1.はじめに
私は、自治体で社会教育主事という専門職としてはたらいており、最初の職場が大阪市立西成同和地区解放会館(現大阪市立西成人権文化センター)で、そこで識字教室の担当をしたことがきっかけとなって、識字活動にかかわるようになった。釜ヶ崎の識字教室等の成人教育活動には、ボランティアとしてかかわっている。
本稿では、まだとりくみがはじまったばかりではあるが、教育をとおしたまちづくりをめざしたとりくみとして、釜ヶ崎における成人教育活動について報告したい。
さて、まちづくりと教育にかかわっては、これまで大都市の社会教育においては、公民館のような地域の社会教育施設がすくないということもあり、まちづくりの観点は全般的によわかったようにおもう。例外的に、まちづくりと関係のふかいものとして、地域の青少年団体や女性団体、PTAなどの地域の団体にかかわる社会教育があったが、まちづくりとして位置づけたとりくみは十分に展開できてこなかった。
また、最近になって状況はかわりつつあるのだが、社会教育事業の典型のひとつである、社会問題をあつかった連続講座においても状況はおなじだった。そこでは、社会問題について学んだ後に、自主グループ化する等して、社会活動への参加していくことがめざされているのだが、まちづくりの文脈のなかに位置づけて地域社会をかえていく方向性はよわかった。
一方、まちづくりの観点から教育活動を実践してきたものとして、部落解放にかかわる教育運動がある。そのなかに識字運動もあったのだが、教育事業が制度として確立していくなかで、逆にまちづくりとのつながりがうすくなったという側面があったとおもっている。これは、なにも部落解放運動にかぎったことでなく、日本全体のとりくみについていえることである。私事化と管理化の進行という問題、すなわち「共」ともいえるまちづくりをはじめとした様々な地域の自主的なとりくみが縮小するとともに、その部分をおぎなう政府・行政部門が増大したという問題状況がある。この点についても、近年になって、地域の高齢化などの問題など、あらためてまちづくりの観点からのとりくみの重要性が再認識されている。
ところで、私が特に関心のある、またボランティアでかかわっているまちづくりは、主流のまちづくりではとりくまれることのすくない「マイノリティ」のエンパワメントをめざした、主にテーマ・コミュニティにかかわるものだ。社会教育でいうところの積極的不平等という様々な格差を解消する観点をふくめ、誰のためのどんなまちづくりか、住民がエンパワメントされているか、そこでは多様性が保障されているか、ということが、まちづくりにおいても重要だとおもっている。
2.釜ヶ崎の現状について
釜ケ崎は、大阪市西成区にある日本最大の寄せ場で、2万〜2万5千人の日雇い労働者が暮らしている。そして、近年の建設産業の構造不況が日雇い労働者にしわ寄せされ、野宿生活をしいられる労働者が急増し、現在その数は、1万人をおおきくこえると推定されている。野宿での生活は、アルミ缶やダンボールあつめなどのわずかな収入での路上のきびしい生活であるため、毎年おおくの凍死、餓死、病死、自殺がたえない。さらに、多発する襲撃によって時には命まで奪われる危険にさらされ、肉体的にだけでなく精神的にも非常にきびしい状態におかれたままにされている。野宿者問題は、不況によって急増したことからもわかるように、個人の問題ではないのだが、個人の責任にすりかえられがちである。そのような偏見もあり、これまでは、国や自治体において、野宿者問題には、わずかな対策がとられているだけだった。
野宿生活者の急増と様々なとりくみによって、2002年の7月、ようやく「ホームレスの自立支援等に関する特別措置法」がつくられ、国・自治体の責任が明確になったところだ。国や自治体による本格的なとりくみは、今後に期待され、またしっかりとしたとりくみがつよくのぞまれるところだが、一方でこのような課題に対して、長年にわたって労働組合や市民団体、キリスト教関係など数々の団体が様々なとりくみをしてきており、そのなかから、近年、新しい活動がすすめられている。代表的なものは、1999年9月に設立された「NPO釜ケ崎支援機構」というNPOが、特別就労対策事業やシェルターの運営、技能講習など行政と協働して事業をおこなっていることである。
