はじめに
歴史史料、とりわけ部落史の編纂過程で避けられない問題に、地名・人名の扱いの問題がある。これまで多くの人びとを悩ませてきたし、今も悩ませている問題である。
地名・人名の扱いについては、すべての場合に通用する一般的な法則といったものがあるわけではない。編纂される史料集の性格、目的や編纂主体、地域の部落解放運動の状況など、それぞれの条件によって扱いもまた違ってくる。
一、基本的な考え方
部落史の編纂を志すからには、現実にある部落差別の歴史的な背景やその変遷をたどり、ひいては部落差別のない社会を目指そうとしていることは、言うまでもない。可能な限り多くの歴史的史料を収集し、そのなかから一定の歴史観に基づいて重要あるいは典型的と思われるものを抽出し、紙数の制限があるなかで一つの部落史像を描こうとするのは、当然である。
そのためには、出来るだけ制約なしに史料の選択ができ、また制約なしに活字にして読者に届けたいと思うのも、また自然であろう。
しかし現実の社会には、部落差別が存在する。最近発覚した身元調査差別事件を引合いに出すまでもなく、差別事件はしばしば「どこが被差別部落なのか」、あるいは「その人は部落の出身者なのか」を探り、当事者の同意なしにそれを暴露するという形で現われる。それゆえに、歴史史料の公刊においても、地名・人名の公表には慎重にならざるを得ない。かと言って、現実に部落差別があるからすべての地名・人名を伏せるべきだとか、地名・人名が含まれている史料を掲載しないなどという判断もする積りはない。
具体的に地名・人名をどう扱うかは、それを掲載する出版物の性格に大きく左右されるだろう。啓発冊子など無償あるいは廉価で大量に、しかも読者を特定せずに配布されるような出版物であれば、より慎重な配慮が望まれる。
『大阪の部落史』がまず念頭に置いているのは、歴史史料として、歴史研究の批判にも耐え得る史料集にしたいということである。同時に、教育現場や啓発で読まれ、今後の部落史学習に利用してもらうことも想定し、またそれを期待している。とすれば、細心の配慮をしつつ、同時に歴史研究にも耐え得る科学性・客観性をもった史料集に仕上げることが、基本的な姿勢となる。
二、大阪に独自の条件
ところで、地名・人名の扱いは地域によってかなり違ったものになるのではないかと痛感している。例えば、部落解放運動や解放教育、同和行政がどこまで組織され、取り組まれているかは、判断にあたって大きな要素となる。
同じような地名・人名が含まれている史料であっても、未組織の被差別部落が多かったり、部落のなかで解放運動の影響力が極端に小さければ、現実にはその地名・人名を出すことは多くの場合憚られることになるだろうし、部落史の編纂自体が困難になるだろう。その点で、部落解放運動が地域住民をどれだけ組織しているかは、どのような部落史編纂ができるかにとって大きな要素である。逆に言えば、部落解放運動の協力あるいは理解なしには部落史の編纂は難しい。この点で、部落解放運動の果す役割はきわめて大きい。
また近年の部落解放運動は、これまで部落における運動・事業の拠点であった解放会館を周辺を含めた広い地域全体のコミュニティ・センターへと機能を拡大・拡充する方向に進んでいる。この点でも大阪では、歴史史料における地名の扱いについて従来とは違った基準で判断する可能性があると言えるだろう。
教育や行政の理解も、同じである。『大阪の部落史』の編纂は大阪府・大阪市の部落解放・人権研究所への補助事業として取り組まれている。行政の理解の上にこの事業が取り組まれているのである。地域による違いとは、そうした運動や教育、行政との関係だけではない。部落のあり方が違うのである。
例えば、地名の問題を考えた時、近世において被差別部落の多くは本村に付属する枝村であったから、部落を特定する地名は本村名ではなく、枝村の名称だということになる。近代以降、幾度かの町村合併によって、かつての本村名が大字の名称となり、枝村名が小字の名称となったりする。だから、被差別部落を特定できないように配慮するとすれば、枝村の名称あるいは小字名を伏字にするといった方法が考えられる。実際、これまで部落解放研究所が編集してきたいくつかの史料集、例えば『大阪同和教育史料集』では小字名ないし現代の地名では一丁目、二丁目などを伏字にしてきた例もある。
しかし今日、実際に大阪の被差別部落を示す地名として使われている地名は、厳密な意味での枝村名あるいは小字名ではなく、それを含むかつての本村名であったり町名である場合が多い。そして、それが解放運動団体の支部名として使われている場合も少なくない。
そこには、今日の被差別部落が実際にはかつての枝村の範囲をはるかに越え、地域として周辺地域を含み込んで拡大してきている現実がある。したがって現実的な意味合いを考えれば、枝村名あるいは小字名を伏せることにはほとんど意味がない。伏せるとすればかつての本村名だが、それはすでに運動団体も支部名として使っており、伏せることにほとんど意味がないことになる。
これは、どこの都府県でも起きている現象ではない。いまだに、被差別部落が周辺の村落とはっきりと景観を異にし、かつての本村とは別の名称の住居表示がされているとか、正式な名称ではないが俗称として枝村あるいは小字の呼び方が生きている、といった事例もあるだろう。
三、地名は大胆に、人名は慎重に
以上、部落差別の現実や大阪独自の条件を考慮しながら、『大阪の部落史』の編纂にあたって、おおむね以下のような基準で、地名・人名の扱いを考えた。これは取り敢えずは史料編<現代>の編纂を念頭に置いているが、他の巻の編纂においても基本となる考えである。
また、大阪府内のみならず各市町村、府県の歴史編纂事業の中で、部落史がしっかりと位置づけられ、地名・人名についても忌憚のない議論と責任ある見解が確立していく一助となることを強く願うものである。
[地名について]
1. 地名は原則として伏字とせず、小字を含めてすべて掲載する
2. 学校、寺、(公的でない)差別的な地名も掲載する
3. 上記12とも、関係支部・地区協と協議する
4. 他府県の地名(部落名)も、原則として掲載する(関係府県連と協議する)
5. ただし、未組織部落(未指定地区) は市町村名・部落名を伏字とする
(補足)恐らく、部落史の編纂にあたって枝村・小字名まで表記するのは、あまり例がないのではないかと思う。これが部落史編纂のすべての事例に適応されるべき方法だとは思わないが、運動体との相互理解・信頼関係のもとで、こうした扱いも可能になるという先例ではあるだろう。
[人名について]
1. 公職にある人名は、そのまま掲載 する。公職とは、(1)市町村長 ・市町 村会議員、(2)府県レベ ルの団体の長・役員を意味する。
2. 上記以外は、姓または名を伏字と する
3. 以上12とも、関係支部・地区協 と協議する
4. ただし、支部・地区協の了解を得 て、可能な限り人名も活字化する
(補足)地名とはやや違って人名の場合は、やはり近年のプライバシー保護の大きな流れに依拠する必要があると考えた。
[関係団体との協議]
以上のような基本的な考えを事務局レベルでまとめた上で、二回にわたって関係の運動団体、具体的には部落解放同盟大阪府連合会、大阪府同和事業促進協議会、大阪市同和事業促進協議会、そして関係支部・地区協議会との協議・説明を行ない、基本的な了承を得た。
さらに企画委員会で経過を報告し、考え方についても了承を得、具体的な編集作業へ入っている。
以上は基本的な考え方をまとめたものであり、企画委員会でも指摘があった通り、個々の史料に即して、特に人名をどこまで掲載できるかなど、なお史料集の発刊までに慎重な検討が必要だと考えている。