調査研究

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2010.01.19
大阪の部落史委員会収集史料
 

摂津国島下郡富田村好田家文書
(せっつのくにしましもぐんとんだむらこうだけもんじょ)


 中世寺内町であった摂津国島下郡富田は近世には高槻藩内の在郷町富田村として位置づけられた。好田家は早く酒造業に進出し、さらに金融業を行ない、18世紀に入った頃から質地として集積した田地をもとに地主経営を本格化させる。江戸後期の富田村庄屋として明治初年まで続いたため、年貢免状・皆済目録がセットで寛延より130年分整っているなど村引継ぎ文書も多く残されている。

 近代の戸長・議員としての活動、経営に関わる文書もあり高槻市の調査では総数1万点を越える。発見が1984年以降であったため市史には利用されていない。1992年に高槻市総務部文書課より『摂津国島上郡富田村好田吉右衛門旧蔵文書目録』が公刊されている。

 近世の富田村は寺領・旗本青山領・御料の3つに分かれ、大部分を占める御料には3~4名も庄屋がいたため、富田村と記されていても史料を扱うにあたっては書かれている対象に注意が必要である。例えば戸数人口の書上げに注記がなく、庄屋限りで書き上げられた数字であるのか村全体を示すものなかの注意が必要となる場合がある。

 近世部会の発足時の申合わせでは高槻藩を重点対象としたという経緯もあり、比較的早い段階で調査を行ない、特に願書綴りと役用日記から多くの関係史料をみつけることができた。このうち天保以降の役用日記12冊が整い皮多村や被差別民の動向をよく伝えて貴重であるが、高槻市域では初見史料と指摘されている。近年、当主が文書の解読にとりくみワープロ翻刻されており、皮多関係についても詳細が判明しつつある。

 収集史料では皮多村と垣外小頭―非人番、さらに京都への街道沿いということもあって巡在勧進者(虚無僧・座頭など)とその対応などが主なものである。