また、野宿生活者の高齢化がすすんでおり、就労施策とともに、これまでにもまして、福祉施策の充実がもとめられている。というのは、高齢や障害、病気などで野宿生活を強いられている労働者が仕事をつづけていくことができなくなり、生活保護をうけようとしても、まず、住居をいかに確保するのかという最初の時点でおおきな難関があるなど、数おおくの問題があるからだ。たとえそれをのりこえ、生活保護をうけるようになっても、単身であるだけでなく、家族と連絡がとれていないか、遠方であることや、地域社会から孤立した状態におかれている等、一人で暮らしていくことは並大抵ではなく、様々な問題に直面する。今、釜ケ崎でもとめられていることのひとつは、高齢の野宿生活者を居宅保護にうつし、2度と野宿にもどさないように、この釜ケ崎で安心して生活をおくれるよう環境をととのえ支援することである。
そのなかで「さつきつつじ会」や「つきみそうの会」といった野宿からアパートでの居宅保護(生活保護)を勝ちとった当事者組織、医療や福祉にかかわる施設の職員やボランティア、簡易宿泊所を部分的に改造し共同リビング等を整備しサポート・プログラムを実施しているサポーティブ・ハウスのオーナーなどが、「まちづくり」と「福祉」などにかかわる活動をすすめている。まちづくりにかかわっては、そのようなあたらしいうごきを促進するためのネットワークとして、1999年秋「釜ケ崎居住COM」のよびかけで「釜ケ崎のまち再生フォーラム」(以下「フォーラム」)がつくられた。「フォーラム」は、フォーラムやワークショップを実施し、住民のくらしを再建する方向でのまちづくりビジョンをさぐり、あわせて事業化を促進することを目的とし、そのゆるやか横断的なネットワークをいかして、サポーティブ・ハウスのとりくみ等と連携したこころみをしている。
3.私と釜ヶ崎の出会い─「つきみそうの会」
私は、西成解放会館につとめていた頃から釜ヶ崎にも識字活動が必要だとおもっていて、なんとか釜ヶ崎に識字教室をつくりたいとおもっていたが、釜ヶ崎とかかわる機会をつくれず、ずっと気になる状態がつづいていた。2000年の夏に、釜ヶ崎で長年活動をしメンズリブのとりくみもしている水野阿修羅さんが釜ヶ崎にかかわるきっかけをつくってくれた。それは、水野さんがかかわっていた、「つきみそうの会」(1999年設立)の、コミュニケーション・ゲームをてつだうというものだった。私は、かねてからかんがえていた釜ヶ崎での識字教育をひらくきっかけにしようという気持もあり、二つ返事でひきうけた。さいわい、何度かワークショップをするうちに、会のメンバーにもうけいれてもらえ、その後、その担当を水野さんからひきついですることになった。
ところで、支援者による組織がほとんどの釜ヶ崎のなかにあって、数すくない当事者組織である「つきみそうの会」にかかわることができたのは、幸運だったとおもっている。ひとつには、非常にきびしい現状があり、緊急対応的な活動が必要なため、支援者による活動が大半をしめる釜ヶ崎において、すくなくとも緊急対応的でない活動においては、当事者による活動の可能性があることを確信させてくれたことだ。また、釜ヶ崎にかかわっては、日雇いという求職形態への蔑視等から様々な偏見がある。このような偏見に対しては、どんな集団でも多様で、ひとくくりにするのはまちがいというのにつきるのだが、一方で、頭でわかっていても、単につきあいがあるというだけでなく、友人となるなど個人としてのつきあいがなければ、なかなか実感がともなわないものだ。「つきみそうの会」に参加している人々をしって、それがちがうとかかわりの最初から実感できたのも、幸運だったとおもっている。
4.識字教室開設のためのボランティア募集─釜ヶ崎ボランティア養成講座をつくる
