調査研究

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大阪の部落史通信・21号(2000.3)
戦争と方面委員
―『復刻・戦時下大阪府方面常務委員会議事速記録』を読んで

里上龍平(大阪の部落史委員会事務局)



 本書は、大阪府方面常務委員会の一九四二(昭和一七)・四三・四四・四五年の議事速記録を活字にしたものである。これはちょうど、太平洋戦争の開始から敗戦に至る戦時体制下の時期に当たる。

 方面委員制度の組織・活動およびその変遷については後述するとして、方面委員制度は今日の民生委員制度の前身で、方面の数は一九三九年には大阪府内で一五〇あった。各方面には、方面委員が一〇名以上と、方面常務委員一名が置かれた。その他、戦時中には一方面三〇人以内の方面協力委員も置かれた。

 方面常務委員は府幹事とともに方面常務委員(聯合)会に組織され、月一〜三回の委員会が開催された。そこでは主として順番に担当方面の「方面取扱事例」(一回に一〜四例)が報告されて、それをめぐっての質疑応答などが行われた(研究)他、大阪府からの指示、調査依頼や諮問、常務委員会としての協議がなされたり、要望や意見具申などが行われた。

 方面常務委員会は毎回の委員会毎に速記録をつくり、それを年毎にまとめて方面委員関係の規程、設置区域表、委員名簿、カード戸口・人口表、救護取扱件数、方面事業日誌などとともに『大阪府方面委員事業年報』という印刷物にして、これを公にした。『年報』は発足翌年の一九一九(大正八)年から毎年出されてきたが、公刊されたのは一九四一年までであった。したがって今日まで、一九四二年以降の方面委員および方面常務委員会の動向を知る手がかりがなかったのである。

 今回、近畿地域福祉学会大阪方面委員活動史料研究会の手で、戦時下の大阪方面常務委員会議事速記録が印刷されて、私たちが容易にその内容を知りえ、研究に利用できることになったことは、望外のよろこびであるとともに研究会の方々のご労苦を多としたい。

 本書は、上下二段組み一〇〇〇頁にもおよぶ大冊で、一九四二年一月から一九四五年一〇月までの月々(開催されなかった月も少しある)の方面常務委員会の速記録、講演会・講習会の記録に加えて、編集に携わった方々の座談会および、「戦時下方面委員活動と政策・実践問題」(永岡正己)、「方面委員制度・組織の変化について」(山本啓太郎)、「救貧制度・実践をめぐって」(石井洗二)、「方面委員による活動内容の分析と評価」(松端克文)の四本の論文が併載されていて、私たちのこの期の方面委員制度とその活動についての理解を、深めてくれるよすがとなっている。ただし、本書は常務委員会の速記録であって、これで方面委員の活動の全貌がわかるわけではない。しかし方面委員活動を反映した記録であることは明白で、史料としての限界はあるものの、その価値は十分あるものと思われる。



 方面委員制度は、大阪府で米騒動直後の一九一八(大正七)年一〇月に発足した。これより前、この年の五月に大阪府に救済課、七月に大阪市に救済係が設置された。第一次世界大戦中の産業構造の変化やそれに伴う社会変動・社会問題に対応して、大阪府・大阪市は救済事業の整備・強化の必要性を感じていたことが、このような動きとなってあらわれたものと思われる。

 方面委員の担当区域は大体小学校区を一方面とし、一方面に方面委員一〇名以上、常務委員一名が知事より委嘱された。そして方面委員は無給の名誉職であった。方面には事務所が設置され有給の書記が置かれた。発足当初の方面は一六、すべて大阪市内であった。方面委員の任務は次の諸項目である。

1. 一般生活状態の調査のため、部内の巡視・家庭訪問を行う
2. 各種公共機関との連絡によって一般生活状態の真相を明らかにする
3. 調査の結果をカード式台帳に記入する
4. 家政・育児その他について、相談に来る者はそれに応じ、それのみでなく進んで相当の指導・助力をはかる
5. 一般住民が諸届を励行するよう常に注意する
6. 妊産婦・嬰児の健康保全に周到な注意を払う
7. 生活困難と認めた者に対しては、先ずその原因を調査してこれを取除く方法を考える
8. 救済の必要を認めたばあいには、敏速にその手続をし、受給されるようになったばあいには、一日も早くその境遇を改善するよう指導する
9. 公私各種の救済機関と親密な連絡を保って、ことに当たって敏活にして機を誤らない措置をとる
10. 市場、購買組合、金融機関等を利用して生活の安定をはかる他、労働者階級の主婦等に対して家政についての知識の普及の途を講ずる
11. 少年少女の職業・労働に格段の注意を払って、少年少女の健康・風紀および経済的能力の保全に努める
12. 済生会発行の施療券の配給、窮民救助、行旅病人の取扱い、感化法の施行関係に関する郡区役所・警察署主管の事項は、追ってその全部または一部が方面委員に委嘱される筈

(「方面委員に関する参考事項」一九一八年)

 方面事業は「社会測量」(方面委員制度生みの親・小河滋次郎の言葉)を行って、調査の対象者である貧困者を、第一種(極貧者)、第二種(次貧者)に分類した。「第一期調査要項」によると、「第一種は独身にして自活の途を得ざるもの、独身にあらざるもその扶助者なく自活の途を得ざるもの、および疾病その他の事故により自活困難なる貧困者とす。第二種はおおよそ家賃七円、収入二十五円迄を標準とし、家族の員数、職業の安否、生活の状態等を斟酌し、家計余裕なき者とす」(原典片仮名)となっている。そして調査したこれらの人々の生活状態が台帳カードに記録された。ここから「カード階級」という言葉が使われるようになった。ちなみに、一九一九年末現在で、栄方面の第一種は八二戸(総戸数の二・六%)、第二種は九二二戸(同二九・五%)であった。

