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今年度の識字部会では、課題の1つに「高齢者にとっての識字」を位置づけた。上記テーマについて、まずは高齢者・老いを考えるところから堀薫夫さんにレクチャーいただいた内容を、ごく簡単にまとめる。
これまでの「老人」という呼称に代わって「高齢者」という言葉が用いられるようになってきたが、すべて高齢者の語に置き換えらるというものでもない(たとえば行政レベルでも、問題を捉える角度の違いから文部行政では高齢者、厚生行政では老人を用いる傾向がある)。
生物学的な「老い」は否定できないが、それをマイナスではなく自然なものとして中立的に捉えることができる。そのような考え方のもとで出てきたのが「エイジング aging」という言葉である。「可能性」に着目する生涯発達の観点から、成人になって以降の変化を、社会的なものも含めてエイジングの概念で捉えている(痴呆などは疾病の範疇に入る)。
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高齢者の知力は一般に信じられているほど低下するわけではない。若い世代と差が出ない、あるいは高齢者の方が高い領域もある。高齢者は、言語性知力に関わる、特に単語・知識・理解といった分野を得意とするのに対し、瞬発力を要したり、意味的連関の少ない動作性知力に関わる積み木やパズル、数唱(耳で聞いた数字をそのまま復唱したり、逆から復唱したりする)を苦手とする(ただ、言語に関わる分野でも、より抽象度の高い概念形成などは苦手)。
別の概念でいえば、文化的接触によって高まる意味的連関の強い結晶性知力は年齢とともに高まっていき、対照的に、神経生理的反応に基盤をおく情報処理的な性格が強い流動性知力は低下していく。
このように総合的にみれば、若い頃とそう変わらない知力をもち、8〜9割は生活に支障のある疾病や身体的障害ももたない高齢者を、単に福祉の対象とみるのは非常に問題がある。福祉の必要な人について、福祉の問題から目をそらすことは許されないが、高齢者への学習援助はきわめて今日的な課題である。
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高齢者の学習を妨げる要因には、制度、社会意識、高齢者自身による内面化の次元、にわたるエイジズム(年齢差別)があり、第3のものが最も克服困難である。それは、生理的な老いからくる困難を、精神的社会的に限りなく拡大してしまう。
高齢者を学習や教育の主体と考えると、子どもとは違ったニーズがある。特に生理的機能の低下にともなって脅かされがちな自律的な生活を保つ「生存のためのニーズ」は大きな位置を占め、若い頃と異なって、他の目的達成のための手段としてではない「活動そのものの中に見出される喜びへのニーズ」も大きいが、この年代にさらに特徴的なのは、自分の人生で未解決な心理的葛藤に対して、何ができるか吟味する「回顧へのニーズ」である。
これらのニーズに加え、サポートしてくれる周囲の人間関係の構造(コンヴォイ)も視野に入れる必要がある。年をとるにつれ人間関係や職業、能力などあらゆる局面で遭遇するようになる「喪失」体験を、コンヴォイの質によって和らげることができるからである。