「つきみそうの会」で識字活動の話をすると、参加してもいいといってくれる人が何人かいたので、まずは「つきみそうの会」の会員を対象に識字教室を開くことにした。さいわい、太子福祉館の定員10人くらいの部屋をかしてもらえることとなり、「つきみそうの会」の会員を対象に識字教室をひらくめどがたった。私一人で、翌月から識字教室をはじめようと「つきみそうの会」でいっていたちょうどその頃、「フォーラム」で剰余金が出、その活用案についてよびかけがあった。識字教室をはじめるには、教材や文具などをかう必要があったので、一人で識字教室をたちあげるのでなく、その活用案のひとつとして識字教室をひらくことを提案した。さいわい、識字教室の必要性については、大方の賛同がえられた。
さらに、以前、大阪市立中央青年センターで外国籍住民の識字/日本語交流会の講座を実施し、その講座修了者と一緒に外国籍住民の識字教室をたちあげた経験があったので、ここでも同様の手法をつかって、識字教室をひらくにあたっては、識字のボランティア養成講座をまず実施し、その修了生と一緒に識字教室をひらくことを提案した。そのため釜ヶ崎ボランティア養成講座実行委員会を講座の実施主体としてたちあげ、「フォーラム」の全面的な協力もえて共催という形で実施することになった。しかし、ボランティア養成講座の内容については、せっかくの機会だからということで、識字には関心がないが釜ヶ崎でボランティアとしてかかわりたい人のため、実行委員としてサポーティブ・ハウスのオーナーがくわわっていたこともあり、サポーティブ・ハウスのボランティアを養成するコースももうけることができた。ボランティア養成講座が短期間で充実した内容でできたのは、「フォーラム」のネットワークに様々な人が参加していることと、事務局長のありむら潜さんにおうところがおおきい。
釜ヶ崎ボランティア養成講座の実行委員会は、第1回目が2001年6月19日に、以後月に1回くらいのペースでひらかれた。その中で議論になったことで私にとって意外だったことのひとつは、参加費をとるかどうかということだった。私は、当然参加費をとるべきだと主張したのだが、意外にも実行委員のほとんどが参加費をとると、参加者がほとんどこないのではないかということを心配していた。私は、参加費をとっても講座の内容的に十分参加者が見こまれるものとおもっていたし、識字教室の開設費用をまかなうという点においてもできるだけ参加費をとりたかった。というのは、講座の参加費を識字教室のたちあげの資金にできればとおもったからだ。実際、万一赤字になった場合は、「フォーラム」の剰余金のうち20万円相当を援助してもらうという約束をもらってはいたが、結果的には、講座の収入が10万円強あり、「フォーラム」の剰余金をもらわずに、講座の収益を開設資金として識字教室「もじろうかい」をひらくことができた。
現在、「もじろうかい」の世話人は、私とイエズス会の施設「旅路の里」の司祭の英隆一朗さんの2人でやっている。実は、これは、本当に幸運な偶然の出あいがきっかけとなっている。私は、協力者や参加者をつのるため、「フォーラム」等で識字教室の開設の話を色々な人にしていたのだが、第1回目の実行委員会の11日後、「フォーラム」主催の西成市民館建てかえのワークショップがあり、そこで英さんとではじめてであった。英さんに私が識字教室を開く話をし、とりわけもっとひろい会場がほしいという話をしたところ、すぐに20人くらいはいる「旅路の里」を会場として提供することをもうしでてくれた。そして、英さんも、大学生の時に横浜市寿町にある寿識字教室に参加したことがあり、パウロ・フレイレの著書も読んでおり、釜ヶ崎で識字活動をしたいとおもっていたということで、釜ヶ崎で識字教室を開くのに全面的な協力をもうしでてくれ、二人で一緒に識字教室のたちあげをやっていくことになった。さらに、その後、会場としてよりひろい太子福祉館のひろい部屋(定員100名)を貸してもらえることになった。
表1
2001年11月からはじまった、釜ヶ崎ボランティア養成講座は、参加型の7回の共通プログラムの後、「識字ボランティア・コース」「生きがいづくりコーディネータ・コース」にわかれた各3回のプログラムからなる(表1参照)。講座のコンセプトとして、出口のある、すなわち、講座修了後に実際のボランティア活動につながるものとすることをめざした。