 方面委員制度は当初は法的な裏付けにとぼしい制度であった。そのためその運営資金は、最初は米騒動の際に行われた米廉売のための資金の余剰をもとにして組織された、財団法人大阪府方面委員後援会の後援によって、のちには有志者の寄付によって、まかなわれたのである。

 また、貧困者に勤倹貯蓄をすすめ、同時に低利で資金を融通するために、一九二〇年に大阪庶民信用組合が設立された。

 方面委員制度は大阪府を皮切りに、大正から昭和にかけて全国各道府県、六大都市に設立されていった。これはたびたびの恐慌とそれによる失業・貧困の拡大の結果、扶助対象人員が急速に増加したことによるものであった。しかし、これには一八七四(明治七)年制定の「恤救規則」では対応できなかった。そこで、公的扶助の責任の明確化と、その拡大を規定した法律が強くのぞまれた結果、一九二九年に「救護法」が制定され一九三二年から施行された。救護の種類は生活扶助・医療・助産・生業扶助の四種類であった。また、一九三六年には勅令で「方面委員令」が公布され、方面委員制度が法制化されるに至った。



 一九三七年(昭和一二)に日中戦争がはじまると、戦時体制に即応して国家総動員がはかられた。そのため「戦時厚生事業」が推進される。そこで方面委員制度・活動は二つの課題に直面させられることになる。一つは、一九四〇年に国策の上意下達をはかるために、地方行政の補助機関として組織された部落会・町内会、隣組との、町や村の「世話役」としての活動における競合関係、今一つは、戦力の保持増強のための軍事援護事業、軍需生産増強のための徴用援護事業への関与であった。

 前者については、方面委員制度解消論もあったが、一九四〇年十一月の厚生省社会局長・内務省地方局長連名の地方長官宛通牒で、両者の併存・連携の方針が明示された。

 後者については、元々方面委員制度は、国家活動との積極的な関連がうすく、個人的であり、かつ社会連帯意識にもとづいた防貧・救貧活動を基調とする性格の強いものであったため、ここにおいて国家的要請にもとづいて「職務範囲の整調」がはかられることになった。これによって方面委員も国策に協力することになる。その結果大阪では、「第一期事業」につづいて「第二期事業」として貧困者救助・軍人遺家族援護等をその任務とした「厚生票」(所得税免税点以下の収入の世帯)、「名誉票」(戦・病死者の遺族、傷痍軍人の家庭等で援護を必要とする世帯)が採用されることになる。ちなみに、戦時下で国民生活の窮迫はますます深刻なものになって、従来の第二種カード世帯とそれに近い世帯との区別がつけにくくなった、との報告が本書でみられる。「準カード階級の増加」といわれたゆえんである。

 このような方面委員活動の拡大・変容は、本書でも次の点に反映されている。方面常務委員会で報告された「方面取扱報告」全六六件(一九四四年一〇月まで)によると、軍事援護事業関係五件、徴用援護事業三件となっている。それでも、従来の方面委員の活動領域である母子扶助(一九三八年から「母子保護法」が適用された)、医療保護(一九四一年からは「医療保護法」が適用された)、生活保護、その他の援助・救助事業がいぜんとして多く、しかもその大部分は医療保護を伴っていることが注目される。すなわち、国策に協力しながらも方面委員としての生活困窮者救済という本来の仕事に力を入れており、またそのことの自負を持っていたことが本書からもうかがわれる。

 そうはいうものの会議の話題は徴用・軍事援護が大きな部分を占めるようになり、とくに一九四三年に方面委員が応徴士相談員を委嘱されてからは、徴用問題が顕著になる。
 さらに戦局が緊迫し空襲の危険が迫ってきた一九四四年後半以降になると、「戦時災害保護法」(一九四二年施行)の適用問題が協議の中心に坐ることになる。

 一方、月例の方面常務委員会において個々の事例(個別援助)にもとづく「方面取扱報告」はしだいに後景に退いて、「集団行事」と他府県視察が重視され、その報告が大部分を占めるようになった。「集団行事」の例として、健康相談所の開設、妊産婦の保護・乳幼児の指導保護、転業相談部の活動、要保護少年の重要産業への職業斡旋、結核予防のための保健指導員の委嘱など(「方面事業処理報告」)が報告されている。そして一九四五年になると委員会もあまり開かれなくなり、実質的な議論も影をひそめることになる。

 本書を通読してみて、軍事優先の国家総動員体制下で、方面委員は国策協力の第一線に立たされ、本来の仕事としていた、広い意味での生活困窮者救済の問題がしだいに軽視されていきながらも、それでもなお、慈恵的な色あいを持っていたとはいえ、初心を完全に失ってしまうようなことがなかった、といえよう。それは本書での方面常務委員会での方面常務委員の報告・発言の多くが、いたずらに精神主義に陥らず、地域に根ざした具体的なものであったことによってもうかがわれるのである。

(近畿地域福祉学会大阪方面委員会活動史料研究会『復刻・戦時下大阪府方面常務委員会議事速記録』一九九九年八月十五日発行)