区から第17中学校区全体、さらには市内他校区へと広がりを見せていることである。保育活動が開始されたのとほぼ同時期に「小学生と一緒(工作教室)」も始められた。取り組みの場では、はじめは「おばちゃん、これ難しいわ!」と言ってさじを投げていた子どもたちも、泉丘VCメンバーが手本を見せながら丁寧に教えていくといつしか「先生、ここはこれでいいの?」と言っている。作業が途中で終わってしまった子どものなかには、材料や道具を借りて家で作業して次の日に持ってくる子がいたり、小学校卒業後は教える側としてこの教室に顔を出す中学生もいる。大人たちも子どもとの共同作業の中で、「あの子はいい加減そうだけど、作業はきっちりやってるよ」と子どもへの認識を改め、より高度な技を教えるための準備に余念がない。こうした取り組みや関わりは、ややもすると単なる楽しい活動として捉えられがちだが、共同作業のなかで物(相手)の意味が獲得されたり、更新されることは立派な学習であり、その場は子どもにとっても大人にとっても学びの場そのものであると言えるだろう。
また、2002年夏に新たな活動グループとして結成されたおはなし会「とらいあんぐる」発足の経緯は、活動への誘導要因を考えるうえで示唆に富む。「とらいあんぐる」の活動は、月に一度「小学生と一緒」の枠を受け持つ形で始められた。子どもを中心に集まった保護者10数名の集まりであるが、このメンバーは以前から「読み聞かせの取り組みがしたい」と話していたものの、その機会を得られず具体的な行動に移せずにいた。泉丘VCのメンバーではなかったが、あるとき思い切って泉丘VCのMさんにこのことを相談してみたところ、学校と強いつながりのあるMさんが校長および学校図書館司書に説明してまわり、泉丘VCの活動の位置づけで取り組みが開始されたのである。Mさんとのつながり、Mさんの持つつながり、そして学校という場が大人の自己実現に寄与しているという点は重要である。
(2)『泉丘バリアフリーマップ』づくり─地域での子どもたちとのつながり
「車椅子で行けるお医者さんはありませんか?」というサークルメンバーからの問い合わせに困ってしまったという経験から、『泉丘バリアフリーマップ(以下、『マップ』)』づくりが始まった。4,300世帯全戸配布、制作の過程では中学生も関わるなど、地域住民のニーズに応える素晴らしい冊子となっているが、その裏には大変な苦労があった。
2000年夏、泉丘VCのメンバー10名ほどで「マップ委員会」を立ち上げ、調査に入る前の下準備を始めたが、その過程でいくつかの問題点が浮上した。その1つに、校区よりも小さい範囲の正確で最新の地図を入手することが思いのほか困難だったことがある。インターネットなどITが普及した現代であるが、そこから得られる地図情報にはバリアフリーというテーマには不必要な情報も多く、『マップ』に用いるには実用的ではなかった。最終的には市役所の防災課に依頼して、1:3000の防災地図を切り抜いて使わせてもらうことになったが、幸運にも地図上に避難場所を掲載できるという思わぬメリットがあった。
もう1つは、病院への取材や掲載の依頼である。「段差あり」や「介助不可」といった病院側にとってのマイナス情報も事実にもとづき掲載されているが、幸いにも校区内にある46件の病院の協力を取りつけることができた。3件の病院については掲載に至らなかったが、もしこの作業が民間の企業や行政の委託を受けたものであったとしたら、医師会との関係等でおそらくこれほどの協力は得られなかっただろう。また、自らが通っている病院に分担して依頼しに行くという方法は、まさに地域に根ざした活動のなせる技だと言える。