共通プログラムは、いわば「釜ヶ崎学」(釜ヶ崎スタディーズ:略称カマスタ)としての位置づけで、できるだけ釜ヶ崎の問題を参加型で学び、ボランティア活動の導入となるものとした。従来の寄せ場や労働問題、福祉の観点とともに、まちづくりや、釜ヶ崎が単身高齢男性のまちになっている現状を反映して、男性問題としての釜ヶ崎という軸をくわえているのがおおきな特徴だとおもっている。
識字コースは、修了後、教室の開設準備をし、開設後はスタッフとしてかかわってもらうことを当初から予定していた。生きがいづくりのコースは、サポーティブ・ハウスの住人の生きがいづくりを様々なイベントをとおしてコーディネートしていくことをめざしていた。
コース修了後、料理教室、遠くに外出する機会がすくなくなりがちな車いすを使う人といく花見の活動がおこなわれた。しかし、やむをえない諸事情でそのコースのコーディネータが修了後の活動にかかわれなくなってしまったため、当初目標としていた定期的にイベントをコーディネートする事業に発展させていくことができなかった。出口のある講座とするためには、コーディネータがかならず必要だというのが教訓である。
5.釜ヶ崎ボランティア養成講座の展開
しかし、全体としては、釜ヶ崎ボランティア養成講座は成功したとうけとめられ、継続しておこなわれることとなった。第2期は2002年の3月におこなったのだが、ボランティア養成というより、釜ケ崎の現状をより幅ひろい人にしってもらうための短期の入門コースと位置づけ、春やすみの学生が参加しやすいように日程を圧縮した(表2参照)。内容面でも、野宿者問題の緊急性から、第1期のサポーティブ・ハウスの住人中心になっていたプログラムを修正し、野宿生活者と出会う機会をもうけるために夜回りをくみいれた。そして、出口として既存の釜ヶ崎の各団体などがやっている活動を紹介し、講座修了後は、それらの団体の活動等に参加してもらうこととした。しかし、1期2期すべての参加者が、講座修了後すぐに釜ヶ崎でボランティア活動をしているかといえばそうではない。そこで、修了生の有志から「釜ヶ崎ボランティア連絡会」がつくられた。現在の活動としては、定期的に集まり、釜ヶ崎のボランティア情報などをのせた会報をだすことと学習会の開催を行っている。
表2
表3(1) (2)
また、ボランティア養成講座には、地域の施設職員等も参加してくれた。仕事にかかわることはしっていても、釜ヶ崎やそこでの様々な活動についてひろく学ぶまとまった機会がなかなかないというのが参加の動機のひとつという。それらの意識ある地域の職員をネットワークする「パラリーガル研究会」もつくられた。しかし、その後、中心メンバーがアルコール問題のとりくみなど、具体的な活動でいそがしくなり、現在は休止中である。
第3期は、2002年12月から「高齢者訪問活動支援ボランティア養成」「高齢者のニーズほりおこしコーディネータ養成」と「地域通貨流通コーディネータ養成」の3コースを開催した(表3参照)。今回は、第1期と同様に、それぞれのコースの修了後は、そのコースにかかわる実際のボランティア活動に参加してもらうことをめざした。
「高齢者訪問活動支援ボランティア養成コース」は、「つきみそうの会」の安否確認の同行ボランティアを養成するコースである。当事者組織である「つきみそうの会」がそのコースの運営もしたので、毎回「つきみそうの会」の会員が10人前後参加するという、講座参加者にとっても講座の中で当事者と交流する機会のおおいコースとなった。コースの中で、安否確認のボランティア体験もくみこまれており、講座修了後もひきつづき修了生の半数以上が「つきみそうの会」の諸活動に参加するという成果があった。「地域通貨流通コーディネータ養成コース」は、釜ヶ崎で2年前からおこなっている地域通貨「カマ」のコーディネータを養成するコースで、これもすでにある活動へのボランティアの養成という形になった。今後は、このように釜ヶ崎で活動している団体や様々な活動と連携してコースを設定していくことが、修了後の活動につなげるという意味でも重要になってくるとおもう。
