調査研究

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2009.04.21
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大阪の部落史通信・44号(2009.03
 

本文編を刊行、全巻完結!!

完結にあたって

上田 正昭(大阪の部落史委員会 委員長)


 『大阪の部落史』(全十巻)の本格的な編纂がはじまりましたのは、一九九五年の四月からでした。編纂委員会を組織し、協力委員会・企画顧問委員会、さらに実質的に編纂事業を推進する企画委員会が設置され、そして史料・資料の蒐集と整理、調査と執筆が、企画委員会を中心に、古代・中世・近世・近代・現代の各部会を核として着実に積み重ねられてきました。

 第一巻(史料編 考古・古代・中世・近世1)から第八巻(史料編 現代2)まで、追加の第九巻(史料編 補遺)の刊行につづいて、待望の第十巻(本文編)が出版され、ついに『大阪の部落史』の完結をみるにいたりました。この間、企画委員会をはじめとする企画・調査・執筆にご労苦いただいた各位、ならびに本事業を助成された大阪府・大阪市、史料などの提供にご協力を願った方々そして事務局のみなさんに、こころから感謝します。

 『大阪の部落史』(全十巻)の編纂にさきだって、一九九二年の七月に「大阪の部落史」編纂委員会がスタートし、一九九五年の五月に『新修大阪の部落史』上巻、翌年の四月に『新修大阪の部落史』下巻が発刊されたことの意義を改めて想起せざるをえません。

 一九九二年の七月に結成された「大阪の部落史」編纂委員会は、二つの目的を設定していました。その第一は、大阪の部落史に関する研究の成果と課題を明らかにするために、研究会をつくること、その第二は、大阪の部落史にかかわる基礎的な史料を蒐集して整理することでした。第一については、ほぼ毎月、研究会が開催されて、その成果は『新修大阪の部落史』(上巻・下巻)に反映されました。第二については、(1)大阪府域の「市町村史」の部落問題関係の目録、(2)『救済研究』・『社会事業研究』の部落問題関係の目録、(3)「時事新報」・「大阪時事新報」・「大阪朝日」・「大阪毎日」ならびに戦後大阪の部落問題関係新聞記事の目録、(4)大阪府議会・大阪市議会「議事録」の部落問題関係の目録などにまとめられました。

 これらの仕事は、この編纂委員会の委員長として尽力された小林茂先生をはじめとする関係者によって進捗しましたが、一九九三年の八月二十一日、事業がはじまって約一年ばかりで、小林先生が逝去され、そのあとはからずも私が委員長に選出されて、その計画の具体化をはかることになりました。

 『大阪の部落史』(全十巻)の完成の前提が、一九九二年七月の「大阪の部落史」編纂委員会にあったことを、改めて確認したいと思います。したがって『大阪の部落史』(全十巻)の完成には、十七年十ヵ月ばかりの労苦と努力があったことになります。

 全国各地の「部落史」は、たいがいが本文編があって史料編につながるという構成をとっています。しかし『大阪の部落史』(全十巻)は、史料編に全九巻(補遺を含む)をあて、その総括として本文編を第十巻に充当しました。このような構成はあくまでも史料・資料の蒐集と整理に重点をおき、正確な史実の究明がなによりも肝要とする編集の姿勢を貫こうとしたからです。したがって既刊の史料も重要なものを欠かすことはできませんが、なるべく未刊の史料や新出の史料をより多く収録することにつとめてきました。これらも、新しい部落史の構築には、より豊かで充実した史料編が不可欠であるとする考えにもとづいています。府県史や市町村史でもそのほとんどが、通史編や本文編をはじめの巻において、ついで史料編を刊行するという体裁をとっていますが、『大阪の部落史』では全十巻のうちの一巻から九巻を史料編にあてていますのも、関係史料・資料の蒐集と整理にもとづいて、本文編は執筆すべきだと考えられたからです。

 『大阪の部落史』の第一巻には、全国の部落史ではおそらくはじめてといってよい考古資料も紹介しています。大阪府域の遺跡から出土した牛馬骨(歯を含む)をとりあげ、それをさらにCD-ROMに収録しました。その時代は古墳時代から平安-室町時代さらに近世におよびます。『大阪の部落史』(全十巻)の刊行を補完するために、『大阪の部落史通信』創刊号を一九九五年六月に発行して以来、二〇〇九年一月現在で四三号を数えますが、この『通信』は新史料の解説ばかりでなく、担当巻の刊行後の成果も紹介する役割をはたしてきました。たとえば「飛鳥時代の斃牛馬処理」(第三六号)で、第一巻出版後の資料の補遺とあらたな若干の考察がなされるといった具合です。

 『大阪の部落史』第一巻の別添付録には、前述のCD-ROM「大阪府域の牛馬骨出土一覧」ばかりでなく、今回はじめて公刊をみた貴重な延宝四(一六七六)年の十一月につくられた「河内国丹北郡更池村検地現況絵図」とその解読図が収められています。こうしたこころみも、『大阪の部落史』を特徴づけています。

 たんなる史料・資料集ではなく、第一巻から第九巻まで、すべての巻にそれぞれの解説をつけて、それらの意義づけを行ないました。これらもこの種の史料編の編集では画期的であったと考えています。

 古代から近世にいたる被差別部落の諸相を、より広くより多くの史料から選んで、従来あまり注目されなかった史料を紹介したり、近世・近代・現代においては、できるだけ新出史料を収録することにつとめて、あらたな部落史の考察に寄与することがこころがけられました。政治・経済・社会とのかかわりばかりでなく、宗教・信仰・芸能などの各分野におよんでの史料編が完成しましたが、今後の部落史の研究をより多彩とするにちがいありません。

 近代以後にあっては、たとえば「朝鮮人の定住と部落」・「朝鮮人と部落との競合・共生」・「部落と在日韓国・朝鮮人」・「部落の在日韓国・朝鮮人」の項目を設けて解説がなされていますように、東アジアのなかの部落史の視座が、在日の問題を媒体としてみのっています。こうした編集もこのたびの『大阪の部落史』のひとつの特色になっています。

 第九巻の補遺も、たんなる補遺にはとどまってはいません。近世前期の死牛馬割帳ほか「大坂の当道座と盲人」あるいは「地租改正と税負担」・「維新後の宗教と教育・文化」など、あらたな考察を加えての史料の収録として結実しました。

 このように充実した史料編を前提として、「古代の被差別民」から「高度経済成長と部落の変化」にいたる第十巻の本文編ができあがりました。その総括は大阪の部落史の新しい研究成果といってよいでしょう。

 『大阪の部落史』(全十巻)の「刊行にあたって」でも言及しましたように、一九九四年の十二月、国連は第四九回総会で「人権教育のための国連十年」を決議し、「行動計画」を採択しました。そしてはじめて「人権文化」という用語を使い、「人権文化」の普遍性を強調しました。「個人の尊厳」と「人権文化の普遍性」とは、共に重要ですが、その中間ともいうべき地域を軽視するわけにはまいりません。具体的には家庭であり、職場であり、各自の働く職場とくらしの時と処がそれです。地域に根ざした「人権文化の創造」が、二十一世紀の人類のあらたな課題となっています。

 『大阪の部落史』(全十巻)は、まさしく地域のなかで地域と共に、部落差別からの解放をめざして歩んできた、生きた地域史です。この全十巻があらゆる差別と闘い、人間の完全解放を願う人びとの知恵となり実践のための大きな光として輝くことを期待します。

二〇〇九年三月一日

(『大阪の部落史』第十巻<本文編>より転載)