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《文章を綴るために》

「生い立ち」を書く、このことは大切ですが、本文にもあるように、講師にとちて「難しい」作業です。「文を綴る」ことをどの教師も学習しきっているわけではありませんし、「文章の書き方」なるものを述べたからといって生きた文章はできません。ここには、吉田一子さんが第22回の文学賞受賞作品を書きあげるまでの過程を書いた蔵本穂積さんの文筆を掲載します。きっと参考になると思いますので、ぜひ読んでみてください。

「わたしのおかねなのに」ができるまで

蔵本 穂積

吉田一子さんが、はじめて 日きを かいてこられたのは、おととしの 一月、かいづかの しきじがっきゅうと けいけんこうりゆうかいをしたときでした。

   それから、ときどき 吉田さんは、日きをかいて こられました。そして、「わたし、かんじの べんきょう せんと、こんな こと ばっかり してますねん。」と、はにかみながら、ぼくに よませて くださるのでした。そのたびに ぼくは、「なにも はずかしがることは ないですよ。これがいちばん だいじな べんきょうです。ひらがなで いいんです。これからも どんどん 日きを かきためて ください。」と、はげまし、おねがいして きました。おせじでも、まやかしでもありません。こころの そこからのおもいでした。

   「しきじがっきゆう」は、ただ 文字の よみかきを べんきょうするだけの ところでは ないはずです。うばわれた 文字を とりもどす、それが だい一であることは、いうまでもありません。けれども、その文字を つかって、じぶんの 文しょうを   かくことを しないのであれば、「しきじがっきゆう」のねうちは、はんぶんに なってしまいます。ぼくは かねがね そう かんがえていましたから、吉田さんの ほんとにおぼえたての なまなましい 「ひらがな」日きに、ふかく 大きな かんどうを おぼ えずに いられなかったのです。

 でも、文しょうを つづることは、だれにとっても たいへん むずかしいこと です。はなしを するようには、とても かけません。ぼくだって、文しょうを かくときにはずいぶん くるしみます。

 そこで 吉田さんは、かきたいことを、まず まごの 司くんに はなしを されるようです。その はなしを 司くんに 文しょうに してもらいます。それを そのまままちがいのないように ちからを こめて、かきうつして こられるのです。その 文字の なんと うつくしい ことでしょう。けっして じょうずでは ありません。でもごらん ください。こころ うたれる 文字ではありませんか。

 ある おんなの えかきさん(丸木俊さん)が、中がく生を まえにして はなし された ことが あります。「え(絵)、なんて、へたでも いいのよ。いっしょうけんめい かけば、ゆびの さきから、火が でるのよ。その火が えを かかせて くれるのよ。」

 吉田さんの 文字を みていると、ぼくはふと、その ことばを おもいだすのです。しかし、じつは、吉田さんの 日きは、ながくは つづきませんでした。あるときから、ばったり とだえて しまいました。

 司くんも もうすぐ 中がく生に なるので、じぶんの ことが いそがしくなったらしく、かきたいことは あっても、そのことを 司くんに 文しょうに してもらうわけには いかなくなった ようでした。

 「ちかごろ、司、おしえて くれしまへん。」と、よく こぼして おられました。「これは、ぼくこそが、司くんの かわりを しなくては」と、おもいは しますが、ききべた、はなしべたの ぼくは、なかなか 司くんのように はなしを ききだすことができません。ざんねんに おもいながら、日は たつ ばかりでした。ところが、です。きょ年の 四月二十二日、ほんとうに ひさかたぶりに、「こんなん、かいて きましてん。」と、吉田さんが 日きちょうを さしだしてくださいました。

<作文>

「おととい、ぎんこうへ いって、けんかして きましたんや。」と、なにか ただならぬ ようす です。どうにも はらのむしが おさまらないようにみえました。

   よみおわって、しばらく ものも いえないで いると、また くやしさを つのらせたように つぶやかれたのです。「かえって、順子に はなしたら、『三年もしきじに いってて、なんで いままで ほつといてん。くやしならんと、おぼえへんねんから』いうて、おこりますねん。」これは、ぼくの むねに ぐさりとくる ことば でした。そう でした。人げんにとって いちばんだいじな じぶんの なまえが、ほこりをもって、じぶんで かける、そこから「しきじ」は はじまるべきで あったのです。

