「賤民解放令」に先駆けて一八七一(明治四)年三月に太政官より「斃牛馬処理勝手令」が出された。即ち「従来、斃牛馬これある節は穢多へ相渡来候処、自今牛馬は勿論獣類たり共、総て持主勝手に処置致すべき事」と、ここで初めて前近代社会以来の、斃牛馬をかわたに施与してきた社会的慣習を改め、所有権の自由を認める近代法的確認がおこなわれた。ここに至る迄の間、農耕民化を求めるかわた身分のなかからも、斃牛馬処理をすることが賤視の原因であるとしてそれを返上する動きがあり、一方、村落共同体のなかからも、かわたに無償で施与することへの疑義が上がっていた。それでは「斃牛馬処理勝手令」後、一般農家で牛馬が斃れた場合、どのような処置が取られたのであろうか。その一つの動向を示す史料が河内若江郡の豪農家に残されていた。史料は左頁の通りである。
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これは明治一二年五月、まだ当時堺県下にあった大和国葛城郡蛇穴村(現御所市域)に設立された、斃牛馬から肥料を製造する東京に本社のある弘義分社から出された文書であった。
先ず斃牛馬の情報を会社に知らせた人に、一里につき一〇銭を支払うという報奨制度が取られていたことである。おそらく近世でも斃牛馬の情報を村に届けたものに、何らかの謝礼がなされていたのではなかろうか。まして「斃牛馬処理勝手令」後においては、斃牛馬の入手にはそれなりの情報提供者に対する謝礼を明示しておく必要があった。しかし斃牛馬の代価については出来るだけ高く買うが、あらかじめ決め難いとしていた。おそらく斃牛馬の死因や死後の時間的経過による腐敗状況などが絡んでのことであろう。
さて弘義分社は肥料を製造し、それを農家に無利息に貸与する会社であった。肥料の貸与を受ける条件としては、斃牛馬を提供した本人とその村民に限るとした。この意図するものは、斃牛馬の情報が各村毎から得られ易いようにするためであった。情報提供者に利益が保障されることにより、弘義分社はその情報に基づいて斃牛馬の持ち主と交渉することができたからである。そして農家が肥料の提供を受けた場合は、作物収穫後に支払うことになっていた。「広告」には動物性施肥の使用法とその効果が詳細に紹介されていた。
弘義分社による斃牛馬処理は、無償を媒介としたこれまでの人の職能から、有償による組織的技術労働へと転換するものであった。「斃牛馬処理勝手令」は死後の牛馬の処理を所有者としての農民の手に任せたものであった。死牛馬を有効利用に供するか、それとも土の中へ埋葬するかは農民自身の問題で、穢れ意識とはもはや無縁のはずであった。しかし再びその労働に部落の人々が従事することになったとき、「穢れ意識」が払拭されたとは言い切れない。近代の部落差別とは、多数派の農民にとっては何であったのであろうか。
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当社社業斃牛馬化製造ノ義ハ廃物ヲ以テ他ノ有益ナル品ニ化製シ田圃草木ノ肥料ニ供シ聊御国産ノ一端ヲ啓カントシ之ヲ五穀及桑茶植物等ニ培養経験スルニ果シテ大ナル効験アルヲ以テココニ官ノ許可ヲ蒙リ本社ヲ東京浅草新谷町ニ設立シ夫ヨリ漸々内国一般ニ各分社ヲ開設セントス爰ニ官庁エ上陳シ今般地ヲトシテ大和国第四大区四小区葛城郡蛇穴村第三百九十三番地第三号弘義分社化製造所ヲ建設シ追々適宜ノ場所ニ出場所ヲ取設ケ即チ肉腸骨ノ臭気ヲ去リ骨粉ハ勿論肉腸ハ薬品ヲ以テ溶解致サセ弥農家ノ利益ヲ拡張センヲ要ス因テ地方ノ遠近ヲ問ハス斃牛馬アルニ際シ速ニ当社エ御報アラハ左ノ手続ヲ以テ取引ヲナスヘシ依テ御参考ノタメ腸肥料貸付方及ヒ経験施用法ヲ列記シ四方ノ農家エ広告ス
斃牛馬取引手続及肥料貸付概記
一 斃牛馬報知人エハ一里ニ付金拾銭宛ノ手数料ヲ払フヘシ
一 斃牛馬代価ハ予メ定メカタシ点検ノ上可成丈高価ニ引取ルヘシ
一 製造腸肥料貸付方ハ斃牛馬差出セル本人及該村ニ限リ応報ノ義務トシテ無利息貸与ヲ以テ定例トシ諸作物現収納ノ季節ニ際シ施用ノ肥料代価受取ヘキ約束ヲ定ムヘシ 但培養試験ノ為請求申出候向ハ本文ノ限ニアラス
一 右約束書ハ必引受人保証人連印ノ者ニ限ルヘク其書面持参ノ者エハ直ニ貸与スヘシ
肥 料 定 価
一 肉腸樽壱本ニ付 正味壱貫目ニ付代価金四銭五厘ノ割
一 水肥樽壱本ニ付 但樽代ヲ除キ 代価金拾五銭ヨリ金弐拾銭迄
肥 料 培 養 経 験 表
米 地積一反歩ニ付 製造腸肥用ヒシ分 普通水肥ヲ用ヒシ分
収穫籾五石一斗六升 収穫籾四石八斗六升
量目百七拾壱貫目 量目百六拾弐貫目
肥 料 分 量 肥 料 分 量
樽三本ヨリ四本迄 水肥拾弐荷ヨリ弐拾荷迄
右樽一本ニ付水明治二年五月七荷ヲ混ス 是ハ水ヲ加エサルモノナリ
最土地ノ肥痩ニヨリ適宜増減アルヘシ
但シ麦作野菜其他桑茶等培養ノ効用ハ米ノ割合ナリト知ルヘシ
桑茶
腸樽二本半ヨリ三本迄
肥料分量 右樽壱本ニ水七荷ヲ混ス 普通水肥ヲ用ユルトキハ
最苗木ノ大小地味ノ厚薄ニヨリ
拾荷ヨリ拾七荷半迄
適宜増減スヘシ
麦及野菜等 腸樽二本ヨリ二本半迄
肥料分量 右樽壱本ニ水拾弐ヲ混ス 普通水肥ヲ用ユルトキハ
最苗木ノ大小地味ノ厚薄ニヨリ
拾荷ヨリ拾三荷迄
適宜増減スヘシ
一 斃牛馬骨粉肥料製造器械落成致サスニ付化製品ノ義ハ追テ広告スヘシ右者土地ノ肥痩地味ノ乾湿ニヨリ異同アル故ニ宜シク注意斟酌スヘシ又腸肥料ノ効験速ニ見ト欲セバ少量ノ下肥ヲ加エ用ユルトキハ最モ著シキ者トス仮令ハ桑茶ノ肥ニ充ツルニ腸樽弐本半ニ水拾八荷ヲ加エ下肥壱荷トヲ加ユル類其他ノ割合是ニ準スル者トス