調査研究

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大阪の部落史通信・22号(2000.6)
西中島村の町制施行に伴う諸問題
−大阪市公文書館所蔵文書から−

久保在久(大阪の部落史委員会委員)


 西成郡西中島村(現東淀川区)は、一九二二(大正一一)年九月一六日、西成郡役所に対し、同村を町に昇格させたいとする伺文書を提出した。これに対し郡役所は、翌二三年四月一二日付で同村長宛てに、次のような回答を行ったが、その中で許可条件の一つに「細民部落の改善」に触れられているので、町制施行に至る顛末と併せて紹介する。

客年九月一六日西中議第一五七号ヲ以テ内議ニ係ル貴村ヲ町ト為スニ付 左記事項ニ関シ御意見承知致度此段及照会候也

一、小学校ノ設備完全ナラズ殊ニ教室不足ノ結果制限超過ノ児童数ヲ収 容セル学級誠ニ多シ此ノ際校舎ノ改築ヲ断行シ且内容ノ改善ヲ期スルヤ否ヤ

二、細民部落ニ対シ何等ノ施設アルヲ見ズ此際特ニ改善施設ヲ画策シ隣 保相互ノ実ヲ挙ケルヤ否ヤ

三、大字南方、山口、川口等漸次発展シツヽアル部落ニ対シ速カニ上水 道ノ設備ヲ為シ飲料水供給ノ方策ヲ樹ツルヤ否ヤ

四、大字柴島、浜ノ区域ハ村ノ中枢地タルニ拘ラズ街路狭隘ニシテ屈折 多ク町衢ノ体裁甚ダ挙カラサルヲ認ム将来之ガ地区ノ整理改善ヲ行フヤ否ヤ

五、村費ヲ各大字ニ按分費消スルヤノ傾向アリ斯ノ如キハ部落観念ノ積 弊ナルヲ以テ速カニ此ノ弊ヲ更メ福利ヲ一ニスルヤ否ヤ

これに対し、西中島村は折り返し四月一四日付で、次の回答を行った。

一、昨年六教室ヲ増設シ応急ノ対策ヲ構セシモ逐年学童ノ増加著シキ為之カ設備ニ腐心シ今回更ニ校地千二百坪(予定価格一万二千円)ヲ購入シ又一面小学校積立金トシテ毎年五千円余ヲ予算ニ計上シ之ニ一般経費ヲ加算シテ遅クモ大正十三年度ニ校舎ノ改築ヲ断行シ乃チ別表ノ如ク学級ノ編成ヲ改メ以テ内容ノ改善ヲ期ス

二、
1. 本年度ハ已ニトラホーム治療トシテ千八百六十円余ヲ予算ニ計上シ一般ニ対シ徹底的施療ヲ行ヒ以テ之ガ撲滅ヲ期ス
2. 先年来日曜学校并ニ裁縫学校等ヲ開キ向上ヲ計リ居ルモ将来一層之ニ奨励ヲ加ヘ風儀改善ノ実ヲ挙ケンコトヲ期ス
3. 之等各部落ニ対シ下水道並ニ道路改良ノ計画ヲ立テ衛生ノ設備ヲ完フセンコトヲ期ス
4. 前項下水道ニ於テハ別紙設計書之通リ(図面目下調製中)本年度中ニ施行セントス尚南方東ノ丁ニ於テハ此ノ下水道敷設工事ト同時ニ其沿道ヲ拡張シテ町衢ノ整理ヲ実行スベシ
5. 劈頭低資二万余円ヲ投シテ村営住宅ヲ経営セシ為メ目下別途借入申込中ナリ

以上ノ外財政ノ許ス範囲ニ於テ着々改善ヲ施シ以テ隣保互助ノ実ヲ挙ケンコトヲ期ス

三、大字川口ニ対シテハ既ニ其敷設費ヲ本年度予算ニ計上シ不日施工ノ予定ナリ又大字南方及山口ニ対シテモ已ニ計画ヲ了ヘ順次施工セントス

四、本項ノ根本的改善ハ多大ノ経費之ニ伴フ為即時実現セシムルコト能ハザルノ憾アルモ一日モ等閑ニ附スル能ハザル事業ナルガ故ニ常ニ之カ整理改善ニ腐心セリ乃チ客年町村道十八号線(柴島浜地域内府県道大阪吹田線連絡)同五十二号線(柴島地域内之郡道三国西中島線連絡)ノ改修ヲ行ヒタルモ今後一層財政ノ許ス限リ地区ノ整理改善ヲ施シ実績ヲ挙ケンコトヲ期ス

五、本項経費ノ主ナルモノハ道路ノ改修並ニ水路ノ浚渫等ニ要スルモノナリ依テ今後道路ニ関シテハ道路法ニ準拠シ断然従来ノ陋習ヲ打破シ又ハ治水ニ関シテハ統一シテ村ニ於テ之ヲ行ヒ以ツテ部落観念ヲ一掃センコトヲ期ス

 町制の早期施行を望む西中島村当局の精一杯の回答にもかかわらず、郡役所は同年四月二八日付文書で、なおも次のような条件を課した。その一つは小学校の設備改善で、大正一三年度施行となっているのを前倒しして大正一二年三月末までに完成させること、細民部落改善に関する回答内容を更に具体的に明らかにすることを求めた。

 村はこれに対して、五月二日付で大綱次の通り回答した。

 小学校校舎改築は年度内に実施し、大正一三年一月には生徒を収容出来るようにする。疾病対策については、総額二二五〇円をもって治療所を開設し、徹底的施療を行うとしたほか、低資二万円を借り入れ村営住宅を経営、地主と協力して借家の改築を断行する。

 五月九日付で郡役所はようやく「各項ハ総テ必ズ実施可相成」との条件を付して承諾を与えたが、同村がその直後の五月一三日に申請した「北大阪町」への名称変更は、同月一七日即座に「何等ノ関係ヲ有セザル名称ニ改メントスルガ如キハ到底詮議難相成存候条」と厳しく却下した。

 こうして西中島村には一九二三年(大正一二)年六月一日付で、ついに念願の町制が施行され、町を挙げての盛大な祝賀会が実施された。町民に対して「村を捨て町の体面を改めること。税金は滞納せぬこと。門先は朝夕水を打ち掃除をすること。道端に便所や車や鳥小屋などの邪魔物を置かぬこと。暑くとも裸で往来せぬこと」などの注意書きを配布したことにも新町制への期待がうかがわれる。

 大阪北部の小さな村の町制施行をめぐる郡役所と村当局とのやりとりを通じて、浮かび上がってくるものは何か。管内の町村に対し絶大な権限を持ち、いわば生殺与奪の権を握る郡役所をもってしても、一九一八(大正七)年の米騒動に続く社会運動のうねりのような盛り上がり、さらに水平社の結成や、労働運動の飛躍的な発展があったこの時期だからこそ、民衆の覚醒に配意し、社会問題(細民部落改善など)に一定の意を用いざるを得なかった一端が窺われ、誠に興味深い資料であるといえよう。