調査研究

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大阪の部落史通信・20号(1999.12)
富田の部落史編集委員会編

『北摂の炎 未来へ−高槻富田の部落史−』

村上民雄(富田の部落史編集委員会)

 高槻富田地域は、大阪府の北東に位置し、古来から良質の米の産地として知られ、大規模な荘園や惣村、環濠集落などが形成されてきた。また、室町期には、一向宗の北摂の拠点として栄え、教行寺、本照寺などの寺内町が形成された。本照寺は、江戸時代に、西日本の部落寺院の総本山的な役割をもった寺の一つとして著名である。

 被差別部落の形成は、検地帳の分析などから、江戸初期の延宝年間ころだと思われる。部落の形成理由は明らかではないが、一向一揆や寺社との関連、大阪北部の産業・政治・文化・交通の中心地の一つであった点などがその背景としてあるのではないかと考えられている。江戸時代は、零細な農業とその副業(草履づくりなど)で生計を立てていたが、明治期になると行商がさかんとなり、やがて行商から発展した植木業が地域産業として定着する。「よろず屋の行商」と「富田の植木」は、富田地域を特徴づけるものである。また、富田は、音曲などの「芸能の村」としての特徴ももち、江州音頭の音頭取りや大衆演劇の役者などを多数輩出している。

 部落改善運動や融和運動などが比較的早くから展開され、とりわけ佐竹敬太郎を中心とした融和教育の実践は、後の同和教育運動に大きな影響を与えた。全国水平社の支部(富田水平社)も、北摂では岸部についで結成され、活発な活動をおこなった。戦後は、地域産業としての植木業確立の闘い、部落大衆の立ち上がりと行政闘争・糾弾闘争、地域教育運動の展開など、先進的・主体的な解放運動が展開されてきた。

 富田地域の部落史については、これまで、高槻市が編纂した『高槻市史』や『高槻の部落史』をはじめ、支部関係・学校関係などのいくつかの冊子・聞き取り集があったが、それらは、富田地域に限定した総合的・系統的なものではなかった。そこで今回、小学校・中学校・高校の教師や青少年センターの職員などを中心に編集委員会を組織して、これまでの資料などを集大成し、教育・啓発用に再編集した。今回の編集にあたっては、次の点に留意して記述をおこなった。

1. 地域の部落史として、地域の歴史が一望できる系統的・総合的なものとした。
2. これまであまり取り上げてこられなかった中世の部分について、富田寺内町や一向一揆、真宗寺院との関連などついて、比較的くわしく取り上げた。
3. 既存の研究をもとに、できる限り部落の成立の背景に迫ろうとした。
4. 江戸時代については、これまで、差別の実態が強調されることが多かったが、差別的な事件(本照寺詫び状や左義長の一件など)から、部落の人たちの主体的な闘いと生きざまを読みとることを大切にした。他の民衆との連帯も取り上げた。
5. 近現代については、状況に柔軟に対応した闘いや運動の工夫、独創的な仕事や生活の工夫、教育分野などでの先進的な取り組みなど、富田地域の特徴や創造性・先進性に着目した。とりわけ、改善運動や融和運動など、これまで否定的にみられがちだった運動についても部落の人たちの主体性や先進的な面に注目し、積極的に学ぶ観点を大切にした。
6. 部落の生活や仕事、差別への思い、闘いなど、具体的な生の声が伝わるよう、聞き取りを多く収録した。富田地域の特徴である文化・芸能に関する聞き取りも収録した。

(解放出版社、一九九九年一二月刊、A5判三〇一頁、定価二〇〇〇円+税)