はじめに
このたび刊行になる『大阪の部落史』第十巻(本文編)において、古代の部分が持つ大きな特長は、なんといっても考古学の成果、つまり土中から発見された埋蔵文化財である遺物や遺跡を叙述の対象としたことである。従来のほかの刊行物のなかにはほとんど見られなかったものであり、いわば参考にすべき前例がなかったのでこうした試みを実行することに多少の不安がなかったわけではないが、自画自賛めくが取り組んでよかったと企画委員としては思っている。第一巻(史料編)の考古の部分をもふくめて現場で調査・研究にあたっておられる多くの方々のお力をお借りしたが、夭逝されてついに執筆には参加いただくことができなかった久保和士さんを始めとするそれらの方々に心より感謝と敬意を表したい。
さて文字史料を中心として執筆した古代編の部分は、「古代の被差別民」とした。平凡な名称ではあるが、広く日本史全体の流れをも見失うことなく大阪の部落史の〝前提〟ともいうべき時代を叙述している。文献史料においては特に新しいものが発見されたということはないのだが、以下に少し内容を紹介して責をふさぎたい。
河内・難波と王宮・墳墓
全体は四項目に分かって構成している。まず初めには「河内・難波と王宮・墳墓」として、文献によって解明できる六世紀・七世紀を中心とする時代について述べている。タイトルのようにこの時代の大阪にはいくつもの王宮・都城が置かれており、あまり注目されないがおよそ十箇所ものそれがあった。墳墓も同様で、世界最大の古墳を持つ百舌鳥古墳群をあげるまでもなくたくさんの王陵クラスの古墳が造成されている。
王宮には王に奉仕し、従属する多くの人びとがいた。王を頂点とするヒエラルキーが存在したわけで、当然それは身分という表象を持つ。のちに律令制度で五賤や品部・雑戸として組織化されることになるが、その前史を形成する仕組みが既にこの頃よりととのえられていた。王陵もそうで、これまたのちの陵戸にあたる王陵を守衛する人びとがいたはずである。身分制度のこうした前提をしっかりと見定めておかないと、差別や賤視を正しく解くことはできないと思う。
渡来人と渡来文化
次には「渡来人と渡来文化」を配している。大阪にとって渡来人と、彼らのもたらした渡来文化は極めて重要なものであり、河内地方の百済王氏一族をはじめ大阪平野にはそれらが濃密に分布していた。東アジアにおける先進的な文化・文明が展開していたわけで、平安時代初期に編さんされた『新姓氏録』掲載の氏族構成からもそれは知られる。学問的には既に議論の余地はないが、折に触れて出てくる被差別部落〝帰化人〟起源説のこともあるので、項目を立てて論じておいた。
都城と穢悪の制度の確立
差別の原因・理由はさまざまだが、その大きなものにケガレ観念があることは最近の被差別史研究では通説であろう。ケガレ観念そのものは早くより史上に見えているが、それが急激に強まるのは都城の成立によってであった。先に触れたように王宮・都城は大阪にとって重要なものであり、「都城と穢悪の制度の確立」を配したのはこのような理由による。難波宮の廃棄とともに大阪での王宮・都城は終わるが、都市は多くの階層の異なる人びとの集住する場所である。生活にともなうヨゴレも生じるし、また多様な階層の人びとの出入りも激しい。そうしたなかであまたの文化・文明が交錯し、ケガレも拡大する。そのような状況下で、王の居住する都市の清浄性を保持するためにそのケガレの排除がなされねばならない。都市化の本格的な展開は平安時代だからことは京都中心で起こるが、大阪にとってもこれらの前提ともいうべき都城時代の考察は欠かすことはできないものである。
行基の活動と仏教的世界観の浸透
本文編古代の最後は仏教思想の普及する奈良・平安時代においた。「行基の活動と仏教的世界観の浸透」がそれである。「殺生禁断」は仏教思想の基幹となる行動規範だが、一〇世紀頃から仏教は本格的に庶民層にまで広がった。むろんそれより前に行基というすぐれた僧侶が現れており、多くの人びとの心を引きつけてはいたが、どちらかというと畿内中心にとどまっていて大きな広がりを持つものではなかった。しかし平安時代中期頃には仏教思想は広く国民に行き渡り、本地垂迹説の発達とあいまって神におけるケガレ思想をも組み込んで中世的展開への端緒がひらかれたのである。「悪人正機」説はあまりにも有名な中世仏教思想であるが、その前提となる生まれついての悪人という概念は、仏教思想の普及にともなってこの時代に成立したものであった。
おわりに
古代は人類史において最も長い時代を占める。差別・被差別という事象が歴史のなかに存在するのは、ほんの短い期間である。その克服を目指すためにも、人が穏和に仲良く暮らしていた時代から、差別・被差別という事象があらわれ、身分として固定化されてくる古代を考えることは大きな意味を持つ。『大阪の部落史』のなかで古代の部分は本文編・史料編ともにけっして多くはないが、そのような時代の流れのなかで古代を読み解いていただければ幸いである。