調査研究

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2005.12.14
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大阪の部落史通信・37号(2005.11
 

新聞記事と部落 17

初期の改善団体

里上龍平(大阪の部落史委員会事務局)

 明治三十年代にはじまった部落改善運動は、部落差別の原因を、当時の社会一般に考えられていた部落の劣悪な環境、貧困や不就学などの社会的低位性にあるとした。こうした考えのもとに、この頃から改善団体が、自発的にあるいは官の誘導の下に数多く設立されていく。

 その背景には、一九〇八(明治四一)年の戊申詔書をきっかけにして推進された地方改良運動があった。それは、地方財政の補強、地方公共団体の国家による把握、地主支配体制の強化などとともに、社会政策・治安対策として、部落改善政策もとりあげるようになったのである。

 大阪では一九一四(大正三)年頃から、改善団体が新聞紙上に登場してくる。

 東成郡城北村では「字荒生の大西半兵衛氏等主唱となり、予て青年気風の向上を目的とせる修養会計画中なりしが、愈「厚徳会」と名づけ(一九一四年)十月十五日を以て発会式を挙行す。同会の部会としては戸主会、主婦会、耆老会、処女会、夜学会、貯蓄会等あり。差当り出征者の遺族救恤、出征者慰藉等行ふべし」(『大阪毎日新聞』一九一四年一〇月一七日付)という。ちなみに、当時第一次世界大戦中で、日本も参戦していた。

 また豊能郡細河村の青年会は「遠く天保の昔に成れる報国団なるものに始まり、明治六年若衆の夜学場となり、同二十五六年の頃に現今の名に改められ、各種の事業を開始するに至れるは実に珍らしき歴史ある団体といふべく、内務省よりも大阪府よりも?々表彰せられ地方自治団の粋と称せらる。同会は久安寺住職国司師の尽力により会務の端緒を開きて以来、特別の会場を設け基本金を積立て二箇の図書館をさへ有するに至れるが、青年作業の全部が常に此村の特産たる植木栽培を中心とし」ている(『大阪毎日新聞』一九一五年一月二九日付)。

 この他、一九一四年には、四月に南区木津青年会(『大阪毎日新聞』一九一四年四月四日付)、五月に北区で青年会が発会式を挙げている(『大阪毎日新聞』一九一四年五月三日付)。いずれも地元警察署長の肝煎りで設立された模様で、北区の青年会では警察署長の斡旋で共同風呂を設けている。

 以上のように、ここに出てくる改善団体はすべて青年会である。

 ところで、青年会(団)運動は、先にのべた地方改善運動の一環として文部・内務両省によって指導奨励されたもので、青年会は明治末年頃から全国各地に急増した。そして一九一五年には政府による再編成方針が示されて、自治団体ではなく修養団体とされ、官製青年会となっていった。

 一九一〇年八月に組織された泉南郡島村青年会は「風紀漸次改善され今では昔日の俤なし。会員は十四歳以上四十歳以下とし、毎年一月から五月迄の農閑期を利用して、会員自ら作文、習字、珠算を教授し、頗る事蹟の見るべきものがある。又警察官に来て貰つて?々衛生講話を聴き、或は休日に地方の名所旧蹟を訪ひ、修養に努めて居る。」「秘密箱を設けて、伝染病を隠蔽したり蔓延を甚だしからしめたりすることを防止するに勉めたが、良成績により知事より褒賞せられた。目下の会員は二百三十余名、資金約千円余を有して居る。尚年々の継続事業として桐樹の栽培をして居る。会の予算は一ヶ年六十余円に足らぬが真面目に会務を進めて居る」という(『大阪毎日新聞』一九一七年四月七日付)。

 同じく一九一一年に村長吉岡太三郎氏や村会議員等によって発起された中河内郡西郡村の共謙青年会について、『大阪毎日新聞』一九一七年四月八日付は次のように報じている。

 同会は「臨時の講演会や連夜の補習教育を実行して風儀の改善を計ると同時に、村内の清掃法励行を遣つた。其の成績実に驚くべきものがあるといふので、今回府知事から表彰されたが、会の組織は約左の通りである。
▲会員 十五歳以上四十歳、計百八十名
▲事業 春秋二回の運動会、優良青年の表彰、臨時の講演会、農閑期の夜学教育等
現会長は前記の吉岡村長である。」

 ちなみに、一九一三年に設立された西成郡東宮原啓振会をみると次の通りである。その目的は「素より地方部落内に於ける教育、衛生、風俗、言語等諸方面に於ける従来の悪習を矯正改善せしめんとするに在り。此目的を遂行するが為に同会に於は、左記の如き強制的申合せ規約を制定し(規約略)」、違反者に対しては制裁を加えることにした。一方、施設事業として、夜具等の物品貸与、金銭積立による村税の滞納防止、不就学児童のための簡易小学校の経営、裁縫授業、少年・少女のための講話、婦人会・青年会講演会、共同浴場・理髪店の経営、下水道・道路の修築、橋梁の架設、高僧の説教等を行っている、といわれた(『大阪慈善事業の栞』第二版、一九一七年)。