調査研究

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大阪の部落史通信・23号(2000.9)
細民調査と部落改善に関する協議会 里上龍平(大阪の部落史委員会事務局)

日露戦争直後、内務省主導で行われた支配体制の立て直しのための政策・運動であった地方改良運動の一環として、部落の改善に取り組まれることになった。

 それは先ず、一九一一(明治四四)年に内務省の「細民調査協議会」による「細民調査」から着手された。その「特種部落調査方針」によると、その調査項目は「生業の状態およびその日収、信仰する宗教の種類、学力の程度、青年会の有無、婚姻離婚の状態、娯楽機関の設備、衛生の状態、金融機関等」であった(『日出新聞』一九一一年七月十三日)。同紙は同じ記事の中で、調査するに至ったいきさつについて、「内務省が地方改良事業の一として最も苦心しおれるは、特種部落の開発にして、その改善すこぶる困難なるをもつて、同省にては種々攻究の結果、今回いよいよこれが調査方針を定め、各地方庁にその調査を委託すべしといふ」と述べている。

 一方、この動きに先んじて、大阪府では一九一〇年に、部落改善の計画をたて調査を行った模様である。すなわち、「馬渡大阪府事務官は農村の氏神中心教育と併行し、所謂特殊部落の大改善を行ふの計画を立てしが、その第一歩として各部落の既往、現在、将来、各個人および各部落の教育状態および風俗の調査を、近日府下市郡町村長等に依嘱する由」(『大阪毎日新聞』一九一〇年四月二十九日)といわれた。

 さて、一九一一年にはじまった内務省の上記の調査が進行中の一九一二年五月に、新聞は内務省の調査にもとづいて、全国の部落数を五七七〇、人口七九万九四三四人と報じた。そしてこれにつけ加えて、「近時これらの部落はいちじるしく開発せられ、職業の如き漸次変化し来り、教育および衛生思想等も大に普及して模範者をさへ出すに至れり」(『大阪毎日新聞』一九一二年五月二十一日)とコメントしている。

 細民調査は一九一二年度も行われ、東京市の本所・深川の両区と大阪市の南区の部落を対象とした。

 ところで、内務省は、一九一一年度の調査方針では参考とすることが至って少ないので、一九一二年度はなるべく前年度とちがった事項について調査することに決したという(『日出新聞』一九一二年六月十一日)。また、調査に特派された内務省地方局員らが調査を忌避する部落民の妨害にあうなどのことがあったため、今後はその土地の小学校教員、僧侶等に嘱託して調査するはず(『大阪毎日新聞』一九一二年六月二十五日)といわれた。

 細民調査の結果は、『細民調査統計表』(一九一二年)、『細民調査統計表摘要』(一九一四年)、『都市改良参考資料』(一九一五年)として公表された。

 かくして、以上の調査にもとづいて一九一二(大正元)年十一月に内務省は、各府県の官公吏、教育者、宗教家から成る第一回「細民部落改善協議会」を開催した。その「協議事項」と「談合事項」は次のようになっている。

協議事項

 一、部落改善を促すため、第一に着手すべき事項およびその実行の順序、方法ならびに注意すべき要件

 一、職業に関する事項

 一、住居、教育、言語、風俗、衛生および治療、納税および貯蓄、他部落との融和、各種の改善機関、神社、仏閣、宗教、移住出稼に関する件


談合事項
一、部落改善に関する部落内外の篤志人物およびその史(事)績
一、部落改善に関する宗教家の行動
一、部落改善と地方当局者および地方団体との関係
一、内務省より奨励または助成金を受けたる個人または団体の成績」(『大阪毎日新聞』一九一二年十月十四日)。