「本願寺文書」といえば、東京大学史料編纂所・京都大学に所蔵されている影写本や千葉乗隆・北西弘編『本願寺文書』(柏書房 1976年)を示すことがあるが、本史料集に収録した本願寺文書は、浄土真宗本願寺派本願寺(通称、西本願寺。以下、本願寺)に伝来した中世より近代にいたる数万点規模の史料群である。しかし史料収集作業においてそのすべてを閲覧できたわけではない。本史料集に関係する差別関係の文書は、近世の特別の宗務機関によって個別に作成され、それとしてまとまって伝来しているわけではない。
近世の本願寺には皮多村の寺院に関する寺務だけを担当するような宗務機関は存在しない。一般的な寺務処理過程で作成された史料群のなかから抽出する必要のある状態で伝来している。史料群の所蔵先は、本願寺・龍谷大学大宮図書館にわかれており、本願寺所蔵分のうち、近世を中心に戦国末から近代初期にかけての文書・記録の多くは本願寺史料研究所(設置場所は龍谷大学大宮図書館であるが、本願寺の研究機関)に保管されいる。たとえば『大阪の部落史』第一巻中世に収録された史料173の所蔵先は龍谷大学大宮図書館蔵であるが、本願寺文書の一部である。近世1の史料82から85の場合は、収蔵されている場所が本願寺と本願寺史料研究所にわかれている。ただし本史料集では一括して本願寺文書として扱っているため、原本確認の場合には所蔵・保管先の確認が必要となる。
『大阪の部落史』第二巻以降に収録する史料(基本的に本願寺史料研究所が保管)は、「諸国記」と通称される記録群からの抽出史料を中心に構成している。「諸国所々江遣書状留」は、本願寺から諸国に散在していた本願寺の出先寺院である御坊の輪番や有力末寺に、本願寺の坊官・家老衆から発給された書状を、以後の寺務処理の前例として蓄積された記録群で、寛文11(1671)年から安永7(1778)年にいたる36冊が現存する。本願寺の長御殿が作成した「大坂堺書状留」は、大坂地域の御坊・末寺と坊官・家老衆の往復書状集で、欠本を挟みながら正徳4(1714)年から嘉永3(1850)年にいたる122冊が現存している。
同じく本史料集に関係する長御殿「和泉国諸記」「河内国諸記」「摂津国諸記」「山城国諸記」(概ね安永7年より)が38冊、文化2(1805)年より大坂より分冊され独立した「堺諸記」19冊が現存している。この他に天保3(1832)年より明治4(1871)年にかけて留役所によって作成された「諸国記」が、大坂・堺・和泉・河内・摂津・山城の各国毎に現存し、その分量は380冊ほどに及ぶ。近世3では、この留役所の「諸国記」より抽出した関係史料が中心となる。