今後、識字部会が弁護団の要請に応えうるような調査を提案できるとすれば、狭山裁判で筆跡に関わって検察側と弁護側からどのような論点が提出されてきたのかの把握が大前提となるため、今回は解放同盟中央本部の安田聡さんに筆跡鑑定をめぐる争点を整理していただいた。
第2次再審棄却決定後、弁護団は99年に異議申立を行い、神戸・半沢の2つの筆跡鑑定を含む8つの新鑑定を提出してきた。そのうち数学者の半沢氏による鑑定では、たとえば「な」の文字をすべて拾い出し、石川さんの「な」が、脅迫状のように第1画と第2画がつながった連筆になることは統計的にあり得ないこと等々を指摘している。
狭山事件において脅迫状はすべての発端であり、有力な物証である。確定判決である2審の東京高裁の寺尾判決でも、脅迫状との筆跡の同一性を、「自白を離れた客観的な有罪証拠の主軸」としている。その根拠は警察側の3つの筆跡鑑定である。確定判決は3鑑定について、「経験と勘に頼るところがあり、証明力に限界がある」と言いながら、「経験の集積と専門知識に裏付けられたもの」で「単なる主観に過ぎないものとはいえない」とした。
一方、弁護団側から出された綾村・磨野・大野三鑑定に対しては、国語能力という厳密に測れない不確定な要素を根拠にし、何らかの資料を見て書くことを無視したものと批判、石川さんが「教育を満足に受けられず字もあまり知らない」ことは認めたうえで、「脅迫状はありふれた構文」であり、石川さんの自白を根拠に、雑誌『りぼん』を見て書いたと認定した(「自白を離れて」という前提を自ら否定している)。
上告棄却決定は、脅迫状に正しく用いられている句読点が石川さんの書いたものでは使われていないという弁護側の主張を、「句読点の使用は高度の表記能力とはいえない」と退け、石川さんが逮捕後に書いた文書を持ち出して、「ツ」の使用、アラビア数字と漢数字の混用、「は」と「わ」の混用、「で」→「出」等の類似を指摘、第1次再審請求棄却決定では、促音「っ」の欠落等の類似点を挙げ、弁護側が指摘する相違点を退けている。
それに対して第2次再審請求棄却決定では、はじめて脅迫状と石川さんの「筆跡の相違」を認めたところに特徴があるが、その相違は「文書作成の経緯、環境、心理状態等の違いによるもので、書き手の違いによるものではない」=書くたびに違う、という論法であり、石川さんに書かせた文書を警察が鑑定資料=有罪の証拠として用いることは論理的な矛盾を招く。半沢鑑定が指摘するように、石川さんの「な」をすべてチェックすると、第1筆・2筆の不連続は、「環境の違い」では説明できない「安定した相違」であり、異筆というべきである。また、国語能力に関しては確定判決と異なり、「仕事上、社会生活上の必要から、ある程度の書字・表記を独習し、用いていた」とした。
そもそも、確定判決に合理的疑いが生じれば再審を開始するという再審の理念からは、確定判決の認定を変更して有罪を維持するような判断は許されないはずだが、今後は、ある程度の国語の能力と社会経験の積み重ねがあれば書けるのか否かが論点になってくる。
棄却決定は、石川さんが9月に関巡査に宛てて書いた手紙が「筆勢のびやかで暢達」とし、わずか2〜3カ月で上達したとは考えられないから、事件当時も低いレベルとは考えられない、警察官の面前で書いた上申書は当時の書字・表記能力を反映していないとしている。これは再審請求の判断としても大きな問題であるが、関宛の手紙が本当によく書けているといえるのか、3カ月では上達しないという判断が正しいのかが争点になる。
石川さんは取り調べ中に字の練習をさせられていたといい、勾留中に集中して練習した結果、とくに読み書きができなかった石川さんの場合、急激な上達が見られたと考えられる(棄却決定は、そういう練習があったとしても、上達するはずがないとする)。「社会生活の必要からある程度国語能力があった」「2〜3カ月で上達しない」といった棄却決定の判断に対しては、識字学級の現実から反論できるのではないだろうか。
石川さんの国語能力は小学校1、2年程度なのに、脅迫状筆者は高度な書字・表記能力がある、という弁護団の主張に対し、裁判所はそれは憶測にすぎないと退けるという応酬が続いてきた。再審請求の理念から総合的に見て「書けたということに対する合理的疑い」があれば、再審開始すべきである。これを基本として、脅迫状と石川さんの間にあるズレを緻密に検討していく必要があるのではないか、と考えている。 (熊谷 愛)