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はじめに監訳者の1人岩槻さんから、本書のアウトラインが紹介され、次に藤本さんと下野さんから、各々の問題意識でどのように読んだか報告いただいた。
まず藤本さんは、3ヵ月限定の日本語教室を運営している立場から、識字の歴史と実践、識字に関わる人の層の厚さに日米の違いを感じさせる本書は、プラグマティックでありながら背景には考え方がしっかりとあり、述べられている方法の限界にもふれるなど単なるハウツーではないし、特にESL(第2言語として英語を使う人)の問題から発展して、日本語教室の今後のあり方についても考えさせられるなど、日本語教育に携わる人たちに関心が持たれるのではないかと全体的な印象を述べた。
そして、各章の興味を持った部分のコメントがされた。たとえば、成人学習者について講師が知るべきこととして特に、成功体験の乏しさ、教育・文化に対する消極的な意識があること、学習の目的と関わって「読む」ということをどう発展させるかということ、また大きな目的や当面の目標を設定するにあたって利用できるテストがアメリカにはたくさんあるが、限界もあること、学習方法としての体験文字化法は「生い立ちを綴る」こととも通じるが、それに限定されないこと、我々は個別学習・独習・話し合いによる学習など様々な方法の一部しか使っていないこと、識字の成果をどう評価するかという、識字に卒業はないという思想の対極にある発想が重要な位置を占めていること、教材や施設を含めた学習のための資源の紹介は、日本でいえば短期的にはボランティアの力によるところが大きいだろうということ。
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つづいて下野さんは、日本の現状では識字のプログラムを1から10まで勘と経験で講師が考えなければならないが、本書では、最初に受講生の相談に臨んで受講生の特徴をつかむための2章の質問項目が、7章はどのような資源をどのような目的で使えるのかという点で、非常に興味深かったし、出だしがおもしろかった。日本の識字学級でも「読む」ことをもう少し丁寧に、つまり単に文字面を読むのではなく、その人の生活に即した読み方ができるはずだし、地域の資源として、図書館・大学などがもっと利用できるはずだし、制度的な面では、講師がボランティアではなく公的に位置づけられていることを羨ましく感じた、とコメントした。
その後の参加者も交えての合評のなかでは、学習者と講師の間の密な関係が手工業的にではなく、もっと効率的につくられていい、そのためにも現場のルーティンをくり返して鍛えられた本書の思想・方法は貴重だし、参加型学習にも抵抗の強い上の世代と違って、若い世代では受け入れられやすいのではないか、といった議論が展開された。