和泉の郷土史家で、岸和田市称名寺住職出口神暁(1909.5.30~1985.3.9)が自らの収集史料群に名づけた個人文庫である。和泉国を中心とした大阪関連の書籍・古文書・絵図と多岐にわたる。収集した重要史料は、自ら設立した和泉文化研究会の機関誌『和泉志』(創刊時『流木』)や「鬼洞叢書」「和泉史料叢書」として世に送っている。貴重史料の一部を目録化したものが作られた形跡はあるが、厖大なこの文庫全体の目録は作られておらず、その全容は不明である。現在では和本・写本形態の1万余点が関西大学図書館にまとまって受入れられているが、これとは別に、古文書・絵図、さらにはかなりの和写本類が、大阪歴史博物館及び個人所蔵の形で伝来する。
個人所蔵分には、皮多・三昧聖・陰陽師、堺四ヶ所などの被差別身分についての良質のコレクションが含まれている。たとえば南王子村には、現在刊本となっている『奥田家文書』を所蔵してきた庄屋家とは別に、寛延2(1749)年以降もう一人の庄屋が置かれたが、本文庫にはその別家庄屋のまとまった史料が収められている。森杉夫が「明治初期の村格一件」(大阪府立大学『部落問題論集』第2号 1978年)で紹介して有名になった『村格一条ニ付御用留』も謝辞からわかるように鬼洞文庫の別家庄屋史料であった。
『大阪の部落史』第一巻近世1に在地代官名から貞享2(1685)年と推定して収めた「覚」(史料80)は、岸和田藩内の皮多村間の役儀と草場争論を百姓村の有力層が仲介した経過の記録である。このような早い時期の権益争論であり、皮多身分内部の争いであるため、当事者には当然と思われている作法についても、仲介者が書留めていて貴重な記録となっている。関西大学所蔵分からは、数点の関係文書を収録した。