2.識字をめぐる成果と課題
部落の成人識字活動は、戦前の水平社時代からあった。
しかし、本格的に識字運動として各地に広がりはじめたのは、1960年代からである。九州の筑豊で始まった識字運動が、全国婦人集会(現在は、全国女性集会)などを通じて他の地域にも広がっていった。
現在全国では、600を超える被差別部落で識字学校が開かれているという調査報告がある。各学校の人数や運営状況は省略するが、一方で国際識字年をきっかけとして参加者が増え活動が幅広くなり盛り上がった地域がある反面、参加者数の伸び悩みや活動内容のマンネリ化なども出てきている。ここでは、そうして広がっていった部落の識字の特徴をまとめ、その上で、現在までの成果と課題を示すことにしたい。
1.部落における識字運動の意義
この三〇年はどの間に発展してきた部落の識字運動の意義は、次のような点にあった。まず第一に、「識字は解放運動の原点である」ということばが端的に示すように、活動がたえず解放運動と結び付けてとらえられてきたことである。部落の識字にあっては、識字は単に文字の読み書きを身に付けることを意味するものではなかった。生い立ちを語りあい、つづることを通して、部落差別によって自分が文字を学ぶ機会を失ってきたことを学び、部落差別を跳ね返すために文字をわがものとすることこそが追求されてきた。「奪われた文字を奪いかえす」ということばは、その象徴である。こうして生まれた「解放の自覚」や「社会的立場の自覚」こそが、解放運動や解放教育運動のすべてを通してめざすべきものとされてきた。つまり、識字に参加し文字を取り戻す営みそのものが差別との闘いであり、部落解放運動なのである。「あいうえおからの解放運動」と言われるゆえんである。
第二に、学校教育のあり方を問いかけるものとして存在しっづけてきたことをあげなければならない。「私は学校へ行かんかったから差別されんかった」このお年寄りたちのことばは、学校が部落出身者にとってどのような
場所であったかを端的に物語っている。おとなになってから読み書きを学ばなければならないのは、とりもなおさず学校教育が学力の保障を怠り、部落の子どもを差別しっづけてきたからにはかならないのである。まさに、差別の生き証人としての識字学校の存在がそこにある。
識字運動は、そんな学校の責任を問い、教師の差別性を告発して、学校こそが変わらなければならないことを訴えてきた。識字学校で学ぶ人びとの姿こそ、教師が「差別の現実から深く学ぶ」うえで出発点に置かれるべきだ。
こう訴えることによって、学校教員を識字講師として獲得すると同時に、同和教育にとりくもうとする学校教員を鍛える場所として大きな役割を果たしてきた。「識字で学んだことをどう学校に返すのか」こう問われた教師たちは、学校で識字を教材化し、識字生を学校に招いて子ども達との出会いの場をつくっていった。
第三に、識字を通して多様な解放の文化が発展してきたことを見逃すことができない。識字は、文化創造の源だったのである。文字を身に付けた人びとが身体の中から紡ぎだす文章は、それ自身が生命力にあふれた詩であった。多くの人びとの作品をもとに創られた構成詩=オガリは、文字に込められた思いをもう一度集団の力で解き放つ新しい表現形態であった。ときには正面から差別に射抜かれ、ときには差別をはねのけながら、身体のなかにしまいこまれ蓄えられてきたものに表現の場が与えられたのである。そして、ひとたび表現されるようになったとき、その表現のすべは、文字やことばだけにとどまることはできなかったときには演劇となり、ときには絵となって、多くの人びとの心をとらえた。31年7カ月にわたった獄中生活で石川一雄さんが生み出した作品群はその典型である。識字は、表現することを通して個人を解放し、同時に多くの人びとの解放への願いをかきたててきた。
2.これまでの成果
30年以上にわたって発展してきた識字運動はさまざまな成果を生み出している。ここでは、とくに識字生を挟むこの10年はどの間に達成された成果をまとめておく。
第一の成果と言えるのは、識字で学んだ数多くの受講生が、自らの社会的立場に目覚め、その姿や作品、文化活動が、教育・文化状況に大きなインパクトを与えていることである。受講生たちは、解放運動の担い手として数多く育ってきている。また、識字を通して運動の大きな柱である仕事保障に関わる成果をあげている。さらに、識字の核心でもある「生い立ち」を話し書きつづるとりくみを通して部落解放文学賞をはじめ数々の作品・文集・オガリ・構成劇などを生み出している。これらは、部落解放運動の枠を越えて、大きな影響を及ぼすにいたっている。
第二に、部落に識字問題があることを明確にし、その克服をめざして活動が全国的に高い質をもって展開されるに至っていることである。政府が「日本では識字問題を克服済みである」と国際的に主張するなかで部落の識字は、日本に識字問題があり、それへの積極的とりくみがあることを世界に証言してきた。しかも、生いたちをつづることを大切にするわれわれの識字運動は、パウロ・フレイレも感心するほどの質を備えていた。識字年をきっかけとする全国的盛り上がりのなかで、日本の識字活動を牽引してきた勢力の一つでありつづけたといってよい。
第三の成果としては、とくにこの10年ほどの間に活動内容が豊かになってきたことを指摘できる。たとえば各地の識字学校では、学習内容・方法・運営体制などについて革新をすすめてきた。内容については、文字ばかりにとらわれることなく、しやべくり(話し合い)やオガリ(構成詩)、書道や絵なども取り入れてきた。学習方法としては、一対一の学習を基本としつつも全体学習や共同学習を位置づけ、学級としてのつながりを大切にする手立てがとられるようになった。また、運営体制としても、解放同盟支部が責任をもって運営し、受講生を中心とする運営委員会を設ける方向をめざしてきた。こうした努力が識字年という外からの力と一体になって、この間の識字活動の盛り上がりにつながった。
