待ちに待った藤本清二郎さんの大著『和泉国かわた村支配文書』下巻がついに出た。上巻の刊行が一九九九年二月だから、丸三年が経過している。当初の予定では、二〇〇〇年四月刊行の予定だったから、ほぼ二年遅れたことになる。
遅れの背景には、文部科学省の出版助成金による刊行だったことがあるようだ。出版助成金は、原稿を仕上げた上で申請書を出すのだが、申請書の提出時期はその年の秋口と決められている。そして、年度が替わる春に助成金の交付が決定される。それから印刷にかかるので、最短でも一年はかかる。一〇月末に原稿が仕上がったりすると、申請書の提出まで、ほぼ一年待たなければならないから、最短でも二年かかる。しかも出版助成金は、学術刊行物に限定されている。どういうわけか、史料集は学術刊行物にはなりにくいようで、我々研究者の評価と文部科学省の考えとは多少のズレがある。研究者にすれば、史料集はいわば半永久的価値を持つ。論文集などは、すぐにその価値を失ってしまう。いかに優れた研究でも二、三〇年だろう。
しかし、最近のように、出た瞬間に価値を失うものや、価値もないのに出版されるものなど、出版界の状況もずいぶん様変わりしてしまった。本の値打ちもずいぶん下がったものだ。そのことを考えれば、文部科学省の出版助成金は、我々研究者にとって本当にありがたい制度なのである。ただ難点は、?学術刊行物?としての工夫が必要だし、とにかく時間がかかることだ。おかげで私たちは、この『和泉国かわた村支配文書』下巻については、すくなくとも二年間待たされたことになる。
前置きが長くなったが、この下巻には?学術刊行物?としての工夫が随所に見られる。その典型が、綱文の次に記された文書の成り立ちと形態の略記だろう。これが史料の一点一点に付されているのだから、大変な時間と労力を費やしたにちがいない。こんなところにも、藤本さんの?職人気質?が垣間見える。巻末に収められた六〇頁近い「解説」も、史料集としては異例の長さといえる。綱文の後の略記はやや煩雑の感もあるが、この「解説」を読んでいただければ、この史料集の全体像がつかめるのだから、活用に当たっては、この「解説」を読むところから始めたいものだ。
下巻の構成は、「お救い」から始まり、「融通」「生活と寺」「事件簿」と続く。「お救い」など、同じような史料が九〇頁にわたって掲載されているが、これを見ると思わず統計を取りたくなる。また、年表も作ってみようと思う。「拝借米受取証文」など、元禄一一年(一六九八)から天保八年(一八三七)まで、一三〇通が残されている。つまり、ほぼ毎年のペースで残されていることになる。嶋村の庄屋・年寄から福田村の庄屋に提出されたものだから、庄屋・年寄の名前を確認し、その交代の時期を特定することもできるし、拝借米の変化を追うこともできる。
「融通」の「銀子借用証文」も、だれが、だれに、どれぐらいの金子を借りているのか、集計したくなる。貸した側の名前が分かれば、その経済力の背景が何か、次の興味が湧く。そこで、上巻の「土地と農業」「草場・入場と諸稼ぎ」などに収録された史料を、もう一度調べてみよう。また、借りた側が分かれば、これもその背景が気になる。「事件簿」に何か載っていないだろうか。いろんな疑問点や興味が湧いてくる。これこそ、歴史研究の醍醐味なのだが、『和泉国かわた村支配文書』は、まさしくそうした興味・関心を湧き立たせてくれる、最高に良質の史料集なのだ。
おそらく、大仕事を終えて一息ついておられるであろう藤本さんに、次の課題を敢えて提起しておきたい。一九六九年の『奥田家文書』発刊以来、部落史研究では、部落内の状況を知ることの重要性が指摘されてきた。それは、部落内部の史料をほとんど活用しなかった、五〇年代・六〇年代の部落史研究を反省させるものになった。その点では、藤本さんの『和泉国かわた村支配文書』も、『奥田家文書』につながる史料集ということができよう。そのことの重要性を認めつつも、しかし、部落史研究では今、?被差別?と?加差別?の関係性を見極めることが課題となっている。もちろん、部落内の史料が?被差別?で、部落外の史料が?加差別?などと単純化するつもりはない。しかし、『福原家文書』は、その両面を分析しうる、文字通り?宝の山?ともいえる史料群なのである。実際、大阪の部落史委員会が調査した結果、今回の史料集には掲載されていない部落史関係の史料が、『福原家文書』の本体から見つかっている。できれば、そうした史料をさらに加えたさらなる分析を、藤本さんにはぜひとも発表していただきたいと思っている。
(A5判、五一四ページ、一五五〇〇円+税、清文堂出版、二〇〇一年一二月刊)