調査研究

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大阪の部落史通信・20号(1999.12)

トラホーム

里上龍平(大阪の部落史委員会事務局)

 トラホームという慢性の流行性眼病は、今日ではもはや過去の病気となったが、戦前では、衛生設備や衛生思想が普及していなかったこともあって、罹病者が多く、とくに不衛生な環境におかれていた被差別部落では、トラホームにかかった人の率が高かった。

 トラホームにかかった人がどれぐらいいたかは、一八七九(明治十二)年の徴兵検査で受検者の二三%、それから三六年あとの一九一五(大正四)年では一八%となっており、「トラホーム予防法」が制定された一九一九(大正八)年には一〇〇〇万人の日本人がかかっていたといわれる。ちなみに、翌年の第一回国勢調査によれば、全国人口は七、七〇〇万人である。

 一九一三(大正二)年三月十三日付の『大阪毎日新聞』は、泉北郡舳松村(当時の戸数五四三、人口二、三〇〇人)で実施された、済生会によるトラホーム治療についての記事を掲載している。それによると、「大阪府警察部衛生課にては、今回府下に散在せる部落民の改善方法につき調査中なるが、第一着手として」舳松村の部落民のトラホーム患者の治療を行うという。そしてその結果、来診者二、〇六五人のうち重症者三五七人、中症者三九〇人、軽症者八一八人(筆者注=罹病者計一、五六五人、来診者の七五・八%)が発見され、目下治療を施していると伝えている(同紙、大正二年三月十五日付)。

 次に、翌四月には、大阪市北区の部落でもトラホーム患者に対する治療が行われた。

 すなわち、所轄の曾根崎警察署は部落の「住民七百名中その大部分が殆ど猛烈なるトラホームに罹り居れるを発見して、衛生上棄置き難きことなりと、武田署長は直に吉津警察医を派し調査せしめたるに、驚くべし七百名中四百五十人は慢性トラホーム患者」であった。乳呑児の中には失明に近い状態のものがいたり、高齢者は多年手当てをしなかったため、大方の者は余病を併発している模様であるので、署長は大阪病院の医師四名の出張を乞い、町内の寺院で患者に強制的な手当てを加えた(『大阪毎日新聞』大正二年四月三十日付)。

 このような診療は大阪市内の部落で順次行われた模様である。このことを報じた『大阪毎日新聞』の大正二年九月二十二日付の「トラホーム撲滅難」と題する記事は、「トラホームの巣窟たる特殊部落」との認識のもとに、次のようにいう。

 「元来トラホームは病原体の不明なると、他の動物には感染することなき人類特有の疾病なるがため、学者が百方苦心せるに拘はらず、之に対する免疫法を発見するに至らず。要するに之に罹らざらんがためには、手指、手拭、用水等の清潔なるを選ぶの外なく、随つてそれらの心がけ乏く又実行し難き生活状態にある細民社会に伝染したる上は、之を撲滅すること容易ならず。斯くして漸次蔓延し広く中等階級までを侵し、更に小学児童間に伝播するに至りたる訳にて、今日は殆ど手のつけやうなき有様となれり。