調査研究

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大阪の部落史通信・22号(2000.6)
『新修泉佐野市史』第一三巻

絵図地図編の発刊によせて

近藤孝敏(泉佐野市教育委員会社会教育課学芸員)

 近年、土地に刻まれた歴史を視覚的に読み解く手近な歴史資料として古絵図や古地図が見なおされつつあり、また研究者や市民からその発掘や紹介・提供を要望する声が日増しに高まってきているように思う。しかしながら、これまで特定地域に残った絵図・地図類がまとまったかたちで紹介され、地域に則して比較検討された事例はいまだごくまれで、自治体史(特に市町村史)においてもこれらを集めて公刊した例はまだまだ数少ないといってもよかろう。

 こうした絵図・地図をめぐる現状の中で、泉佐野市は、一九九三(平成五)年度以降、足かけ六年間にわたる市史編纂事業の成果の一つとして、昨年、泉佐野市史編さん委員会(委員長小山靖憲帝塚山大学教授)の編集で『新修泉佐野市史』第一三巻・絵図地図編(以下、『絵図地図編』と略す)を刊行した。次に、その概要を紹介したい。

 同巻は泉佐野市に関する絵図や地図等を歴史資料としてひろく公開・提供することを目的に編集されたものである。体裁は、収載図類を写真図版にした「絵図集」、大型図版を帙 (函)に納めた「別録」、図類を紹介・解説した「解説」の三部仕立てとなっている。

 「絵図集」では詳細な図面や広域図に対して全体写真の外に部分拡大写真が掲載され、また「解説」では絵図すべてにトレース図を付け、さらに現地の地形図や現況写真・参考図表等を多く掲載して、描写内容や描かれた地域の現状、図類の史料的性格が分かりやすいように工夫してある。

 収載図録は絵図四七点・地図一〇点・空中写真等七点、合計六四点に及ぶ。またその種類も、有名な中世荘園絵図である日根荘日根野村絵図二点をはじめ、近世の国絵図、村絵図や浦浜絵図、争論関係図、近代の地籍図や地形図、戦後の空中写真・衛星写真など、実に多様である。

 『絵図地図編』の内容については、監修に当たられた編さん委員会絵図地図部会の出田和久部会長(奈良女子大学教授)をはじめ、執筆者各位の研究者としての並々ならぬ努力と熱意によるところが大きいことは言うまでもないが、併せて絵図地図部会で永年地道に積み重ねられてきた共同研究の成果が結実したものだということも忘れてはなるまい。ともあれ、本巻には最新の歴史地理学の研究成果や地域史研究の到達点が随所に盛り込まれたものとなっていると思う。

 ところで、こうした絵図・地図等を歴史研究の俎上にのせ、また歴史資料として紹介・公開していく上で、部落問題を含む地域社会に現存する差別や偏見等の人権問題は、真正面からとり組まなければならない課題であろう。

 泉佐野市でも、市内に三か所の同和地区が存在することもあって、この問題が市政の重要課題として位置づけられてきた。一九九三(平成五)年の「泉佐野市における部落差別撤廃とあらゆる差別をなくすことをめざす条例」制定も、その取り組みの一環である。

 『絵図地図編』刊行に先だつ一九九六(平成八)年、泉佐野市史編さん委員会でも、人権問題に関する基本的な態度と方針を確立するため、編さん委員会内に人権問題小委員会が設置され、「市史編さん事業における人権問題についての基本姿勢」および「同和問題に関する歴史資料の取り扱いの基本原則」の両案が起草された。

 すなわち、両案では現代社会の様々な差別の撤廃に努力することが市史編さん事業でもとり組むべき課題であるとし、「さまざまな差別が歴史的に形成され、変容を遂げてきたもの」と認識して、「歴史資料に記録された差別的な内容は、あくまで史実として捉え、自治体史の存在意義である地域の歴史の掘り起こし及び住民への伝達のため、史実の究明に努めていく」ことを宣言した。

 そして、右記のような人権問題に対する原則の下で、また地元の充分な理解と了承を得た上で、『絵図地図編』では基本的に絵図・地図類に描かれた賤称や地名をありのまま掲載し、その正確な考証と背後にある

