[舳松歴史資料館と阪田三吉]
資料館で五月一七日から六月一三日まで開催中の「反骨の棋士名人 阪田三吉特別展」は今年で一〇回を数える。その区切りの年に阪田三吉の正伝として『反骨の棋士 阪田三吉』を発行した。阪田への理解と同和問題解決に役立てていただきたいと考える。
阪田三吉については、戯曲「王将」の主人公坂田三吉のイメージが強く定着している。また、読者に大きな影響を与える人名辞典においても阪田の立場で書かれたものは皆無である。当初は資料館も阪田の実像に迫れなかったが、差別の複雑さに気づいたとき新たな阪田三吉像が浮かんできた。
(注)一九一六年の戸籍の記載は「阪田三吉」、旧戸籍では「坂田三吉」
[名人への軌跡をたどる]
阪田が素人将棋で名が知られるようになったとき、プロ棋士関根金次郎との対局を仕組まれ酷いめにあっている。その後の勝ち将棋の引き分けや千日手負け、そして七段を認められずに悔しい思いをしたのはいずれも阪田である。しかし、それらが「素人天狗の鼻を関根にへし折られた」、「阪田は千日手を知らなかった」などと阪田を中傷するようにしか語られていない。阪田が一九二五年四月一〇日、八〇余名の人たちによって推薦された名人位も現(社)日本将棋連盟には認められていない。
[戯曲「王将」にみる阪田三吉]
戯曲「王将」は、実在した阪田をモデルにして北條秀司が一九四七年に新国劇用に書き下ろしたものである。同年六月の初演は大当たりで、翌年の映画も成功している。以後のたび重なる上演、上映で阪田三吉=「王将」が固定、実在した阪田に対しても誰もが「三吉」と呼び捨てするようになった。「下賎の肉体へ宿った高貴な魂」は作者の言葉である。
[資料集について]
『反骨の棋士 阪田三吉』は一〇五頁。巻頭にはカラー写真で阪田ゆかりの二六品を掲載。中ほどにも色刷りのページをつくり見やすく仕上げた。「名人への軌跡をたどる」・「棋界の巨人再び起つ」・「戯曲『王将』等に見る阪田三吉」などの項目があり、それぞれページごとの読み切りで親しみやすい内容に工夫した。
『反骨の棋士 阪田三吉』は頒布部数五百冊。価格千九百円。舳松歴史資料館、堺市市政情報センター、各支所で販売。郵送可。問い合せ〓〇七二二−四五−二五二五(代)内線二四一一〜二 舳松歴史資料館まで。
(※1)坂田三吉の「吉」は本来は「土」に「口」の吉なのですが、文字がないので「吉」を使用しています。