しかし、釜ヶ崎ボランティア養成講座には、識字教室をたちあげたように、あらたな活動をたちあげる場としての可能性もある。今回は、将来的に作業所をたちあげるため、「高齢者のニーズほりおこしコーディネータ養成コース」をつくった。これは、釜ヶ崎には、新たな消費者でもある居宅保護を勝ちとった大勢の高齢者が3畳〜4.5畳の同じような環境に住んでいるので、そのニーズを把握し、その人たちに必要なものをつくって売るという、地域の循環をつくっていく可能性を、自助具(高齢化などにともたって生じてくる身体の不自由さを道具の面からサポートする福祉用具)をとおしてさぐるものだった。無事講座は修了し、自主グループもつくられたが、やはり作業所をつくるというハードルはたかかったので、現在は、あくまで将来の作業所づくりをめざしながらも、今できるとりくみとして、次の2つのとりくみの案がつくられた。ひとつは、木彫り彫刻の教室から作業所づくりをめざすもので、特に、高齢者のニーズにあっている仏像を彫る教室を開くというものだ。もうひとつは、売れるものをつくるということから、心にしみるみじかい詩や文章をかいた「日めくり」をつくり、野宿生活者に路上で売ってもらうというものだ(売りあげはすべて販売者に。スタッフも販売し、その売りあげは作業所づくりの資金に)。作品はできるだけ釜ヶ崎の関係者からあつめ、居宅保護を勝ちとった人に買ってもらえる内容とするとともに、釜ヶ崎の文化発信とすることがめざされている。
このように、様々にからみあう現代の複雑な社会問題の解決をめざすまちづくりのとりくみにおいては、教育を入口にすると参加してもらいやすい。今回のボランティア養成講座は、幅ひろくあらたな人に釜ヶ崎にかかわってもらえる入口をつくれた点はおおきいとおもう。というのは、釜ヶ崎での活動というと、労働運動や宗教活動のイメージがつよく、敷居がたかいとおもわれがちだからだ。今回は、大阪ボランティア協会や関西NGO協議会に後援してもらうことや内容も参加型にしてフィールドワークなどもとりいれ、募集チラシを釜ヶ崎のことを全くしらない人にもわかるように配慮してつくるなどすることにより、最近様々なところでさかんにおこなわれているボランティア活動のひとつと、できるだけかわらないようにみえる工夫をした。
ただ、おおくのボランティア養成講座で、講座修了生をボランティアとして登録したが、活動は一部の人しかしていないということがおこっている。そのようなことにならないためには、出口まで視野にいれた実践的な教育プログラムが非常に重要である。
6.「ボランティアとセクシュアルハラスメントを考える会@釜ヶ崎」(愛称「しするの会」)
活動している団体の役員や釜ヶ崎の住民は男性がおおく、釜ケ崎で活動している(主に)女性スタッフやボランティアにとって、セクシュアルハラスメントの問題はつねにあった。しかし、これまでは、セクシュアルハラスメントをはじめとする女性差別についての問題は、釜ケ崎においては、ほとんどとりくまれてこなかったため、各個人で対処せざるをえず、重要な課題として問題を共有化できずにいた。しかし、セクシュアルハラスメントは、いうまでもなく個人の問題ではない。誰にも相談できなかったり、セクシュアルハラスメントをする側の背景にあるものを知らないことで問題が深刻化するようなこと等がないように、予防や相談、救済等をする体制づくりがもとめられていた。さらに、継続的におこなわれることとなった釜ケ崎ボランティア養成講座の参加者は女性がおおく、修了後、おおくの女性があらたに釜ケ崎でボランティア活動をおこなうようになってきたため、緊急のとりくみが必要な状況があった。実際、そのような中、「フォーラム」の女性メンバーとボランティア養成講座の修了生に対するセクシュアルハラスメントの問題があったことから、「フォーラム」の定例会等でセクシュアルハラスメント問題についてとりくみの必要性をうったえかけた。