 地域社会の歴史的問題を検討・究明した解説を付けるという方針を立てたのである。

 その上で、一九九七(平成九)年一月以降、地元地域代表の運動団体(解放同盟樫井・下瓦屋・鶴原の各支部)や識者(部落史研究者など)、市史編さん委員会、泉佐野市・同教育委員会担当部課の関係者出席の下で、人権問題に関する説明会を合わせて四回にわたって開催した。説明会では、先の「基本姿勢」「基本原則」に対する意見交換が行われるとともに、『絵図地図編』収載の絵図・地図類が具体的に示され、賤称記載・地名をありのまま掲載することの意義如何についても活発な議論が交わされた。また図版・解説などについても、史料の解釈や事実関係に関する質疑応答が行われた。

 なかには、絵図や地図では賤称等の記載地が視覚的に示され、具体的に特定できるだけに、少なからずショックを受け、どう受け止めてよいのか戸惑う、などの感想も出されたが、全体として賤称語等の問題も含め、歴史的事実をありのまま掲載すべきだという見解で一致した。と同時に、賤称の問題や被差別身分・集落の歴史的変遷など、現代につながる人権問題の歴史は、個別的な記述に止まらず、本格的、総括的にとり上げるべきだ、とする積極的な意見も出された。

 編さん委員会近世部会専門委員で部落史研究の専門家である藤本清二郎氏(和歌山大学教授)に、全体の解説(総説)中で「絵図における身分呼称の記載について」と題して、泉南地域における被差別身分の展開・変遷を視野に入れた絵図の歴史的問題を執筆いただくことになったのも、こうした説明会での意見交換を踏まえた上での対応であった。

 また、『絵図地図編』には国絵図等の広域絵図類が含まれているので、右のような泉佐野市域での取り組みに加えて、収載図類で地名・賤称の記載がある泉州地域の各地域や管轄の行政担当部局をそれぞれ訪問し、具体的な資料を提示して同巻編集の主旨を説明した。交渉を持った地域は、貝塚市・泉南市など隣接地から和泉市・堺市、和歌山県下にまで及んでいる。そのほか、大阪府内の関係団体や諸機関、また資料所蔵者等にも説明・相談を行ったが、おおむね問題なく了解を得られた。もちろん、これで充分だったとは言えないが、できる限りの対応がとられたと思う。

 以上の過程を経て、ようやく『絵図地図編』発刊に漕ぎ着けたという感が強いのであるが、考えてみれば、地元住民の賤称等に対するぬぐいがたい抵抗感や、いまだ癒されぬ、そして現在も続く差別への思いに鑑みると、こうした手続きは当然だったといえる。まずは地元に足を運び現状を自らの目でしっかり把握すること、地元住民の声や思いをできる限り受け止めつつも、ひるむことなく地元に問題に関する具体的な提案(ここでは賤称や地名をありのまま掲載した絵図・地図類の公開・刊行すること)を粘り強く投げ返していく。市民から託された課題の重みに真に応えていくためにも、意見の違いはあっても、こうした積極的な対話と合意への努力が、今まさに必要とされているのではあるまいか。

 またその意味でも、絵図・地図を含む歴史資料における賤称語等のとり扱いに関して、「その史料が公開・発刊されたときのマイナスの影響と正しい解説を付すことで目覚める人たちもいることのプラスの影響、そしてまた、研究にとって、その史料の一部を削除したために史料が不完全なものとなることがもたらすマイナスの影響とあえて完全な形で公開することがもたらすプラスの影響などを全体として評価し、具体的な措置を判断する」ことが必要だとする渡辺俊雄氏の見解(『現代史のなかの部落問題』解放出版社、一九八八年)は、今日も有効な見識だと考える。現在も二の足を踏むきらいのある絵図や地図のとり扱い、それに止まらず自治体史の編纂事業や史料公開についても、前述のような姿勢をもとに地元住民の思いを受けとめるとともに確固とした見識を示すことが問われているように思う。

 同巻の編集に携わった者として、個人的な雑感めいたことを書き連ねた。お許し願いたい。