調査研究

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大阪の部落史通信・26号(2001.6)

米騒動と部落(1)

里上龍平(大阪の部落史委員会事務局)

 一九一八(大正七)年の七月から九月にかけて全国の大中都市をまきこんだ米騒動は、組織立った変革運動とはいえないにしても、その後の政治・社会状況を大きく変えるものであった。とくに被差別部落民の立ち上がりが注目された。

 第一次世界大戦中の未曾有の景気による物価の高騰と、都市居住労働者の急増による米需要の増大、加えて前年の不作とこの年のシベリア出兵を見越しての米の買占め・売惜しみが空前の米価高騰をもたらし、部落の生活をも直撃した。

 一九一七年の大阪市弘済会の調査によれば、大阪市の救助の対象者である棄児、貧困者、行旅病人、癩(ハンセン病)患者は著しく減り、また貧民街にある済生会診療所の施薬患者も激減しているという(『大阪毎日新聞』一九一七年九月四日)。

 また、米騒動直前に行われた大阪府救済課の細民部落調査について次のようにいわれた。「物価暴騰の今日に於いても、彼等の生活状態は他の想像する程困窮し居らず。コハ労働者等の日稼人多き為め相当の収益ある結果なるべし。併し教育、衛生状態の如きは寒心すべき現状」であると述べて、その例として三島郡の人口一〇三六人のある部落では、無学者六七八人(男二七七人、女四〇一人)、尋常小学校卒業二〇〇人(男一六五人、女三五人)、高等小学校卒業五三人(男三一人、女二一人)、中学校卒業四人であると数字を示した上、その教育が十分行われていない原因として、幼少の時から賃仕事に出ていることと、親の教育に対する無関心をあげている(『大阪毎日新聞』一九一八年七月三一日)。

 このように新聞は、好景気が貧困者をもうるおしているとする記事を掲載する一方、同じ『大阪毎日新聞』は一九一八年の五月に「生活不安」と題する囲み記事を連載して、物価とくに米価騰貴が中以下の階層の人々の生活をおびやかしている模様を次のように報じている。

 すなわち先ず、大阪市内の平均物価は明治四一(一九〇八)年を一〇〇として大正六(一九一七)年で一八六となっており、それに対して給料はそれ程上がっていない。とくに米価は大正五年以降でも四割騰貴し、低賃金の者の米代の負担が月給の五割近くにもなって、その負担が重くなっていることを強調した上で(大正七年五月一一日・一四日付)、大阪の実態を、私立有隣小学校と私立徳風小学校の児童を例に報告している。

 有隣尋常小学校では、貯金する児童が減っているのに貯金額は三割以上の増加をしている。これは欧州戦乱(第一次世界大戦)が貧民街にも福音をもたらした結果である。有隣校の付近の西浜、木津でも革職のうち技術のあるものは収入が多くなっている。

 しかしこれがすべてではない。一方で貯金者の数が減っていることも見逃せない。同じ有隣校の調査によると、「本年の児童半途廃学数は昨年よりも約三十人を増加したとある。之は物価騰貴のために不生産的な子供を家において徒食させて置くよりも、口を先方持でしかも多少のお給金の貰へる所へ奉公にやるものゝ殖えたのと、モ一つには廃学させて家で賃仕事をさせ、幾分でも家計の手助をさせやうとするものゝ多くなつた結果に外ならない」。ここでいう廃学とは退学のことである。

 ところで、どのような仕事に従事する者が困窮しているのだろうか。「松村有隣校長が出席率の最も悪い生徒五十人の保護者職業を調べた処に依ると、下駄直し十人を筆頭に皮革下請負十人、仲仕七人、靴職六人、其他十七人であつたと言ふ」(『大阪毎日新聞』一九一八年五月一五日)。貧困層の中でも、貧富の差がはっきりみられるようになったことを示しているといえよう。

 一方、「徳風尋常小学校では、チャンの稼ぎが少いために、朝飯もろくに食べさせて貰へぬ生徒には、学科を教へるに先立つて、朝飯を食べさせてやる事にしてゐるが」「昨年あたりは毎日二十人位しか希望者のなかつたものが、昨今では三十人以上、時には四十人近くもやつて来る」といわれた(『大阪毎日新聞』一九一八年五月十六日)。米価騰貴によって、食べるのにも困る人がふえつつあったことがわかる。