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識字部会・学習会報告
2002年3月29日
識字学級、日本語教室について”私”が考えていること

(報告) 田中 聡(大阪市教委社会教育主事)

狭山弁護団の依頼を受けて2000年度から取り組んできた識字学級生の識字能力に関する調査への取り組みは、前回(8月17日)でひとまず終了とし、今回は次年度の取り組みの方向性を考えるという位置づけで、テーマを設定した。大阪における識字学級・日本語教室の現状とこれからについて、大阪市教育委員会社会教育主事の田中聡さんに、ご自身の経験に基づく個人の見解を語っていただいた。以下、その概略を紹介する。

かつて勤めていた人事コンサルティング会社のコンサルティング営業と識字の講師とは、仕事のうえでよく似ている部分がある。コンサルティング営業の場合、まず顧客である社長の悩みや会社への思いを聞くところから始まり、そ

こから採用の方法、人事のあり方、研修の方法などを提案していくように、識字講師の場合もまず学級生との世間話や雑談から始まって、生い立ちや苦労話を文章にしていくという展開になることが多い。識字においても、コンサルティングではないが、学級生の今と将来を話し合い、それをまた綴っていく取り組みが必要ではないだろうか。

しかし、識字講師の現状は、与えられた仕事・行事をこなすという義務感を感じているように思われる。

現場では、学習者との会話は世間話から昔話までで終わっているのではないか。学級生の今や将来を話し合うためには、まず、講師が自分自身を語らなければ、学級生が語ってくれるはずもない。

また、最近思うのは、識字学級では、考え方の違う者同士の「対話」が成り立っているのだろうかということ。識字学級にも外国籍や地区外の参加者が少しずつ入りはじめているとはいえ、本当は、誰ひとりとして同じ人間はいないのに、まだ地区の学級生の間には「”みんな同じ”仲間」という感覚が強い。考え方や感覚が違うと「イヤだ」で止まってしまい、対話できていないのではないか。日本語教室でも、参加者は自分には合わないと思うと、言葉の壁もあって対話以前に教室を去ってしまう。

また、識字に関わる経験のない日本語教師や日本語ボランティアにとって、言語学的に日本語をいかに正確に教えるかが問題関心であって、識字の視点には馴染みがなく、ピンと来ない。逆に、識字に関わっている人たちには「日本語教育」アレルギー、食わず嫌いの傾向があるように思われる。

そのなかで、その両者を含むネットワークとしての国際識字年推進大阪連絡会がこの10年で果たしてきた役割は非常に大きい。また、現在、ある教室のボランティアの有志の方々に作成をお願いしている「地域日本語交流学習用テキスト」での「学習内容は学習者の側にある」という考え方に基づくテキスト作成のように、日本語学習への識字的アプローチも生まれてきている。

日本語教育の世界では識字=「よみかき」と捉えてしまいがちだが、生い立ちや生活の歴史を社会のなかに位置づけ直し、読み書きを通じて表現するのが識字。

識字的視点による日本語学習として生まれてきたのが、地域識字・日本語交流学習の考え方。ただ、先ほどのテキスト作りのような動きはあるが、まだまだ識字の視点による日本語学習は確立されていない。

地域での日本語学習からさらに地域・識字日本語交流学習が充実していけば、たとえばみんなで文集づくりに取り組むことを通じて教室の物語、さらには地域の歴史・出来事、地域に住む一人ひとりの物語を綴っていくことで、日本語学習者も含めたまちの物語が生まれていく。そんな誰もが参加できる言葉をもとにしたまちづくりにもつながっていく。

また、まちづくりの視点で教室の運営面を考えれば、教室で生じがちな提供する─提供されるといった関係をどう克服するのかを含めて、識字学級運営委員会のあり方を検討することが重要だと考えている。

共同学習(全体学習)の内容にしても、館の担当者や講師団か、女性部の担当者などコアになる一部の人たちがつくっていて、指導する〜指導される関係ができていたり、「私の先生/私の学習者」という意識が強すぎて、学習ペアが隣のペアと尋ね合うような意識が薄かったりしたと思う。

日本語学習においては、学習者に仕事に就くという明確な目標があるだけに、必要な日本語を提供することに力点が置かれ、その傾向は一層強かったと思われる。

識字学級のなかで行う日本語学習をそれほど特別視しなくとも、会話中心という面で識字との違いはあっても、外国籍の人たちそれぞれが持っているストーリーのなかで人権課題を捉える日本語学習はできるはず。

教室や個人に注目し、誰もが主役になれる機会をつくるとか、ワークショップという特定のスタイルで学習するのではなく、ファシリテートする(持っている力を解放する)という関係性を大切にする、あるいは運営委員会に識字・日本語の双方の学習者が関わっていく、出来合いの教材を使うのではない個々人のストーリーに合った日本語学習をする、共感する経験を共有できるよう日本語学習者に日本語をフォローする等々、さまざまなことが考えられるのではないか。

これからは、広く地域の人や、学習者、講師の各代表間をコーディネートしていく、館の担当者のコーディネーターとしての役割がますます重要になってくるだろう。

また、各教室における識字の過程に関する経験を、学習者一人ひとりのストーリーに合わせて活かしていけるようなストーリーとしての識字のknowledge(知恵)を蓄積し、交流・共有したい。

(熊谷 愛)