調査研究

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2007.06.11
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大阪の部落史通信・39号(2006.11
 

書評と紹介

箕面市史改訂版編さん委員会編

『改訂箕面市史 部落史』史料編III(近世・近現代)

吉村 智博(博物館職員)

 二〇〇五年三月に表記の巻をもって完結した同市史については、すでにこの通信で、小林丈広氏が史料編I・IIと本文編の書評をされているので、いまさら私などが屋上屋を架す書評をしても、編集に携わった方々及び小林氏に申し訳ない。そこで、事務局からの「書評」依頼を勝手に変更して、簡単な「紹介」をすることにしたい。

まず内扉を開いて感心させられるのは、「新稲村絵図」(文政七年)を巻頭口絵カラー版で掲載していることである。絵図の公開については評者も、勤め先の特別展で展示の補佐を務めた経験があるが、村絵図を意図的・物理的に加工(地名の隠蔽や削除など)せず掲載するという行為には、地元との協議や了解はもとより、編集者の省察的態度が求められる。絵図を歴史資料として位置づけ、文献史料とつきあわせて解読する力量が問われる行為でもある。編集者の真骨頂であるこうした口絵編集を採用されたことに、まず敬意を表したい。

さて、本編であるが、何といっても圧巻は第一部近世史料編の「非人番」関係資料であろう。近世史料編のおよそ一割五分あまりを占める非人番関係資料は、在方の非人番にかかわる収入、仕事、宗旨にわたる生業構造の細部まで知ることができるまとまった内容となっている。評者はおもに都市部落史・都市下層社会史の領域から、大坂の四ヶ所長吏に関する資料は、刊本によって断片的に目にし、そのいくつかを引用して論じてきたことがあるが、在方の非人番については、ほとんど未見であった。非人番の研究史を一顧だにしていないとのお叱りを承知で言及すれば、巻末に付された支配系統図によって、大坂の「四ヶ所長吏」と京都の悲田院年寄を筆頭とする二つの支配系統に属していたことがわかる。そのうえで、所載の資料を見ると、村から布施米の割り当てや大黒舞、節季候などの諸芸能の関係、さらには野非人や「乞食」の取り締まりなどの役負担が、「四ヶ所長吏」のそれと近似していることも納得できる。

十数頁の第二部近代史料編(近代行政関係史料はI・IIで既出)を挟んで、第三部現代史料編がひかえている。戦後部落問題の展示をかつて担当したことのある評者は、歴史的評価が可能となる「戦後」をどの時期にまで設定するのか、あるいはまた、戦前・戦時下と「戦後」との連続性をどう捉えるのか、という根本的な問題に直面したことがある。いまでもその本質的な問いに解決はついていないが、一般的に説明するにあたって、一九四五年八月の敗戦から一九六九年七月の同和対策事業特別措置法の施行を無意識のうちに採用しているように思う。こうした公式的見解からすれば、恣意的な時期区分の下限をはるかに超えて、一九九〇年代までの史料を収録していることは、驚きに値する。この「驚き」というのは決して揶揄しているのはなく、先見の明であると思えるからからである。というのも、現代を歴史的蓄積としての現在だと考える視点に立ったとき、いずれは相対化され歴史的評価を加えられるであろう九〇年代の資料を、歴史の一節として提示しておくことは、長い射程で見た自治体史の本来のあり方かもしれないからである。取捨選択を通過することによって活字化された資料の数々は、かならず豊富な歴史像を描くための礎石となるといえる。

好き勝手なことを書き継いできた。編集担当諸氏には知己の方がおられるゆえ、まったく自身の不見識を恥じ入るしかない。ご海容願いたい。    (二〇〇六年一〇月記)

(箕面市発行、A5判、九四九ページ、二〇〇五年三月刊、頒価七〇〇〇円、なお、購入方法など詳細については、http://www2.city.minoh.osaka.jp/SHISHI/home.htmlをご参照ください)