◆夜遊びは良い?悪い?◆
今から七七年前の夏、夜遊びの可否とその理由についての三人の誌上討論会があった。まず一人目の男性は夜遊びを可とし、健康な男ならば異性を求める機会として必要であるのみならず、結婚や知識欲、交際などにも益があるとしている。二人目も男性であるが、朝寝などの悪習をはびこらせ、結婚の時に必ずしも本人の意思が尊重されないことを理由に否としている。三人目は女性でどちらかといえば可としているが、女を圧迫しているとする男に女の自由を許容する度量を要望している。すなわち、夜遅くなった場合に「帰して下さい」といっても男が気を悪くしないこと、また結婚を取り持つ習慣である「内所持ち」の場合に、男が女を選ぶ自由があるように女も許諾の自由が必要であることを訴え、拒絶した時に復讐する男がいて恐ろしいことを暴露している。
七七年前に夜遊びといえば、男女の出合い・語らいや恋愛を意味していた。部落の場合、この時代おおよそ九割が部落民同士の結婚であったが、その中でもさまざまな意見や問題があったことが誌上討論会からわかる。そして何よりも、部落内での男女の出会いや恋愛・結婚、生活態度などへの部落青年の考え方、それに対する個人差や男女差、さらに現在との違いがうかがわれて興味深い。
◆歴史の舞台に登場する部落青年◆
この「夜遊び論」なる誌上討論会は、南王子青年団機関誌『国の光』の一九二一年八月号に載せられている。一九一六年一〇月に設立された南王子青年団については一九八三年の『吾等の叫び』(南王子水平社六十周年記念誌編集委員会編・発行)で略述され、南王子水平社の歴史的前提であるところに意義が見いだされた。
その根拠の中心になったのが、「夜遊び論」と同じ号に掲載され『吾等の叫び』という書名の元にもなった「吾人の叫び」という論稿である。筆者の煩悶生は具体例を挙げて差別が不当であることを説明し、社会の責任を糺すとともに天皇の下での平等が急務であることや部落民自身が改善を自覚して国家の発展に尽くすことなどを主張している。これを『吾等の叫び』は「みごとな差別糾弾の叫び」(九二頁)と評価しているが、今にしてみると、いかにも直線的かつ一面的である。それよりも、部落青年がひとつのまとまりをもって確実に歴史の舞台に登場してきたことや、部落青年の自覚が天皇制下の臣民平等論や臣民としての義務に対する意識を鏡もしくは梃子として形成され、その自覚が国家の発展と一体となった部落改善に向かっていくところに、「吾人の叫び」の意義を見いだしたい。
今から約五年前、一九二三年一一月の「水平運動号」と題された南王子青年団発行のパンフレットが発見され、『吾等の叫び』関係者を喜ばす一方で「あの時あれば」と残念がらせた。このパンフレットは特定の課題に絞った『国の光』の別冊ともいうべきもので、全国水平社と同じ綱領や宣言、南王子水平社独自の決議を刷った活版ビラが挟み込まれ、水平運動についての論稿や記事が掲載された貴重なものである。『吾等の叫び』から一五年、このパンフレットや部落問題研究所の水平文庫に収められている南王子水平社関係史料などを使えば創立期の南王子水平社をより豊かに描くことができそうだ。
◆部落青年が考え、直面したこと◆
「夜遊び論」や「吾人の叫び」が掲載された号の『国の光』は、「郷土研究号」と名付けられた。その内容は、歴史を論じた「本村の沿革」「小栗街道ト我南王子ニ就テ」、村の生活や文化について述べた「結婚」「此の村の言葉について」、社会を論じた「デモクラシーと神の観念」、青年団についての「苦言つらつら」「無団結の結果」、それに短歌を紹介した「郷土歌壇」など盛り沢山である。
欠号が幾分あるものの、現存するガリ版刷りの一〇四冊(一九二一年四月〜一九三八年五月)の『国の光』は実にバラエティに富んでいる。渡辺俊雄氏が作成された総目次から便宜的に分類すると、部落青年が考え・論じ・表現したことは、第一に世界、戦争、日本、天皇、政治など広く社会に関するもの、第二に村政、産業、
祭礼、衛生、娯楽、嗜好、男と女など生活に関するもの、第三に歴史、民俗、宗教、音楽、スポーツ、科学など教養に関するもの、第四は部落差別や水平社に関するもの、第五は小説や戯曲、短歌、俳句などの文芸作品などである。また『国の光』には、部落青年の夢や直面した課題を見いだすこともできる。これも大別すれば、第一に出郷、仕事、軍隊、経済不況な社会や生活状況に関するもの、第二に家族、友情、恋愛・結婚など人間関係に関するもの、第三に生き方、修養、自覚など自己自身にかかわるもの、第四は部落差別に関するものなどである。
執筆は部落の中でも経済的に安定し、一定程度の教育をうけた青年であろうと思われ、いくつかの寄稿もあるがほとんどは青年団員が執筆したものである。したがって、これらは一九二〇年代から三〇年代にかけての部落青年のおかれた状況や認識、思索、思考、創作など思想的営為の発露そのものであるといえる。
◆部落青年の思想的営為を読み解く試み◆
二四年前に松尾尊兌氏により分析されたことでよく知られる奈良県の大福部落の自主的な青年団体である三協社機関誌『警鐘』(一九二〇年九月〜一九二二年八月)が改善と解放をめぐる部落問題についての論稿が中心であったのに対し、『国の光』には部落問題に直接関係したテーマはわずかしか見いだせない。地域事情や雑誌の性格、多少の時期なども異なるが、これが多くの部落青年の現実的な姿だったのではなかろうか。
部落問題の領域で、差別―被差別の対抗関係、解放に関する思想と行動はきわめて重要であるが、部落や部落民は差別と解放のみに規定された存在でない。実際は、地域共同体としての部落および人間集団としての部落民は日常的には差別と解放という局面からは相対的に自立した生活世界を形成し、独自の文化をもつものとして歴史を歩んできたのである。
部落史研究も差別と解放に直接関係する言葉や事柄の範囲内でのみ語られるのではなく、歴史的に形成されてきた生活世界や文化の独自性の延長線上に位置づけ論じられる必要がある、と私は考えている。その意味で、部落青年の思想的営為の全体像と内在的論理を解き明かすことができる『国の光』は格好の魅力的な史料であるといえよう。この七月、支部書記長の広瀬聡夫氏や渡辺俊雄氏、私が呼びかけ人になり、多くの部落青年らとともにテーマを決めて『国の光』を順次読んでいく読書会を地元で始めた。
部落に生まれ育った私にとって、過ぎ去った自らの青年期を重ね合わせつつ一九二〇年代から一九三〇年代にかけての部落青年の思想的営為を読み解くことによって新たな部落史や自らの可能性を発見する予感がし、参加が楽しみな読書会になりそうだ。