9月例会は、永瀬康博さん(兵庫部落解放研究所)から「神戸の食肉生産について」と題して報告を受けた。永瀬さんは先に『新館竣工記念 神戸市中央卸売市場西部市場30年の歩み』(1996年7月、A4版・143頁)の編集に関わられている。
報告の要旨は、以下の通り。
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神戸の屠畜の歴史は、幕末に外国人船員が舟上で行なった事に始まる。明治10年代には各地で屠場が乱立したが、1890年(明治23)に神戸屠場株式会社が発足し、1894年(明治27)には博労を組織した神戸牛馬商組合が発足する。1901年(明治34)に神戸家畜市場ができ、翌年には付属の神戸屠場が始まる。
1906年(明治39)に屠場法が成立した後、神戸屠場株式会社は神戸家畜市場に買収され、1911年(明治44)に家畜市場法が出来た後の1920年(大正9)に、付属の神戸屠場は神戸市立屠場となる。戦時下のことはよくわからない。
戦後、1953年(昭和28)にと畜場法が、1956年(昭和31)には家畜取引法が成立した。後者は、とかく不明朗だと批判があった生体取り引きを枝肉取り引きにすることを目的にしていた。
こうした環境の変化にともなって、1962年(昭和37)には神戸食肉荷受株式会社と神戸枝肉荷受株式会社ができ、1964年(昭和39)に市立神戸屠場が神戸市中央卸売市場食肉市場となる。
1978年(昭和53)に同西部市場が開設され、翌79年に管轄が衛生局から経済局に移り、現在に至る。
それぞれの会社の規模や、業者数・内臓業者・屠夫の数などについては、不明なところが多い。またそうした中にどれだけの部落出身者が含まれているのかなども、わからない。