調査研究

各種部会・研究会の活動内容や部落問題・人権問題に関する最新の調査データ、研究論文などを紹介します。

Home > 調査・研究 > 大阪の部落史委員会 > 大阪の部落史委員会収集史料
2010.01.19
大阪の部落史委員会収集史料
 

摂津国西成郡木津村文書
(せっつのくににしなりぐんきづむらもんじょ)


 摂津国西成郡木津村は大坂三郷続き村の一つで、村でありながら土地所有や内部構成は町に準じていた。村の概要は残された数点の『村明細帳』などから知られる。延享年間の『御案内手鑑』によると高2600石余、8畝の田成りはあるがすべて畠である。また、約1000軒3400人の大村で、3分の2は借地借家家族であった。村は、東・西・中・岡・新・北西・大道ほかの各町から構成されていた。元禄11(1698)年難波村にあった渡辺村の移転先として木津村が決定され、曲折を含みながら実行される。すでに刊行されている『摂津役人村文書』とともに渡辺村に関する貴重な史料群である。

 現在文書は三ヵ所四種類に分かれている。

  1. 立命館大学 敗戦まもない頃、同学教授奈良本辰也を介して旧日本史研究室に収蔵され早くに「摂津木津村文書」として上田正昭が紹介した(『部落問題』第18号~20号 1950~51年)文書を含む。その全体は近年「史料目録 摂津国西成郡木津村文書」「同補遺」(『立命館史学』第17号・19号 1996・98年)で初めて明らかになった。包紙も入れ116点からなる。特徴というべきは第一に渡辺村関係史料が多く含まれていること、第二にほぼ一紙文書が占め、同時に年代の早い時期の史料がまとまっていること、である。このことは、ある段階で木津村文書の中から抽出・選択されたことをうかがわせる。

  2. 大阪人権博物館 大阪市立大国小学校に保管されていたものが館の設立準備過程で移管された。2002年館が作成した仮目録によれば1100点の文書数になる。私的文書をほとんど含まないことから木津村伝来の村有文書であると考えられる。その特徴の第一は、土地・貢租関係が6割を超え、なかでも年貢免状・皆済目録が元和元(1615)年から明治4(1871)年まで網羅されていることである。第二はこれを村有文書群と考えると、宗門改帳や人口書上などの戸口史料や農業・産業に関わる文書をほとんど含まず、また役用日記や、触や達を書留めた御用帳など代々の庄屋が伝えるべき記録類も全く含まないことである。土地・年貢・国役堤以外の狭義の渡辺村関係史料は100点余である。なお館に長く常設展示されてきた明治2年近傍絵図など渡辺村に関わる絵図10舗余が含まれる。

  3. 大阪市史編纂所A 編纂所が作成した目録では整理番号は21となっているが一括されたものもあり、総計で60点近い文書数になる。特徴として整理番号の半数が近代文書であること、近世分でも14点の書冊を含むように冊子が多いこと、近世分の大半が渡辺村関係史料であり表紙等に「穢多」称の表記があることなどがあげられる。渡辺村の移転に際して木津村民から土地を召上げ代替地を与えるための基礎史料である元禄14年『穢多村所替屋鋪地反畝分米員数帳』(『大阪の部落史』第一巻近世1の史料45)などを含む。

  4. 大阪市史編纂所B 目録では整理番号89、文書点数では150点になる。すべて近世文書であること、半数余が渡辺村関連史料であることが特徴として上げられる。渡辺村民はかなりの木津村地を所持した。したがって年貢割掛などの必要から、所有者名義が変更になるごとに渡辺村から木津村庄屋に宛てて通知する必要が生じる。そのまとまった一札がここに含まれる。これによって従来ほとんど不明であった渡辺村の親子・姻戚関係の一端が明らかになる。

 なおA・Bの区分は編纂所目録に従っている。