調査研究

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大阪の部落史通信・20号(1999.12)
新聞記事と部落8

大道芸と人身売買

小田康徳(大阪電気通信大学)

 『朝日新聞』明治十八年二月十日付に次のような記事が掲載されている。角兵衛獅子親方の子殺しに関する事件を報じるものだが、こうした大道芸人のあり方を窺う上で貴重な史料となるのではないか。

○獅子子を殺す・・・ 獅子は猛獣にして吾子を千尋の澗に蹴落し、以てその強弱を試むるとかや。今爰に一頭の獅子ありて其子を試るは偖置き、遂に打殺すに至りし残刻極る一話あり。愛知県下三河国額田郡岡崎康生町二百四十五番地平民福岡菊次郎(五十五年)ハ在所にて四、五名の小児を貰受け角兵衛獅子を仕込み、小歌に唄ふ如く親子連れにて国をいで、諸方を遍回、その小児達に獅子を冠つて顛倒させ、自分ハ真面目に笛を吹き、太鼓を打き、「シチヤかたばち小桶でもてこい南蛮食ても辛くもない獅子の洞入ほらがへりぢや」などゝ囃子立て、世を渡り、去冬より当地南区日本橋筋五丁目十八番地に寄留して居りしが其四、五名の養ひ子の内、尾張国知多郡半田村平民竹内某の子喜太郎(十三年)はとかくに芸道不器用にて毎夜稼業を仕舞て帰宅するが否や、食事前に稽古するの常例なるが、其度ごとに覚えあしけれバ、菊次郎ハ例も手荒き折檻を加へおりぬ。然るに去る七日の夜も例の如く喜太郎が覚えの悪しきより、菊次郎ハ甚く腹を立て、割木并に羽子板等を以て矢庭に打擲し、喜太郎が苦痛に耐かね打倒れしをそのまゝ庭の隅にうち捨おきしが、翌八日の朝に至りて見れバ、喜太郎は全く絶命しておりければ、さしもの菊次郎も一時ハ大きに驚きしが、尚大胆にも尋常病死の手続を以て埋葬をせんとせしも、天鑑愆たず、早くも南警署の聞く処となり、親獅子たる菊次郎ハ忽ち拘引され、目下取調中なるが、子獅子の喜太郎の死体にハ、頭部に十八ヶ所、総身に十九ヶ所、大小の撲傷摺傷あつて、身うち総て紫色を呈し、すき間もなく充血しておりしと。親獅子たる菊次郎の残酷なる所業、実に憎むにあまりあり。人身にして獣行とは夫これらの謂歟。 br>  角兵衛獅子といえば、私などはすぐに子供の頃見た映画、鞍馬天狗を思い出す。主人公鞍馬天狗が愛しんだ少年こそ角兵衛獅子の子供杉作であって、その活躍に胸を躍らせたものである。また、この杉作役を演じた少女時代の美空ひばりには、角兵衛獅子を主題とする歌があって(題名失念)、「笛にイ吹ウかれて〜逆立アちす〜れ〜ば」という歌詞が、哀愁にみちたメロディとともに浮かんでくる。映画鞍馬天狗の中では、杉作は養い親(名前は失念)とも相性よく、町角で芸を見せて、くらしを立てながらも、二人そろって鞍馬天狗を助けていたように思う。しかし、いま考えると、この角兵衛獅子の生活についていったいどんな知識を得ていたのであろうか。右にあげた新聞記事は、明治十八年という時期における角兵衛獅子のくらしぶりを垣間見させてくれるのではなかろうか。

 角兵衛獅子は大人の親方一人が、どんな手蔓か、子供を数人手に入れて養いながら、日本の各地を遍歴していたのである。この記事では、親方は愛知県三河国の人間である。彼が折檻して殺してしまった小児は同じ愛知県ながら尾張国出身である。親方は、自分の出身地の近くを回って子獅子をつとめる子供を養子にもらい、彼らを育てながら芸を仕込み、生計を立てていたことが分かる。

 この場合、親方と子供は養い親と養子というように、法的な親子関係を結んでいたことが考えられる。そして、この親子関係を結ぶにおいては、おそらくいくらかの金銭の授受が親方と実の親との間にあったのであろう。その金がいわゆる子供の身売り金(あるいは「身の代金」)ということになるのであろう。角兵衛獅子の一組はこうして作られたのではなかろうか。彼らの間では、親方は業務の監督者でもあるとともに、親権者でもあったものと思われる。だからこそ、子供の死に際して埋葬の手続きも行うことができたし、また実際に行ったのである。

 親方と相性の悪かった子供にとって、この仕組みは実に厳しいものであったに違いない。親方のもとを逃げても、法的な関係から自由になることはできなかったと思われる。要するにこれは人身売買であり、こうした関係を築くことによって職業にありつく仕組みが明治においても生きていたことを示している。

 それにしても、角兵衛獅子のくらし自体は、つらいものであったのに相違ない。愛知県の人間が、大阪南区日本橋筋五丁目(通称名護町)の貧民地区に滞在するようになったのはいつものことであったのだろうか。いろいろなことが思われてならない。

 なお、この記事中には、角兵衛獅子の演技中の囃子ことばも紹介されている。これもまた、興味深いものであろう。検討すべきことかと思う。