「正月きたら何うれし 雪みたいなママ食べて 薪みたいなトトそ えて」
これは下瓦屋で伝承されていた童歌であるが、他の地域で歌われていたものと比べると不完全さが目立つ。しかし、その不完全さにこそ、被差別の苦渋に満ちた生活実態が反映されていると言えよう。『東成郡誌』に記載された同種の歌は次の通りである。
「正月来たら何嬉し 御月様みた いな餅たべて 雪より白いママ(飯)たべて 割木みたいなトト(魚)たべて 炬燵にあたってねんねこさいさい」(ルビは筆者)
下瓦屋の伝承歌には、「御月様みたいな餅たべて」と「炬燵にあたってねんねこさいさい」という部分の歌詞が脱落している。その歌われざることばを読み取ることによって、逆に見えてくる差別の実態がある。そこには、民俗学で指摘されているのとは違った、貧しさゆえの「餅なし正月」があり、ぬくぬくと炬燵にあたっているゆとりもない、過酷な生活の実態があるわけである。
ところで、「雪みたいなママ」「薪みたいなトト」という歌詞には、貧しかった時代の民衆の心が揺曳している。ママということばは、屑米すらろくに食べられなかった民衆のコメに対するありがたさの表白であろう。折口信夫によると、コメは「魂込め」の約まった語であり、不思議な力を宿しているものであった。瀕死の病人の耳もとで、竹筒に入れたコメを振りその音を聞かせることによって生命を救おうとした「振りゴメ」の風習は、まさにコメの霊力、呪力に期待する祈りの行為であった。それほどにコメはありがたいものであった。
柳田国男は「小さきものの声」で、仏を拝むマンマンチャンなどの言葉が、「南無阿弥陀仏の音に基づいたものに相違ない」と論じたが、飯を意味するママ・マンマも「ナマンダブ」から転訛、「ありがたさ」の対象として用いられたわけであろう。
では、「薪みたいなトト」とは、どのような心情のこもった語であろうか。下瓦屋では「サバの大きいやつ一匹」を据えて六、七人の家族でつついて食べたといい、また別に、「おかず」のことをトトと称したという。これも「ありがたいもの」「尊いもの」のことであった。お神酒をつぐ時「おお尊と おお尊と」と発する祈りのことばが、オットットと訛るように、トトは「尊と」の転訛であった。貧しい食生活の中では、トトは魚だけではなく、「おかず」そのものを指して用いられていたわけである。「おかず」をトトということは、被差別部落の生活実態から生み出された独特な民俗語彙と言うことができる。
正月に準備されるママとトトという言葉の背景には、遠い時代からの民衆の心が脈々と続いており、冒頭に掲げた童歌でも、それらを「飯」とか「魚」という語に置きかえてしまうと、味気なくなってしまうのである。