調査研究

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大阪の部落史通信・20号(1999.12)
『大阪の部落史』第七巻、刊行

渡辺俊雄(大阪の部落史委員会企画委員)

はじめに

 『大阪の部落史』第七巻(史料編現代1)が、このほど刊行を見た。『大阪の部落史』の編纂事業は一九九五年から始まっていたが、第七巻は第一回の配本となる。
都府県別の部落史の編纂は、すでに京都・奈良・和歌山などで取り組まれてきた。大阪では各地域ごとの部落史編纂が先行して多くの成果をあげているが、大阪府全域を視野に入れての部落史編纂は今回が初めてのことである。

 ところで、第七巻は一九四五年の日本の敗戦以降、いわゆる「高度経済成長」が本格的に始まる一九六〇年までの現代を対象とする。これまでに、この時期を対象として、運動史・教育史・行政史と限定した史料集が大阪でも他府県でもいくつか編纂されているが、部落史全般を対象とする本格的な史料集の編纂は、都府県単位では初めてのことである。

 第七巻は、いずれも新規史料を中心に構成されており、九つのテーマで編集されている。これまでの通説にとらわれることなく、多様な現実をできるだけ反映するように、掲載する史料を検討した。部落と在日韓国・朝鮮人や、市町村合併といったテーマを独立させたのも、新しい試みである。従来の通説をくつがえす史料も数多い。

第七巻の概要

 戦後、一九五〇年代までの大阪の部落は、確かに貧困で不就学も多く、皮革・食肉などの部落産業が存在した。同時に、日本社会全体がそうであったように、部落にも旧来からの共同体が機能していた。また部落に住む人びとの意識も保守・革新など多様だった。また部落には多くの在日朝鮮人が住んでおり、仕事などで重なる部分も多かった。

 部落を取り巻く社会意識には、「部落はこわい」「部落とわかれば、結婚しない」あるいは悪いものを「特殊部落」と比喩するといった、部落差別の歴史を引き継いだ差別意識が、色濃くあった。部落の中では、部落は経済的に貧しいだけでなく、早婚が多いことなど文化的にも低位であるとの認識があった。その他方で、女性や障害者など他の被差別者への差別意識も厳しかった。

 部落差別をなくす運動には、初期には戦前の同和奉公会との連続も認められる。大阪府レベルでは解放委員会や青年同盟、同和事業促進協議会が組織されたが、それぞれの地域では、親睦会や青年会・婦人会・自治会などが地域のさまざまな要求を組織し、地域の利害を体現していた。一九五〇年代の後半になって、ようやく住宅や教育、生業資金を要求する大衆的な運動が始まっていくこととなる。

 同和行政は戦時下の取組みを継承しながら、徐々に始まっていった。同和教育について言えば、大阪は「不毛地帯」と呼ばれながら、各地域では先進的な実践があった。しかし「同和対策審議会答申」が出されるまで、大阪は解放運動や同和行政、同和教育に関して、必ずしも先進地域と言えるものではなかった。差別をなくす文化の営みは、部落の内外で意外と多い。

 そして高度経済成長が始まるにつれて部落の就業構造が変化し、さらに一九五〇年代の後半に進んだ市町村合併の影響もあって、旧来の部落にも変化をもたらし、新たな解放運動や行政・教育の取組みを準備していった。
以下、テーマに即して内容を紹介する。

一生活実態の諸相 (担当石元清英)

 部落の生活実態は、これまで「劣悪な」の一言で片付けられてきた。しかし、経済的に貧困だったか豊かだったかという視点だけで部落の生活実態を語るのは一面的である。
一九五〇年代の部落では従来からの共同体が根強く生きていた。なかには戦時の隣組を引き継ぐ日赤奉仕団や婦人会・青年会などが機能し、それが部落の生活、運動のあり方をも規定していたと言える。一九五〇年代の半ばにおける大阪市内の住吉、池田市の部落の実態を記録した史料、そこに書き込まれたメモは、貴重である。

二仕事と労働の実態 (担当渡辺俊雄)

 戦後の部落の生活を支えてきた仕事と労働は、さまざまだった。農村部落では、戦後の農地改革の結果、自作農は増えたが耕作面積そのものは増加せず、農村にありながら自立できなかったことが、水本村の史料からうかがえる。
 敗戦後、路傍や露店での靴修繕なども暮しを支えた仕事だった。従来は、戦後は露店商があたかも全面的に禁止されたかのように考えられてきたが、全面的に禁止されたわけではなく、たびたびの警察・行政の規制・指導のもとで生き延びていった。金属くず商も大阪府条例が制定されて取締りが厳しくなったが、条例制定時には行過ぎた取締りがないように注意することなどの付帯決議がなされていた。こうした事実も、あまり注目されてこなかった。その他、食肉・皮革・靴製造・人造真珠・竹簾などの関係史料も掲載している。

三部落と在日韓国・朝鮮人 (担当梁永厚)