釜ヶ崎でセクシュアルハラスメントを問題化することについては、釜ヶ崎への偏見を助長しないかという心配もあってのこととおもうが、どこでもとりくまなければならない問題という理解がえられず、反対する人もすくなからずおり、問題化の仕方の整理にずいぶん時間がかかった。その中で背中をおしてくれたのが、釜ヶ崎での女性解放のとりくみをしている中野マリ子さんだ。中野さんに、女性ボランティアへのセクシュアルハラスメントの問題についてとりくんでいる話をした時は、反対に色々と問われ、どちらかというと否定的な反応であったので、よけいむずかしさを感じたのだが、そのすぐ後、「ダンコ支持!」と書いてくれたすてきな葉書をおくってくれとても勇気づけられた。
そうして、数回の準備会をおこない、現在の「しするの会」の前身である「釜ケ崎のおけるボランティアとセクシュアルハラスメントを考える会(仮称)」の第1回目のあつまりが、ボランティア養成講座実行委員会のよびかけで、2002年5月18日(土)、旅路の里でもたれた。参加者は、14人だった。
現在、「しするの会」は、セクシュアルハラスメントの問題で誰にも相談できずに釜ヶ崎を去る人がないように、安心して語り、問題を共有できる場づくりを第一目的として、釜ヶ崎でボランティア活動をしている人やキリスト教関係のメンバー、釜ヶ崎の施設で職員として働いている人などを中心に、毎月第3土曜の5時から「旅路の里」でひらかれている。
今のところ、セクシュアルハラスメントの加害者のケアは「しするの会」のメンバーでもある英さんのように個人的にしている人がいるだけで「しするの会」としてはできていない。今後は、メンズリブのとりくみが釜ヶ崎においてもとめられている。メンズリブは、「男」のまち釜ヶ崎にかかわる人にとって色々な意味で必要なものとおもう。仕事がないということが野宿をつくりだすということが基本ではあるが、一方で、「男らしさ」にしばられ、誰にもたよらないという「強い」自立観をもっているがため、福祉をはじめ誰にもたすけをもとめないで、野宿になってしまっているケースもあるだろう。また、建設現場の仕事がすくなくなり、職業をかえざるをえない人がふえているが、その時、職業観が「男らしさ」にしばられて、ヘルパーなどの仕事につこうとおもわないならば、仕事の機会を結果的にせばめることになってしまうだろう。
7.「釜ヶ崎識字教室 もじろうかい」─エンパワメントをめざしたとりくみ
第1期のボランティア養成講座の修了生とともにつくった「釜ヶ崎教室もじろうかい」は2002年3月2日に発足、釜ヶ崎の簡易宿所のオーナーから太子福祉館を無料で借り、毎週土曜日の午後1時30分〜4時(開設当初は2時〜だった)に約15〜20名の参加者(居宅保護をかちとった人がほとんどだが、労働者、野宿生活者と多様)をむかえて約10名のボランティア(内ボランティア養成講座実行委員・修了者は半数)とともにおこなっている。参加費は茶菓子・資料代として1回100円。ただし、野宿生活者など、支払うのが困難な人は無料としている。
前半の1時間30分は1対1での学習や小グループでの話し合い学習、お茶の休憩をはさんだ後半は、全体でテーマを決めてワークショップをおこなっている。ただし、後半もひきつづき1対1で学習をつづけたい人はつづける。毎回、のこった人で4時からふりかえりと会の運営についての話し合いをしている。
野宿生活者の参加もあり、生活相談もしばしばある。これまで、できる範囲でしかないが救護施設や更生施設等につないだり、仕事の紹介等を、色々な人や機関と連携しておこなっている。そのためには、サラ金や生活保護等についての法律をしっていないと相談にならない。「もじろうかい」は、参加者のエンパワメントをめざしてとりくんでいるが、そのためには仲間づくりとともに、福祉をはじめとした制度活用等、リーガル・リテラシーのとりくみがもとめられている。「もじろうかい」は、応募のチラシやポスターに参加費を毎回100円とることを明記しているので、100円払ってでも学習したいという人が参加している。また、識字教室にくるということは、大きな決断がいる。そのような人は、比較的自立へつなげやすい時期の人がおおいのではないかとおもわれる。その利点をいかして生活相談にものり、本当にささやかでもセーフティ・ネットのひとつとなればとおもっている。
