地域教育の衰退は、子どもと大人とのふれあいを貧困化させた。戦後社会の帰結としての「閉じられた家庭」と「閉じられた学校」の状況下で、子どもの生活世界は断片化し、生活経験はつながらなくなっている。「公」感覚(世間体、公共性)は衰退し、子どもにとってもっとも恐れるものは、自分の親の愛情撤退であるというようになった。
親子双方のもたれあいの世界で「公」感覚をなくしてしまった子どもにとって、教師の権威は恐れるに足るものではなくなってしまった。戦後50年、「自立から孤立」の時代の中で、学校も含めて地域の教育改革をどうしていくのかがいま問われている。
1971年に、イギリスのM.F.D.ヤングは、学校教育の4つの特徴を指摘した。第1に、話し言葉よりも書き言葉を重視すること。第2にその抽象性。第3に、関連性を欠いた教科という枠組みの中で知識が伝達されること。第四に個人本意、ということである。これは、ピアジェの発達論に基づいている。ピアジェは、頭の中で抽象的で論理的な思考ができ「形式的操作」ができる人間を高度な発達を示していると考えた。
しかし、それに対して、ネオ・ヴィゴツキー学派、人工知能の研究から発展した認知理論に現在注目すべきである。ヴィゴツキーの発達論の基本姿勢は、集団的・文化的過程が個人の思考の発生に先行するということであり、集団の文化が個人の思考の基礎になるという発想は、認知理論と通じるものである。これらの流れを受け継ぎつつ注目すべき学習理論を展開しているL.B.レズニックは、1987年に学校外学習の特徴について学校学習と対比し次の様に述べた。
学校学習での「個人的認知」に対して、学校外学習では「集合的(共有的)認知」。「純粋な思考活動」に対して、「道具の操作」。「シンボル操作」に対して、「具体的文脈の中での理由付け」。「一般化された学習」に対しての「領域限定的有能さ」である。レズニックが学校外学習の特徴としているのは、いずれもピアジェが軽視したものである。彼女の頭の中にあったのは、学校外学習の典型例としての“徒弟制”であった。
「コミュニティー」という言葉は定義するのが難しいが、私は「人の生き方と出会う場」と定義しようと思う。「開かれた学校」ということが言われているが、学校こそが、地域での子どもと大人のつながりを再構築するための架け橋となるべきである。また、そのことが学校教育の再生をもたらすのである。そういった意味で、総合的学習をどう位置づけるかは、大きな課題であるといえよう。子どもの生活世界を断片化する家庭、学校、地域の分業論ではなく、協働論に立った教育観が今求められているのである。
「子育て支援」の観点から、同和保育の来し方行く末を考えてみる。
大阪において70年代半ばまでに確立した同和保育の体制は、事実上の「保育一元化」であり保護者の就労を最大限に保障するものであったが、同和保育の枠内にとどまるものであった。当時の同和保育の第1の課題は、「劣悪な環境から乳幼児を守る」ことにあり保育所の子育てのある種「代行」であったといえる。
現在の子育てを巡る問題を家庭において見れば、「子育て」が成人教育の課題として位置づかなかったこと。また地域にかつて見られたインフォーマルな子育て支援システム(親類縁者による援助や、地域の異年齢子ども集団の存在等)の衰退による地域共同体の活力の低下。部落内に根強い子育てを巡る性別役割分担の問題等が挙げられる。保育所においては、「集団保育」の効果に関する実証研究が非常に少ないこと。
2つ目は小学校の連携の問題がある。保育所には、「早期教育」の弊害を警戒するあまり就学準備そのものを否定的にとらえる傾向があり、「くぐらせ期」という例外はあるが、就学前の保育内容に「くぐらせ期」を導入する試みは、意識的には殆ど行われてこなかった。しかし、「学級崩壊」や「小一プロブレム」等の現状は、このような事態に転機を迫っている。
同和行政、児童・家庭福祉行政の転換、同和地区の子育て・子育ち環境の変化等、変化の波の中で、大阪で行われた保育実態調査(85年、96年)の結果を見ると、保護者の生活意識や子育て意識においては地区内外に大きな差がないにも関わらず、抽象的概念の表現理解、生活リズムの確立の問題、自己コントロールの弱さなど、同和地区の子どもたちの育ちに関して様々な問題が浮かび上がってきている。そしてこのような問題は同和地区の子どもに一律に見られるのではなく、成長・発達の個人差がかなり大きく、地区内における階層分化や保護者の生活意識の多様化の影響を感じさせる。
同和地区の子育て支援について今後を考えるとき、社会全体の子育て環境の状況の深刻化を見れば、「一般地区に追いつく」という格差是正の発想は有効ではない。子育て支援の潜在的ニーズは、同和地区外でも非常に大きいはずである。現在進行形のそれぞれの個々の子育て支援を円滑に進めるためには、自治体レベルで教育行政と児童福祉行政の壁を取り払った総合的な子育て支援プランが必要である。
また現在の様々な状況を単に「家庭の教育力の低下」ということでくくってしまうのは、底の浅い見方で、保育所保護者会の役割は重要である。個々バラバラに育児不安に陥ってしまっている親同志の仲間づくりの問題は重要な課題である。
また子育て困難層に対するケースワークを考えるとき、大きな子育て困難を抱えた家庭がどこからも支援を受けられないという問題が生じている。一口に子育て支援といっても、その具体的な有り様は多彩である。子育ての当事者意識が希薄な親、過剰なまでの責任意識を持ち、現実と理想の食い違いに押しつぶされそうな親、生活そのものが崩壊している家庭の親。子育て支援のプランづくりと保育所等を拠点とする子育て支援は、その様な多様な現実を踏まえて進めていかねばならない。