報告は(1)「近代社会から現代社会への転形の開始期」とも評される戦間期=1920年代において、地域社会のなかで、被差別部落が周辺の集落・住民とどのような関係を形成したかを明らかにすることをめざし、(2)それを解明する基礎的な作業として、1920年代における部落の地域の政治への参加状況と、そうした政治参加に水平社はいかなる態度でのぞんだかを明らかにする、(3)すでに1920年代前半の部落の政治参加については「一九二〇年代前期の町村会選挙と奈良県水平社」で論じたが、これに加えて本報告では1920年代後半の状況についても取り上げる、とした。
具体的には、úJ.1920年代前半の地方制度改正と有権者の増大、úK.町村会選挙における部落の動向と水平社運動、úL.男子普選における部落の動向と水平社運動、について分析し、「まとめ」として次の通り結論づけた。
(1)男子普選成立以前の1920年代前半においては、部落の有力者が著しく増加し、政治参加に有利な事態が生まれていた。その時期、県水平社としてこうした状況を活用しようとしたようすはなく、個別の部落や水平社においては、部落に有利な状態を生み出そうとする動きがあった。こうした動きの結果、部落の議員は増大した。
(2)男子普選成立以後、最初の県議選・衆院選においては、水平社は前面に出ることなく労農党のもとで取り組みを進めた。しかし、衆院選(第16回)における清原一隆支持票をみると、そのかなりの部分を部落票が占めており、必ずしも労農党のもとで「労働者、農民、部落民その他の勤労者」の統一した闘いの成果とはいえなかった。
(3)1920年2月20日の町村会選挙で、水平社は選挙方針を打ち出し前回に倍増する議員を誕生させた。しかしその時期前後から、それまで連繋していた無産勢力は分裂を重ね、一方、男子普選を含み込んで国民を統合する社会体制(総動員体制)は完成に近づき、そうしたなかでの差別撤廃の実現という新たな課題に地域の水平社は直面することになった。