和泉国大鳥郡豊田村で代々庄屋を勤めた当家は、家伝によれば平安末からこの地に居住したという。ただし残された文書は文禄検地帳を遡らない。幕末まで庄屋を勤めたほか、上神谷(にわだに)13ヵ村を束ねる触頭、この地の山代官職、寛文5(1665)年からは摂河領分触頭役を勤める。
現在文書は2ヵ所に所蔵されている。一つは国文学研究資料館史料館で7222点が所蔵され、『史料館所蔵史料目録』36が刊行されている。もう一つは関西大学図書館で目録点数で1938点が収蔵されている。
近世初頭から前期にかけての在方史料の豊富なことが大きな特徴になっている。『大阪の部落史』第一巻近世1の第一編七章に初期非人番のまとまった文書が史料館所蔵分から収録され、関西大学所蔵分からは第一編五章へ生類憐みの令にかかわる一連の牛馬改や斃牛馬処理に関するまとまった文書を収録した。なお関西大学所蔵分を利用した研究として小西愛之助「落牛一件─和泉国泉郡南王子村と和泉国大鳥郡豊田村との争論─」(『関西大学部落問題研究室紀要』第8号 1982年)があり、史料の数点も翻刻されている。