調査研究

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大阪の部落史通信・25号(2001.3
貝塚東遺跡についての前川報告を読んで

吉田徳夫(関西大学)

 筆者は、前回の『大阪の部落史通信』で、泉南の「中家文書」に関する藤田達生氏の古文書学的な分析的研究があらわれたことを紹介した。その際、同氏の指摘に従い、同文書中にみえる中世賤民の呼称が現れる文書を再点検すると、藤田氏が近世初頭の写だと判定された中世文書に「エッタ」、或いは「檀那」という記載が認められたことを報告した。

 従来の研究は、三浦圭一氏を含めて、「中家文書」を無批判に用いて、「エッタ」「檀那」等の用語に基づいて部落の中世起源論が主張されてきた。写であるという留保がなされてこなかった。改めて、「中家文書」をみると、文書の端裏に「エッタ」と記載するだけでなく、写の文書の本文中に「エンタ」と記載するものもあり、しかも文書の作成当事者が嶋村住人となっている。何故、中世起源論を主張する研究者がその文書を用いて論証してこなかったか、と疑問を感じる。端裏などに依存して主張するより、本文中の記載の差別文言の方が証拠としては確かなはずだと思うのである。「中家文書」とそれに関係する研究には色々と疑問が湧いてくるのであるが、もはや同文書を用いて中世起源説を論じることは適切ではなく、単に参考史料程度に止めておく方が無難であるとだけは言える。

 右の所見を述べた折に、貝塚東遺跡に関しても若干の論及を行った。同遺跡は中世から近世にかけての動物の骨等が出土し、しかも貝塚の部落の立地地点でもある。これだけを評価すると、動物を扱う人々、或いは動物に関する生業を営む者が中世から近世にかけて連続するという問題を提起する重要な遺跡ということになり、中世起源論にとっては好都合な遺跡ということになる。そのために、泉南地域では相当の議論が行われたようである。既に述べたように、「中家文書」を用いて論じられてきた中世起源説が妥当性を失った訳であり、同遺跡に関しても、そうした中世起源説が妥当するかは検証しなければならない。

 今回、貝塚東遺跡の発掘にあたられた前川浩一氏から同遺跡に関して考古学的な立場から解説を加えていただいた。私見として、前回の「通信」で、かかる連続説は成り立たないと述べたが、その根拠は中世から近世初頭にかけての遺跡としては非連続である所に求めた。そのことは、改めて今回の前川氏からも指摘されており、私見の妥当性は確認されたと思う。

 ただ、付け加えて私見を述べると、貝塚東遺跡からは部落の中世起源説は論証されないということである。その結論は「中家文書」の批判的研究とも合致する。文献的研究と考古学的研究が、当然とはいえ、一致したのである。ただ中世の遺跡から動物の遺骨が出土した、約二世紀の空白をおいて、近世にも動物遺体が重なったのである。近世の動物を扱う人々は部落民であったが、中世の動物を扱う人々も部落民だったとする常識的な類推解釈が成立しないという問題が提起されているのである。今回、報告の労を執っていただいた前川氏には、私見の及ばなかった詳細な貝塚東遺跡の全貌を紹介していただき感謝をする次第である。