調査研究

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2004.09.13
部会・研究会活動 <歴史部会>
 
歴史部会・学習会報告
2004年8月1-2日
内藤家延岡非人頭平五郎を中心に
-延岡藩領における非人の役目とその活躍ぶり

稲森 建蔵(宮崎県同和教育研究協議会部落史研究専門委員)
比江島 哲二(宮崎県同和教育研究協議会部落史研究専門委員)

  2004年8月1日から2日にかけて和歌山県において第9回全国部落史研究交流会が開かれた。

  分科会úJ(前近代史)は、「近世被差別民と警刑吏役-その地域的特質」をテーマとして、中尾健次さん(大阪教育大学)の司会のもとで、3つの報告が行われた。


   本報告は、「内藤家文書」(明治大学刑事博物館所蔵)の中の『萬覚書』の記述から、宮崎県北部に位置する譜代藩である延岡藩領における非人の役目とその活躍ぶりを紹介したものである。

  非人の役目については、処刑に関するものとして、磔者の首運び、獄門持人、杓子の拵え、磔柱の拵え、打ち首になった首洗いなどが見られる。治安・警察に関するものとして、家屋敷内や城内における病犬狩、胡乱者(ウロンシャ)の捕縛、出奔者・犯罪人の探索、臨時の非人廻りや昼夜番、犯罪護送警固、配下の非人の処罰などが確認できる。

  また藩による非人の統制に関しては、1756年に達しが出され、合口所持の禁止、非人札携帯の強制などが命ぜられ、さらに1779年には、穢多・非人に対して「水色浅黄半襟掛け」着用の強制が命ぜられている。また非人改めに関しては、当初牢番の役割であったものが、1760年の時点で町同心の役割に改められており、さらに1817年には、「非人改め勤方覚え」が出され、細部にわたり取り決めが確認されている。

  延岡藩における地域的特色としては、穢多身分の定住が19世紀以降まで見られないことであり、1841年には筑後からやってきた穢多が非人頭の手下となっている。また犯人逮捕や胡乱者の捕縛などに、非人がめざましい活躍し、破格の褒美を受け取っている。さらに1814年には、非人頭平助に対して帯刀が許されるなど、藩にとって治安維持に欠かすことの出来ない存在となっていることが指摘できる。このような藩の意向が、非人頭平五郎ならびに平助の代替わりの願いがなかなか認められなかったことに象徴的にあらわれているのではないか。

(藤原 豊)