下準備が進むこの時期、豊中17中学校の1学年の教師たちは「総合的な学習の時間(以下、総合学習)」において何に取り組めば良いかと悩んでいた。以前から泉丘VCとつながりがあった教頭の「泉丘VCに一度相談してみてはどうか」とのアドバイスがきっかけで、教師たちと泉丘VCとの接点が生まれた。「いいタイミングで中学校の先生が飛び込んできた」(泉丘VCメンバー談)形となり、『マップ』づくりのほか、高齢者とのふれあい、読みきかせ活動、授産施設でのお手伝い、地域の清掃活動、クリスマスプレゼントづくりなど、200名ほどの生徒が8グループに分かれてそれぞれの活動に取り組んだのである。『マップ』づくりでは、「こんなに道が悪いとは思わなかった」「車イスを押すのが大変だった」など、生徒たちの感想からもわかるように、大人の側が教えなくとも体験を通じてさまざまなことに気づき、学びとっているのである。こうした活動は「教えるなんて大袈裟なことではない」(泉丘VCメンバー談)のである。また、完成した『マップ』を教師たちが活用しているとの話からは、子どもたちだけでなく教師にとっても地域を知る絶好の機会になったと言える。
子どもから大人まで幅広い視点から作成されたこの『マップ』は、学校、泉丘VC、そして何よりも地域にとっての財産である。この財産を得られた背景には、1999年度に取り組まれた6年生「ボランティア公開授業」や2000年度の3年生「手話でコミュニケーション」・4年生「竹細工授業」・6年生「色々な人と出会おう」など、小学校の授業への関わりを介した泉丘VCと小・中学校の教師とのつながりがあり、このつながりをもとに中学1年生の「ボランティア体験授業」が実現に至ったのである。「ボランティア体験授業」は、『マップ改訂版』発行に向けて、『マップ』完成の翌年以降も続けられている。
この『マップ』づくりを通して見えてくるのは、学校(子どもおよび教師)の関わりが、公民分館を拠点に活動する大人の取り組みをより充実したものにしたということである。大人たちは中学生の明るさや元気さに直接ふれることで子どもたちに対する従来の認識を改め、子どもたちが見つけてくる新たな発見に自らも学んでいる。また、子どもたちにとっては、学校の授業で行った取り組みが、泉丘VCという大人たちの協力によって校区の全戸に配布される冊子となって地域住民に配られたことで、社会への貢献といった自己効力感の育成、また自己完結的になりがちな学校の学習と社会活動との連続性を意識することにつながった。
後日談として付記しておきたいことがある。『マップ改訂版』発行に向け文化祭等のバザーによって活動資金を3〜4年かけて集める計画をしていた泉丘VCであるが、2002年度大阪府教育委員会地域教育振興課の補助事業「まなび・ふれあい・まちづくりプロジェクト」予算の支給を受けられることが決まった。このような予算があることを知らなかった大人たちが自らの活動のために調べ、自発的に申請したことの意味は大きいだろう。
(3)「ホームヘルパー3級養成講座」の取り組み─福祉分野とのつながり
本講座は、2002年7〜9月にかけて、福祉分野の資格であるホームヘルパー3級の養成講座を社会教育施設としての公民分館が企画・運営した全国的にも珍しい取り組みである。大阪府の地域福祉課が公民分館からの事業申請に驚きを隠せなかったというエピソードからもわかるように、教育と福祉の関係の在り方や連携することの意義について考える格好の事例であるので、実施に至った経緯や講座実施の意義などについて簡単に記しておく。
本講座実施のきっかけは、地域生活に根ざした泉丘VCの日常的な活動にあると言っていいだろう。表2の活動内容からもわかるように、泉丘VCの活動は助け合いの精神にもとづき教育活動と福祉活動とが分け隔てなく行われており、場面場面ではヘルパーの資格や介護技術を身につけていれば・・・と思うことが少なくなかった。
