2004年8月1日から2日にかけて和歌山県において第9回全国部落史研究交流会が開かれた。
分科会úJ(前近代史)は、「近世被差別民と警刑吏役-その地域的特質」をテーマとして、中尾健次さん(大阪教育大学)の司会のもとで、3つの報告が行われた。
本報告は、1719年に発生した「善助一件」(大坂城代安藤対馬の中間善助が、金銭を横領し欠落し、西国へ逃亡したとの情報から、大坂町奉行所同心・大坂長吏など、6名が探索のために鳥取に行き、その日のうちに善助を召捕った事件)を題材とし、その経過を辿ることにより、犯罪捜査における広域ネットワークが存在した可能性を示唆するとともに、貧人・乞食のイメージに新たな具体像を加え、非人観を見直す手がかりを探ったものである。
善助探索の追手方には、竜野「貧人頭」益右衛門が「付添ニ而」同行したのだが、この益右衛門の姉が、鳥取谷「貧人頭」与次郎の妻となっている。通婚による2人の個人的ネットワークは、益右衛門が「付添ニ而」同行したことを契機に、個別藩領を超えた捜査・召捕りの広域ネットワークに繋げられたのである。
この際、善助召し捕りに関する情報は、鳥取藩目付手には事前に報告されておらず、非人頭間のネットワーク上で大坂捕手方との情報のやりとり、召捕りの段取りまで行われており、与次郎が持っていた従兄弟という関係ルートを超えた意識、つまり藩領を超えてまで、大坂町奉行所に積極的に協力するという強い意識が背景にあると考えられる。このような与次郎の行動は、悲田院年寄の手下となることによる京都町奉行所との繋がりだけでなく、他領地の非人頭、大坂長吏・小頭、大坂町奉行所とのかかわりを鳥取藩に知らしめること、また自らの司法的・社会的存在を大坂方に認知させることにより、藩領を超えた犯罪捜査網を拡大する上で必要なことであったのではないか。
「善助一件」に象徴されるように、個人的ネットワークや非人頭の持つ「頭」ネットワークが結合することにより広域ネットワークが形成されるのであるが、このような関係を円滑に運営するにあたっては、接待・贈答が必要なのも現実であった。実際に万兵衛(与次郎の家名)は京都悲田院年寄や大坂長吏・近辺非人頭に土産物を持って挨拶に行っている。個人的ネットワークがどのような歴史的過程を経過して長吏・小頭ネットワークに繋がったのかは今後の課題ではあるが、このような広域ネットワークを駆使して犯罪捜査に成果を挙げた非人を「下級警察の最末端」と位置づけることはいかがなものなのか。
(藤原 豊)
|