 戦前から、部落と在日韓国・朝鮮人との関係は深い。大阪でも、かなりの人数の在日韓国・朝鮮人が部落に住んできた。戦後も同様であるが、部落に住む在日韓国・朝鮮人の実態、部落民と在日韓国・朝鮮人との共生・相剋の姿を示す史料は少ない。一九五〇年代の後半に、和泉の部落を在日韓国・朝鮮人みずからが調査したルポが、ほとんど唯一と言えるものである。

 それは、部落解放運動も行政も教育も、特別の関心を示してこなかった結果であるし、また在日韓国・朝鮮人の側にあった「在日」を過渡的な状況とする基本的な姿勢の反映もあった。しかし、実際には実態・仕事など、部落と重なる部分は多いし、今後は部落史の研究としても、避けられない課題となる。本書では、数少ない史料から、今後の研究に繋がる史料を掲載した。

四受け継がれる差別意識 (担当溝上瑛)

 部落差別は、生活実態に現れるだけでなく、社会意識としてある差別意識としても現象する。敗戦直後から、大阪でもさまざまな差別事件が問題となった。結婚の拒否や警察官による暴行事件、町長の差別発言、マスコミ(新聞)の差別記事の掲載などであった。今日ではその内容を知るすべを持たないものも多い。
 また戦後初期には、必ずしも今日のように「糾弾」闘争と謝罪という解決方法を取らず、協議・懇談による解決を目指していたこともわかる。

五多様な運動の再出発 (担当渡辺俊雄)

 従来、戦後の大阪の解放運動は部落解放青年同盟から始まったと考えられてきたが、実際には青年同盟の結成に先だって部落解放委員会の大阪府連ができていた。また同和事業促進協議会が大阪府・大阪市に組織されたことも、戦後の大阪の特徴であるが、その同和事業促進協議会結成のきっかけになったとされる北摂山荘での講習会の内容を示す新しい史料も見つかった。
 部落差別をなくす運動は、必ずしも部落解放委員会あるいは部落解放同盟によるものだけではなかった。部落には共同体のさまざまな規制があり、部落そのものが多様だったし、部落のなかの意識は決して革新一色であったわけではなく、運動が多様だったのは当然のことであった。
 運動体の史料から読み取るべきことの一つは、他の被差別者への当時の認識である。部落へ転入してくる「浮浪者」を好ましくないとしたり、アメリカ軍基地の近くで働く女性を「パンパン」と呼び、「パンパンを入れぬ浴場を」といった記述は数多くある。ひるがえって部落じたいを経済的に貧しいのみならず、文化的に低い所と見る自己意識は、解放運動ではほぼ一貫している。そうしたなかで、一九五五年に開催された部落解放同盟の大阪府連大会の「討議資料」に見られる、部落にある独自の生活や文化を大事にすることが文化運動の課題だと指摘しているのは、特筆される。

六同和行政の継承 (担当里上龍平)

 戦後の同和行政の取組みが全国的にはオールロマンス事件から、大阪では一九五一年に起きた南中学校の差別事件あるいは大阪府同和事業促進協議会の創立から始まったというのも一つの通説であった。事実は、大阪市では一九四六年から、大阪府でも一九四七年から、すでに同和行政は始まっていた。それは戦前・戦時下の事業を引き継ぐものであり、本章の表題も「同和行政の継承」とした。
 また大阪市で本格的な同和予算が市議会で議論されたのは、通説のように同年一二月ではなく、一〇月の市議会であることも明らかになった。一九五五年代の後半になって、ようやく同和行政の機構・組織も整備されていく。

七同和教育の取組み (担当赤塚康雄)

同和教育の分野は、戦後の大阪は「不毛地帯」と言われていた。同和教育関係の史料は、過去に編集された『大阪同和教育史料集』全五巻に詳しい。
しかし、そうしたさまざまな限界を含む実践の中にも、今日に繋がる教訓がある。水本村や四条村、堺市などで、先駆的な取組みが行なわれていた。

八部落内外の文化の営み (担当溝上瑛)

「人権文化の創造」は近年の関心事だが、部落差別のない社会をつくろうとする努力、差別意識を克服しようとする試み、そのための情報発信は、戦後の早い時期から行なわれていた。部落解放運動は政党・労働組合・文化団体と懇談し、青年たちは地域で機関紙を発行して意見をのべ、栗須喜一郎のように詩歌を作ったりもした。
部落外では、「破戒」の映画・演劇の上演があり、解放運動も協力した。これまでにあまり知られていなかったマスコミ(新聞・ラジオ)や映画(「人間みな兄弟」など)の製作、高校生・大学生の取組みなどもあった。

九市町村合併をめぐる問題 (担当渡辺俊雄)

 市町村合併の問題は、その過程でしばしば差別事件が起きたことで注目されてきた。本書に掲載した旧矢田村、旧富田町、旧八坂町、旧水本村の場合でもそうだ。しかし重要なことは、差別事件が起きたことだけでなく、共同体の結束がゆらぎ、それまでの部落の姿に大きな変化をもたらしたことである。それは高度経済成長と並んで、注目すべきである。

(大阪の部落史委員会編、部落解放・人権研究所刊、A5判四八五頁、定価一二〇〇〇円+税)