「もじろうかい」の特色あるとりくみのひとつに、毎回後半の時間におこなっているワークショップがある。これまでとりあげたいくつかのテーマを紹介すると、「釜ヶ崎でつかわれていることば」「暴動の時何をしていたか」「釜ヶ崎の好きなところいいところ、嫌いなところわるいところ」「お酒、断酒について」「ばくちについて」「こどもの時ほしかったもの」「戦争体験」「これまでやってきた仕事」「仕事にまつわる道具」「手を見ておもいだすこと」「雨のおもいで」「10年後の釜ヶ崎」「釜ヶ崎のまちづくりの困難の原因は」「釜ヶ崎のまちづくりに私たちができること」「ボランティアについて」「識字活動とは」「聞く」「気持をつたえる」「自分を大切にするということはどんなことか」などがある。
できるだけ、釜ヶ崎など生活にかかわるテーマをとりあげてきたが、どのテーマにおいても、しばしば国や政府への批判をはじめ、憲法や具体的な法律等の話になる。「もじろうかい」では政治がとても身近で、普通に話としてでてくることがもうひとつの特徴としてあげられるかもしれない。
年末年始は、「年忘れもじろうかい」「初笑いもじろうかい」としてそれぞれ食事会をし、年始には書初めをした。外へ出るイベントもこれまで、3回おこなった。すぐちかくにある天王寺公園へのピクニック(もじピク)、「木曜夜回り」と「さつきつつじ会」主催の堺市にあるハーベストの丘へのハイキングへの参加、それに、わかいボランティアが、いつも釜ヶ崎のことなど色々おしえてもらってばかりなので、今度はオシャレな若者文化のたのしみ方をおしえたいということで、「スタバde チュウチュウ」と名づけて、事前にロールプレイで注文の仕方も練習し、スターバックスコーヒーにいくとりくみをした。4月には、1周年記念として、奈良にハイキングにいく予定になっている。
「もじろうかい」に参加している人のおおくから、ボランティアをしたいという声があった。元野宿者とともにする夜回りができないかとかんがえていたので、そのうちの何人かをさそい「木曜夜回り」に何度か参加した。元野宿者の声のかけかたは、やはり、ボランティアのとはちがっていて、「約束だよ」としっかり手をにぎって翌日あう約束をしたりと、力強いものがあった。ただ、高齢者には夜回りは身体的にきついこともあり、ながくつづけるのはむずかしかった。今後、昼におこなう日回りやもうすこしつづけやすいとりくみをはじめる可能性をさぐってみたい。
8.これからの課題とまとめ─教育・ボランティア系活動の基盤づくりの必要性
「もじろうかい」をひらいて、釜ヶ崎では、成人教育のニーズがおおきいことがわかった。識字を軸に、成人基礎教育のとりくみがまずもとめられるが、それと同時に、居宅保護をかちとった人を中心としたいきがいづくりとしての文化活動ができるカルチャーセンターも必要である。
また、仕事につながる教育事業をどうつくっていくかもおおきな課題である。ここでいう仕事は、半就労・半福祉や本当にごくすくない1ヶ月に数回程度や一日に数時間のものをふくめたものだ。それには、職業訓練とともに、教育をとおした「小規模作業所づくり」等地域の就労機会をふやす起業を促進するしくみづくりが不可欠である。
さらに、教育事業とボランティア活動をつなげるとりくみをすすめていくことにより、より大きな可能性がひらけてくるとかんがえている。そのために、学びとボランティアの2つの活動をささえる基盤として、「釜ヶ崎の学びとボランティアを応援する会」をつくった。現在、コーディネータを常駐できる程度の資金づくりをめざしている。今のところは、募金をつのっているだけだが、今後は、資金集めのシステムをつくっていくことが課題である。
ここで主に想定しているボランティアは、これまでのように釜ヶ崎の外部からのボランティアではない。居宅保護をかちとった人を核として、釜ヶ崎の住民自身によるボランティア活動の可能性を住民対象の教育事業をとおしてさぐりたい。というのは、釜ヶ崎でもまちづくりという住民が主人公となる活動がはじまったが、まだまだ支援者やサポーティブ・ハウスのオーナーなど事業主が中心となってすすめられており、実際そうでなければなかなかすすまないというのもきびしい現実である。そのようなまちづくりに、すこしずつでもおおくの住民が参加できるような支援として、成人教育活動のとりくみがもとめられている。