吉田さんは、ぼくの目からすれば、りっぱにうつしく「吉田一子」と かいて おられたのです。ですから ぼくは、そのことについては、すっかり あんしんして いたのです。それが 大きな まちがい でした。 ぼくは、その「うつくしい」文字に、じしんを もってもらうことを、まるで おこたっていたと いわなければなりません。

 それからの 吉田さんの「なまえ」と、「じゆうしょ」への とりくみは、ごじしんの 文しょうに みられるとおりです。

いっぽう ぼくは、この日きは、これで おわりにしてしまっては いけないと おもいました。                         

 おもいだすほどに、くやしくてたまらないことだけれど、そうであるからこそ よけいに、よくよく おもいだし おもいだしして、ぜひとも 「ひとまとまりの文しょう」として かききってほしいと ねがいました。さいわい 吉田さんは 文しょうを かいてるときが、いちばん たのしいと、つねづね いっておられます。吉田さんなら、きっと さいごまで かききってもらえるに ちがいないと、ぼくは おもいました。


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  つぎの しきじがっきゆうの日には、「順子が かいてくれた」といって、つぎの 文しょうを もってきてくださいました。母から、銀行での話を聞き、だんだん興奮して、涙までみせる姿に、部落差別の怒りがこみあげてきました。私は、「銀行の人に電話したるわ。」と言って、電話をかけました。富田林にある銀行やから、当然「同和」に対しても研修していると思ったからです。・‥‥(中略)・‥‥母の方をみると情けなそうにしていました。母が、「もういい、もういい」と、何回も強くいうたので、「もっと、いろんな人権の勉強して下さい。金銭問題とちがいますやん。障害者の人が来ても、気持ちよう対応できる銀行にして下さい。」と言って、電話をきりました。

 母は、「お前がまちがわんと書いてくれたら、よかったんや。」と、私に怒りました。口惜しい気持ちを、私にしか当てるところがなかったのでしょう。

 そののち、吉田さんは、東大阪の長瀬にいる 次女の 節子さんにも はなしをして、また 文しょうに してもらい それを もってきて くださいました。文しょうは だんだん くわしくなって いきました。「これなら いける!」と、ぼくも げんきが でてきます。順子さん、節子さんの 文しょうを もとにしながら、ぼくは、もういちど くわしく じゆんじょだてて、はなしを きいていくことに しました。きいては かき、きいては かき、していきました。とちゅうに、まえに かいたことのある 「おいたち」の 文しょうも、さしいれることに しました。こうして、文しょうは だんだん できていきます。吉田さんは、ぼくが ききとった文しょうを いちど かきうつし、もういちど せいしょして いかれるのです。いっしょうけんめい です。「たのしい、たのしい」と かいていかれるのです。                   

 ぼくは、吉田さんと やくそく しました。「この文しょうは、じぶんで かいた かみでおかねが ひきだせた日まで、つづけましょう。その日が、この文しょうの おわる日 です。」   まちにまった その日が やってきました。ことしの二月三日、ちょうど 全国水平社創立の日 です。しきじがっきゆうに やってきた 吉田さんが、まっさきに ほうこくして くださいました。

 「せんせい。きのう わたし、じぶんで かいて、おかね おろして きましたんや。うれしいて、なけてきましてん。」こんな うきうきした 吉田さんを みるのは はじめてです。しきじの 仲間たちが口ぐちに、「よかったな! もう だいじょうぶや。」と、よろこびあいました。ぼくのむねもじんと してきました。

 あの くやしさに なみだした日から、まもなく 一年を むかえようと しています。この文しょうも 一年がかりと なりました。いえいえ、そんな なまやさしい ものではありません。じつに 六十八年がかりの 文しょうです。

 ある日、やきものの しあげを しているときでした。吉田さんが ふと もらされたことばが あります。

 「字を なんにも しらんかったころは、ああ そんなもんかと きにも せんかったけど ちょっとでも 字が よみかき できるようになった いまは、もう くやしいてくやしいて」 

  この ひとことは、どんな りくつよりも おもく、「しきじ」の いみを うったえられていると、ぼくは、しみじみ おもったのでした。

 どうか 吉田さん。これからは むねを じぶんの文字で 生きぬいて ください。そして、うんと うんと かたり、どんどん 文しょうに つづって ください。子や まごたちのために。よのなかの おとなたちの ためにも。 

[追記] この作文の続きを蔵本さんは「生活つづり方と実践記録集」第3集に書いておられます。あわせて読んでいただければと思います。