第四には、国際的な連帯の強化をあげることができる。
識字年に行われた「本の航海」のプロジェクトにも参加し、北代色さんの「手紙」が「航海」によって生まれた本にも掲載されている。また、国際識字年をきっかけに韓国やタイ、マレーシアなどアジア各地の識字活動家たちと連携を強めている。国内においても、いわゆるニューカマーの人たちが部落の識字学校にくるようになり、そこからニューカマーのための識字の場が行政によって設けられるようになったという例が少なくない。ニューカマーの人たちが部落の識字にくることによって、受け入れた部落の受講生集団が活性化している面があることも見逃すことができない。他にも多くの成果をあげることはできようが、それは『人権ブックレット37識字運動とは』などに譲る。以下では、これからの課題に注目することにしたい。
3.直面している課題
このように大きな成果を収めてきた部落の識字であるが、同時に、最近になって改めて問題点がいくつも指摘されるに至っている。
第一にあげるべきは、地域的偏りである。近畿地方と九州地方ではある程度広く識字が展開されているが、それ以外の地域では、むしろ識字活動のない地域の方が多い。実態調査などの示すところによると、識字活動のない地域にも非識字者は少なくないのであり、そうした地域でいかに識字活動を発展させるかが重要な課題である。
第二に、すでに活動がある地域では、受講者の固定化傾向をどうするのかが問題となっている。大きく分ければ参加者には、文字の読み書きを一から学びたくてきた人、解放運動に関わるうちに文字に限らず学習の必要を感じるようになった人、趣味なども含めて自己実現のために自分なりの学習機会を求めている人という3つのグループがある。年齢層からいっても、20歳代の若い青年たちが参加するようになってきている。運動から識字に参加するようになった人と文字の読み書きを一から身に付けたいという人、若い人と高齢の人とでニーズがかなり異なるが、それにどう対応するか。文字に因っている人にはまだまだ参加しにくい状況があるのではないか。他方で運動から識字に参加するようになった人には、文字中心の学習がぴったりきていない。それ以外にも、新たに参加するようになった人として、渡日者・帰国者がいる。彼らを受け入れることが部落の識字を発展させることにつながるためにはいくつか注意すべき点もあるようだ。
第三に、学習内容をめぐる問題がある。これまで文字を中心にしつつも多様な学習を取り入れてきたことはよかったといえる。しかし、全体としての関連がはっきりしないままきているのではないか。たとえば、機能的識字(後述、三の1を参照されたい)という視点の必要性が語られながらも、それが学習内容としてじゅうぶん具体化されていない。そのことが一方での生いたち学習中心の傾向とあいまって、学習のマンネリ化につながっている。
第四は、学習方法をめぐる問題点である。大阪などでは、一対一を中心にしてきた。実はこのかたちは初期には見られなかった。行政闘争により講師料が保障されるようになってようやく実現した方法である。ところがこのかたちが続いた結果、仲間づくりや部落問題学習が進みにくいという問題が指摘されるようになった。それで、全体学習や共同学習が取り入れられるようになってきている。けれども、やはり中心は一対一の形である。それは、各自の学習要求に応えやすいという利点があるからであろう。しかし、今後事業の縮小により講師の確保がこれまでと同じようにはできなくなる可能性がある。また、一対一の学習スタイルには弱点もある。このスタイルのよさを活かしながら、他の方法を位置づけるための考え方が整理されるべきであろう。
第五に、講師にかかわる問題も指摘されるようになった。これまでは学校の教員がおもに講師となってきた。このままでよいのかということである。部落で識字が始まった60年代から70年代はじめにかけては、すでに述べたように学校の教育差別こそが識字生を生み出したのだという考え方から、この方向がとられた。けれども今日的に言えば、講師が学校教員に限られていることは望ましいとばかりはいえなくなってきているのではないか。たとえば、学校教員以外の講師を導入する積極性も検討すべきではないか。そうすることによって、多様な人びとのエネルギーが識字の場に持ち込まれ、講師の中心となってきた学校教員にも刺激を与えて、識字全体として活性化のきっかけになるのではないか。
第六は、運営体制に関わる諸側面である。「識字に卒業はない」と言われてきたが、一方で節目をつくる必要もあるのではないか。解放会館およびその職員の関わり方はどうあるべきなのか。解放会館そのものの役割や位置づけを新たな観点から見直す一環として、識字についても新たな位置づけが求められるようになっているのではない。
最後に、以上六つの領域をめぐる考え方を整理するためにも、どうしても避けて通れないことがらとして、識字や行政のありかたに関わる根本的な考え方をめぐる問題がある。たとえば、識字学習を「欠落部分を埋める」という発想で進めるのか、それとも個性を開花することを中心に考えるのかで、識字のあり方が全般的に変わってくる。これまでは「差別の結果を行政が補償する」という考え方を基本に同和対策事業が進められてきた。この考え方の積極性を受け継ぎ、このプロセスに市民が参加するスタイルを発展させるべきときではないか。
実態をめぐつて語られるおもな論点を挙げただけでも、以上のようにきわめて多様な内容になる。今後とるべき方向がある程度明らかになっているようなことがらもある。まだまだ議論や調査研究が必要なことがらもある。次に、今後の方向としてある程度具体的に提案できる点を挙げることにしよう。