二月十日、宮田登さんが急逝された。もはや、どのような問いを投げかけても、彼は答えない。答えは遺された著書の中にしかない。
彼の主著書は『ミロク信仰の研究』(未来社、一九七〇年)である。「歴史とは問題解決過程であり解決された部面と解決されずに今日まで累積してしまったような部面とがある。解決されずに累積してしまったような生活現象が伝承で、この面を考究するのが民俗学だ」と彼の師和歌森太郎は言った。それを引用し、彼は民俗語彙として「ミロク」を仮名書きし、全国各地に展開する「ミロク伝承」を精密に追っていく。ここ何年かの、彼の著作にのみなじんでいる者には、予想もされぬ具体的な作業である。
一九九五年、私たちが『被差別部落の民俗伝承・大阪』を出版した時、その記念シンポジウムに、彼は駆けつけ参加してくれた。その時私の心に灼きついたことがある。会が始まる前、控室で彼はできあがった本を手にして、ホウソウ送りの口絵写真(上巻)の前で立ちどまった。「ああ、こんな習俗があるのですね」と初めて見る面もちでそれに見入った。その顔が忘れられぬ。彼ほどの民俗学者になれば、ホウソウ送りの事例など数多く見ているにちがいない。しかし南方のおばあさんが作ってくれたこの事例の前で、彼は立ちどまる。私たち人間解放の文化研究をいう者が、まだかならずしもこうした事例の意味に気づかないことが多いだけに、いま彼のような稀少な民俗学者の死は惜しまれてならない。
死の二ヶ月前、私たちは沖浦和光と彼の対談『ケガレ・差別思想の深層』を手にしている。この中で、彼は「ハレとケガレがセットとして一体化した文化体系を想定して、それがアニミズムに沿ったものの発展形態ではないか」という重要な問題提起をしている。にもかかわらず、ふたたび〈ハレ・ケ・ケガレ〉という三極循環論にもどってしまう。「解決されずに累積してしまったのが伝承で、これを考究するのが民俗学」なら、部落差別こそまさに「伝承」の問題である。
もっと被差別部落へ足を運んでほしかった。そしてそのフィールドワークの成果を、『ミロク信仰の研究』のような本格的な仕事として定着してもらいたかった。
人の死のあとには、いつも悔いが残るが、残された私たちは痛切にそのことを思う。