調査研究

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大阪の部落史通信・15号(1998.9)
歴史の事実と評価について
―アナ派水平運動史を材料として―

三原容子(関西大学非常勤講師)

かつて、学生ならばマルクスやエンゲルスの著作を何冊か読むのが当たり前という時代があった。私は二十年ほど前から、アナキズム運動が消滅したとされがちな大杉栄虐殺以後の時代を中心に、アナキズム・農本主義の思想と運動の研究に関わってきたが、長い間変わり者扱いされてきたと感じている。アナキズム運動は誤りだったと歴史の審判が下されているのに、何を今ごろ研究するのかと言われたこともあった。その代わりに、あまり人がやらないということで、希少価値だけは高いだろうけれど。

部落史の分野の研究も、他の社会運動諸分野と同じく、長らくマルクス主義の影響が根強かった。全国水平社青年同盟の系統(ボル派)を「進んだ」グループとみなし、それに対立する人々を「遅れた」「ものわかりの悪い」存在とみなす傾向である。ましてや融和運動は克服すべき対象でしかなかった。

しかし、縁あって部落史研究の仲間に入れていただいた八年ほど前には、既に秋定嘉和氏らによってボル派中心の歴史の見直しが提起され、実行に移されつつあった。研究に新しい時代が到来していることを感じてうれしかったのを覚えている。

とは言っても、水平社運動史の記述に必ず登場する「アナ・ボル対立」に関しては、私自身がなまじっかアナキズム運動関係資料を見てきただけに、どうしても不充分さが目についた。私が水平社運動におけるアナ派について、利用資料等の不十分さを承知の上で、小論をまとめようと思ったのは、アナキズム運動について多少でも勉強している者が、一度はしなくてはならない課題だと考えたからであった。

その結果、いくつかの点を実証することができた。たとえば、従来アナキズム運動研究の不在によって、単純に「水平社運動のアナキズム系と言えば平野小剣」と誤って認識されてきたが、実は、アナ系の団体である全国水平社解放連盟に平野は加わっていなかった。平野の関与とは別に、アナキズム運動の土壌がある地方で、アナ系の水平社運動が展開されていた。また、「アナボル対立」の初期に、アナ系の中心地大阪がボル派側と見える動きをしたことには、「南梅吉派」対「栗須七郎派」という非イデオロギー対立が絡んでいることも示した(「水平社運動における『アナ派』について」・「水平社運動における『アナ派』について(続)」、(財)世界人権問題研究センター『研究紀要』第二号・第三号(一九九七年、一九九八年)を参照されたい)。

 *  *  *

まだまだ不十分ではあるが、私の場合、こうした定説への批判は、研究対象(この場合はアナ系の人々)が、なぜその時期にその場所でそのような運動をしたかを知ろうという、内在的追求から生まれた。

特定の系統を「正系」とみなして、それ以外の系統を「傍系」「邪道」「落ちこぼれ」と軽視・無視する場合、どうしても、正しい路線が理解できない人々、ついて来られない人々という見方になってしまう。しかし、「傍系」「邪道」「落ちこぼれ」とみなされる人々には、その人たちなりの、主観的にせよ、十分過ぎるほどの事情や理屈(正当性の論拠)があり、だからこそその行為が選択されたのだ、ということを忘れてはならない。

そもそも、どんな路線が「正しい」のだろうか。それぞれの時代に「正しい」とされてきた路線は、その時代には「正しい」ものであったかもしれないが、普遍的に正しいというわけではない。あとで誤っていたとわかって修正することはよくあることで、一八〇度転換することだってある。

その中で歴史を明らかにしようとする者は、その時点での「正しさ」を基準として研究する必要はないだろう。一切の価値判断を拒絶する必要はないが、現在の運動とは一応独立し、せいぜい「生命・自由・平等をめざす方向を持っているかどうか」くらいの判断レベルにとどめるよう禁欲することが必要ではないだろうか。そうでないと、実際に存在したものが見えなくなってしまうからである。

歴史的に、小作人の運動や工場労働者の運動など多くの社会運動があったが、おそらく選択可能な道が最も多様だったのが部落解放運動だろう。部落差別からの解放を願う者は、結果的に後悔に至った道も含め、ある社会状況の下に、ある思想の影響の下に、ある個人的事情の下に、さまざまな道を進んだ。故郷と断絶して出身を隠して生きる道も、経済的な地位獲得を優先する道も、当事者としては、その時点では、正当な解放の道であったろう。

現時点での解放運動とは別個に、否、現時点の解放運動に豊かな材料を提供するためにも、一つの道を正しいとして他の道を切り捨てることなく、多様な歴史の様相をしっかりと捉えていかねばならない。従来視野から切り捨てられてきた路線を、今後は可能な限り内在的に明らかにすべきであろう。

その点で私個人としては特に、一九二四年十二月の府県代表者会議で欠席裁判を受け、その後の行動に関して悪く書かれることが多い初代委員長の南梅吉、水平運動と労農運動の共闘を唱えたものの、精神主義的だとして、やはり悪く書かれることが多い大阪府水平社の栗須七郎の両名について、新しく捉え直す作業の必要性を痛感しているところである。

 *  *  *

さて、路線の正誤評価の問題に加えて、個々の水平運動に伴う事実の評価についても、一つの提案をしたい。それは、現代社会の価値観、研究者自身の価値観によって、実際にあった事実に対して目をつぶってしまわないように努めようということである。

かつて、アナキズム運動史上画期的な実践行動で知られる「農村青年社」運動について記述するとき、彼らが窃盗と質入れによって活動資金を得ていた事実について、あれこれ言い訳しようとした記憶がある。当時はアナキストの就労が難しい状況だったとか、メンバーが潔癖で真面目なタイプの人々で資金を(遊郭などで使わずに)活動のためだけに使おうとしていたとかである。そのような事情があったことはまちがいないが、それ以上に私の心の中に、「アナキストって泥棒をするような奴等なんだ」と思われたくないという思いがあった。

部落史の事柄に関しても、現在なお差別意識が厳存する中で、発表内容が差別意識を助長してはいけないと配慮して、現時点でマイナスに評価される事柄を書かない、一地域の特殊事例と批評しておく、などの傾向があったように思う。たとえば国粋会との親近関係、「掠」(企業等から広告料や購読料名目で活動資金や生活資金を集めること)などである。

しかし、多くの部落民が少しずつ出し合った金で活動費をまかない、政府や資本家やヤクザとの関係を疑われるような行為は一切せず、清廉潔白な水平運動をすべきだったというのだろうか。それは「正しい」路線を歩むべきだったという要求以上に、当時の状況では難しい話である。現実には活動資金集めや政治的な人脈や裏切りなど、おそらく現在賞賛されにくい部分も存在しただろう。

前掲論文では水平社の活動家を含むアナキストが「掠」をしていたことを紹介したが、アナキストや社会運動活動家に対する読み手の偏見が強まることが一番心配だった。しかし、研究が深められ、状況が詳しくわかるようになれば、こうした行為が、ある社会的個人的事情の下に、当事者としての正当性をもって行われたことが理解されるようになるだろう。差別意識の存在を考慮に入れると、特に一般読者向けの叙述では、偏見を生じないよう、周辺事情をきちんと記述するなどの配慮も必要だろうとは思うが……。

東西冷戦終結後、かなりの歳月を経た。今や、未来へ向けて歩むために必要な情報を得るために(もちろん自虐や自讃ではなく)、現在マネをしない方が好ましいことを含めて、歴史的事実を率直に記述していく時期に来ているのではないだろうか。