校区福祉委員会とも前年の11月頃から話し合いの場を持ち調整を行ってきたが、今回は公民分館のみの取り組みとなった。募集は20名で、市の講座との違いとして、<1>年齢制限がないこと、<2>費用が安いこと(5000円)、<3>地域密着型の講座、といった点が挙げられる。それぞれについて簡単にふれれば、<1>については、60代・70代の意欲的な人材の掘り起こしを目的に1名の参加が得られた。また、高校生も視野に入れたが、今回は日程の都合で応募はなかった。<2>については、専門科目2コマ以外はすべて行政の職員が講師を務め、ベッドでの実習は夏休みの学校の保健室を使用するなどしてコストをおさえることができた。学校施設の活用を考えるうえでも、非常に新鮮な取り組みである。<3>については、講習場所が基本的に地域の学校(学校内の泉丘コミュニティルーム)であったことで、講座修了まで一人の脱落もなく、また地域への愛着といったものを育むことにもつながった。
このようにして泉丘地域に20名のホームヘルパー3級取得者が誕生したわけだが、すぐに何かの役に立ったということではない。しかしながら、地域に根ざした公民分館主催の取り組みでホームヘルパー3級取得者が誕生し、「これまで見えない存在だったヘルパーが地域のなかで見えるようになった」(泉丘VCメンバー談)ことにより、泉丘地域全体で安心感を得ることができた。
今後の課題として、第一に、事業申請の簡素化が挙げられる。例えば、今回のような講座を中央公民館が事業申請し認可が下りれば各分館での講座の企画・実施が比較的容易となるが、やはり手続きが煩雑なようである(誤解のないように断っておくが、今回の講座実施にあたっては中央公民館から全面的な支援があった)。生活課題から芽生えた問題意識が、手続きの煩雑さによって打ち消されることのないようサポート体制の確立が求められる。第二に、教育と福祉の縦割り行政に象徴される分業観にもとづいた発想の転換である。前述したように、日常生活で生じるあらゆる課題は、さまざまな領域の問題が複雑に絡んでいる。社会教育活動だから福祉学習は関係ない!、教育なのになぜボランティア活動?、といった領域限定的な見方を改め、身近な問題をより包括的に捉える視点あるいは姿勢が求められる。
おわりに
最後に、泉丘VCという限られた事例からではあるが、本報告書の研究テーマである「自己実現・社会参加への誘導要因」という点に即していくつか整理しておきたい。
ひとつは、大人の学習や活動が他者との直接的な関わりによって促進されているということである。本事例においては、子どもたちとの関わりということが中心となるが、異なる視点あるいは異なる発想を持つ者どうしが関わり合うプロセスのなかで、新たな意味づけがなされている点は重要であろう。
もうひとつは、大人の学習や活動が、他者との「つながり」によって日常的に生成されているということである。必要なとき(非常時)にのみ関わりを持つというのではなく、日常的に維持される緩やかなつながりの構築によって、あらゆる学習活動のチャンスが生まれている。
「地域の力を合わせれば、できないことはないんではと思える」(泉丘VCメンバー談)
「(『マップ改訂版』作成について)わたしの能力より大きいことをしている気がします。みんなでするから、できるのでしょうね。前向きにトライしていきます。」(泉丘VCメンバー談)
地域の人々のこうした言葉からもわかるように、「何事も不可能ではない」という感覚が地域の関係性のなかで構築されつつある。また、泉丘VCがもたらす子どもへの視点や福祉関係組織との協調姿勢は、学習や活動の源となる課題の発見に幅広さを生み出していると言えるだろう。
『マップ』には、「バリアフリーとはすべてのことに障壁がなく安全で自由であることをいいます」と記されている。子ども−大人、学校−地域、教育−福祉など地域のあらゆる関係性をサークル活動に取り込んでいる泉丘VCの取り組みは、まさに「バリアフリー」を実践していると言えるだろう。「何が問題か」「何が必要か」「どう取り組むか」について、組織の論理や組織の成員としてのしがらみに縛られず、そこで生活する一地域住民としての判断が優先されている。泉丘VCの活動は、地域に存在するあらゆる境界を乗り越えて、今後さらに広がりをみせながら深化・発展していくだろう。