調査研究

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大阪の部落史通信・30号(2002.9)
 
新聞記事と部落 15

米騒動と部落(3)

里上 龍平(大阪の部落史委員会事務局)

 一九一八(大正七)年の米騒動は三八市、一五三町、一七七村にも及ぶ大規模な大衆運動に発展したが、その渦中において時の寺内内閣は、警察のほか軍隊まで出動させての鎮圧、騒動に参加したものの検挙・起訴・裁判、米の廉売と恩賜金による施米などによって、その拡大を防ごうとした。さらに、騒動の原因の究明やそれにもとづく再発防止の施策の検討に着手した。

 被疑者の検挙・取調べ・起訴さらに裁判は峻烈を極めた。八月一九日現在、大阪では検挙者一八〇〇名、起訴収監者四〇〇名に達し、留置場が不足しているという(『大阪毎日新聞』一九一八年八月一九日)。その該当法は圧倒的に騒擾罪(首魁・率先助勢・付和随行)が多く他に放火、強盗、窃盗などがあった。

 東成郡城北村字荒生で、米騒動の際「米商を襲ひ暴行を企て、且放火の準備をなしたる」同村の九名に係る騒擾事件について、一九一八年一一月一一日、大阪地方裁判所で懲役三年一名、二年半二名、二年四名、一年二名の判決が出た。なお城北村の事件は「府下に於ける米騒動の中最も悪性を帯び、予審を経しものゝ判決は本件が最初なり」といわれた(『大阪朝日新聞』一九一八年一一月一一日夕刊)。

 次に大阪市における米の廉売は大阪の騒動が鎮静に向かった八月一七日からはじまった。これは当初市内の富豪の寄付金にもとづき、日本米・朝鮮米を市内と接続町村の小売業者に売却させて、それを市内七一ヵ所の小学校で売出す計画であったが、所持米が四〇〇石にすぎないため一時に売出すことが不可能となった。そのため「取敢ず日鮮精白米二百石丈を(一升三十五銭)、一箇所二十石づゝの割にて左の十小学校において午後一時より四時まで廉売を開始することに決定」した。十校は三軒家第三、西九条、日本橋、難波第五、栄、玉造、東平野、第一川崎、第三北野、第一西野田である(『大阪毎日新聞』一九一八年八月一七日)。

 大阪市の廉売はその後実施場所・対象を拡大して九月下旬まで行われた。

 ところで、「這度の廉売に就いて、府では西浜の貧民部落付近に最も注意を払つて、同地聯合区の栄小学校へは掛員も他所よりは多く派遣した。ところがイザ開けるとなると意外千万にも米を買ひに来るものが少いので、掛員一同手持無沙汰であつたといふ。察するところ同地の良民は皮革事業の好況で有卦に入つてゐるし、然らざるものは或方法で得た米が未だあるからだつたらうと一警官の話」が伝えられた(『大阪毎日新聞』一九一八年八月二六日)。

 帝国公道会は八月下旬会合を開き、米騒動にかんがみて部落民の一層の教化のために運動を起こすことを申し合わせ、実情調査をすることになった。すなわち、「今度の米騒動の蔭に特種部落民が潜んで居て、而も所謂一揆の中堅を成したと云ふことは少なからず世人の耳目を聳動せしめて居る。夙に特種部落の啓蒙に任じて来た公道会では此際一層教化の必要」があるために八月二六日に会合を開いた。席上、大江天也幹事は部落民と部落外の人々の間隔が極めて大きい事例をあげて、部落民善導が急務であることを力説した(『大阪朝日新聞』一九一八年八月二七日)。そして、八月二九日から林包明、大江天也を調査のため大阪はじめ西日本に派遣した(『大阪毎日新聞』一九一八年八月三〇日)。

 次に、政府、中でも内務当局は米騒動と部落の関係をどのようにみていたであろうか。一九一八年九月一二日付の『中央新聞』に掲載された添田内務省地方局長談話は次のようにいう。「今回の騒擾事件を調査研究したる結果、茲に端なくも特殊部落民が右騒擾事件の中心なりし事を看取したるは予の最も遺憾とする処である。従来内務当局は勿論地方当局に於ても特殊部落の教化改善に就ては大いに尽し居たが、何分特殊部落と一般国民との感情其他の悪関係は数百年前より対立して居たもので」あるとの認識を述べ、今回の米騒動事件は内務当局・地方当局の部落改善の努力の効果を世間が疑うに至ったからであるとして、融和のためには部落の生活改善と部落民の部落外への移住による人々との混住が必要であると説いている。ちなみに、この記事は「殊部落改善急務」という見出しを掲げている。