本報告は、雑誌『部落解放』に連載した「差別の歴史を考える」の完結をうけて、おこなわれた。はじめに、自身の結婚式のエピソードから始め、研究と差別とのかかわりが回顧された。全体のなかで被差別者をとらえる視点から「啓蒙思想と文明開化」(1975年)で民衆意識の三層構造論を提示し、差別の歴史研究へと踏み出したのだが、「美作血税一揆に関する若干の問題」(1980年)には当時の本来ひとつに協力しあうべき人たちが対立する状況への疑問と反発がその底流にあった。運動の分裂に起因する研究者集団の対立に雪解け的な雰囲気がうまれるなか、『差別の諸相』(1990年)で差別が近代において新しくつくられること、すなわち多様な差別を考えるにあたって、近代史の場合には近代文明こそ問題であると主張した。
次いで報告は、グローバリゼーションのもとにおける差別の現状分析にすすんだ。「男女雇用機会均等法」(1985年)が労働者派遣法とだきあわせで成立し、新自由主義への画期をなしたこと、すなわちこれ以降女性の非正規労働者が激増し、女性の社会進出はむしろ後戻りしている。労働基準法の空洞化で、社会規範が崩壊した。またソ連崩壊後、日本の福祉国家イメージが解体し、貧窮者層の急拡大がすすみ、あおられる社会不安のなかで、被差別民への攻撃がその捌け口とされている。ここには、解放闘争の成果として差別してはいけないという建前はひろまったものの、なぜその差別が続いているのかの原因が明らかにされずに規範だけが強調されるためにかえって説得力を失ったり、反発を生んだりしている状況もはたらいている。グローバリゼーションには被差別者同士のコミュニケーションを成立させる可能性もあるが、アメリカ支配の市場原理主義であるグローバリズムが南北問題を激化させ、同時に世界的に女性の低賃金労働を増大させて国際的な売買春市場を拡大させている。このように、グローバリズムは階層による均一化をすすめつつ、差別が政治・経済的な貧窮問題と深くかかわっていることを浮き彫りにしている。
部落民にたいする差別には、天皇制イデオロギーがはたらいている。グローバリゼーションのもとでのあらゆる人種の交流と混合は、血統主義を強化再生産していく方向性をはらんでいる。その点、解放同盟も改称した全解連もともに現在の方針のなかで天皇制に言及していないことが不可解である。差別は自然に解消するものでも、特定の差別が他と切り離されて解消するわけでもなく、グローバリズムのもとで匿名による差別攻撃が一挙に広範な地域に大衆化する可能性が現実化しているなかで、むしろ互いに励起していくことがある。
「同化」と「異化」にかかわっては、生活環境の改善のなかで「同化」が深まっているが、帝国意識を共有する日本人にどのように批判意識を持ちつづけるのかが課題だ。しかし、「異化」の方向性をめざそうとすると、部落民の場合、さまざまな困難につきあたる。部落の文化を近世の身分的職業にもとめるのならば、それらを触穢思想と決定的に切り離して、部落共同体の生命力になるような新しい意味づけによって再生させる必要がある。部落共同体そのものが、混住によって外来者と部落問題を共有しがたくなったことや、生活に根ざしたかつての共通感情が希薄化していること、それに部落解放闘争の伝統が生活化しないで過去の記憶に変じてしまおうとしているように見えることで、崩壊状況にあるのではないか。「異化」の戦略をとるのであれば、差別に抵抗してきた主体的な歴史をアイデンティティのよりどころとするしかなく、それを絶えず再生産していくあらたなる共同体と、その存在を共生的に是認する周辺社会の形成が見られなければならないだろう。
小田実『中流の復興』(生活人新書、2007年)には、差別さえなくせばそこそこの生活が全世界で実現できるという見通しが書かれていて、共通するところが大きい。つまり、差別克服は被差別民の課題ではなく、帝国意識を持った差別者の位置にある中流が自己変革するしか道はないように思われる。
(文責:廣岡浄進)
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