「学校を拠点としたお父さんのまちづくり」
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千葉県習志野市秋津という地域からきました。京葉線でディズニーランドをもっと過ぎると幕張メッセというイベントホール等がある場所がありますが、その一つ手前に新習志野という駅があります。そこの校区が秋津という地域です。ちょうど二十年前の1980年に東京湾を埋め立てて出来たいわば新興団地群なんです。
そこの秋津という地域、人口が7500人ほどですが、その地域の真ん中に習志野市立秋津小学校という、習志野市立としては16番目の学校としてできました。そこからやってきました。
私の住んでる秋津地域の生涯学習を進める任意団体として秋津コミュニティというのがちょうど10年前にできて、そこの会長をしています。秋津コミュニティというのは、地域の7500人、そこで働く職員、ま、学校もあるし、保育所もあるし、幼稚園もありますし、公民館も福祉センターもあるわけですが、そういった方々全てを対象に自分の楽しい学びを生涯やりつづけていこうと、それを援助する団体として推進する団体としてつくりました。
PTAや学校の校長さんも職責で副会長になっていますし、まちづくり会議といいまして、いわば町会や自治会を統括する団体もあるわけですが、そこの長も副会長になっています。高齢者関係の団体、子ども会、まおよそ団体として機能しているところはだいたい入っている。そんな団体です。
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それともう一つは秋津小学校という学校が、子どもの数がどんどんへってきたことに伴って出来た余裕教室があるわけですが、その余裕教室四つを私たち秋津コミュニティが借りて、そして鍵を持って朝の九時から夜の九時まで365日使いこなせし運営する、秋津小学校コミュニティルーム運営委員会もありますが、その運営委員長も兼務しています。
で、コミュニティルームというと部屋だけの名称の様に思われるかもしれませんが、部屋四つと学校には敷地がありましたので、その敷地を地域がお借りして、野菜や草花栽培等も出来る「うらの畑」というサークルをつくってですね、敷地でも様々な活動を行っています。
それからもう一つは使われなかった陶芸窯が学校にはありましたので、その窯もお借りしたいということで陶芸同好会という社会教育のサークルを作って学校の施設を使わせていただいています。ですからコミュニティルームというのは、部屋の四つと学校の敷地、それと陶芸窯その三つの機能言います。ちょっとややこしいんですが、まそんな団体で諸活動を行っています。
実は午前中、布忍小の実践を伺っていて、その後の質問がものすごい数だったので、こりゃどうも午後は私の出番どころか、皆さん布忍の話を聞きに来られて終わってしまうんじゃないかとちょっと心配したぐらいです。
で、たまたまあの、学校教育のすばらしい実践のお話をいただいたのと、今度はちょっと頭を切り替えて頂いて学校の持つ機能、有形の機能と実はそこの機能を使いこなすことによって生み出されてくる私たちは無形の機能といってますが、様々な人との交流によって生まれてくるすばらしい機能が学校は本来に持っているんだ。そんなことをビデオを交えながらご紹介したいと思っています。今日の討議資料、この52〜54頁に私がお話する主旨を書いてあります。
この54頁にちょっと暗いんですが写真が写っています。校庭に防災用の井戸を夏休みに地域住民が手掘りで掘ったところ、ドラム缶風呂に入りにくる子どもたちがいます。中にはフルちんの子も。奥がビオトープ。ビオトープというのは、池や田んぼを人工的に作って約420平米ほど、去年の五月に完成したんですが、3年かけて学校は学校教材として、自然観察という目的の教材として全児童が参加してつくりました。
勿論土曜日、日曜日等は地域のおじさんたちが積極的に楽しみながら参画してつくりあげました。つくりあげるとですね、この水どうする、水道の水だけ使うんじゃもったいないじゃないかという雑談のなかから、じゃ井戸も掘ろうということで、去年の夏、延べ13日間かけて46メートルまで掘りまして、水がでるようになりました。
しかし、埋め立てた土地ということもあるのか、塩分が1パーセントほどありまして、残念ながらそのまま田んぼや池には使えません。ただし、ここにありますように学校というところは災害時の避難所です。ですから365日なおかつ一日24時間いつ何があっても地域住民が駆けつけて自分たちの身の安全をはかれる場所にしたいと、そういう施設としても井戸を掘りました。
で掘るというのはただ地域の利益だけではなくて、掘る過程そのものを千葉県伝統の井戸掘り技術で上総掘りというのがあります。現在では電気が普及しましたので廃れてしまいましたが、たまたま地域の中に住んでおられた大野さんという方がアフリカやアジアにいって、電気のないところでも井戸を掘れば衛生面からも大切な水がでるよと、そういう実践をされている方がいらっしゃいました。
その方をリーダーにして素人のおじさんたちが集まっても井戸が掘れたんですね。そして夏休みですから授業ではありません。しかし、子どもたちは見たことのない体験学習を井戸掘りという体験学習を出来るという、そんな素材を学校の中でやろうということでつい最近掘った例です。
そして実はこのドラム缶に入っている子どもは小学校五年生なんですが、このときはまだ、写真の時はパンツをはいています。実はこの子も最後パンツをぬぐんですね。何をいいたいかといいますと、一番向こうで手こぎのポンプを握ってる子はもうすっかりフルちんなんですが、この子は二年生なんです。夏休みに井戸を掘ってる時も遊びに来て後ろにあるビオトープのどろんこ池で遊んで、パンツが泥だらけになって帰って行ったわけですが、それを私たちおじさんが見てた時、「あの子、家に帰ったらきっと泥だらけだからお母さんに怒られるなあ」と、感じました。
すると別なおじさんが「いいじゃん、怒られた方がいいよ」、って。そしたら案の定家に帰って怒られたそうです。でこのお母さんはPTA会長をやってるダンナの連れ合いなんですがその後にお会いしたときに、「どうしたい、亮介、この間泥だらけで帰ったとき」「そりゃ、怒ったわよ」「あそう、その後どうした亮介は」。色々考えて「パンツをぬいで入ればパンツを汚さない、だからこれからはパンツをぬいで入るから!」ってお母さんに言ったっていうんですね。で、僕はこれを聞いて大変嬉しく思いました。
で、たまたまこのときに五人の男の子たちがやってきた日がこの写真の日なんですが、率先してこの亮介がぬぎました。そしたらこのドラム缶に入ってる男の子がですね、五年生の子が「お前パンツぬいでおかしいじゃないか」、と「格好悪いぞ」ていうんですね。ええ、ところが、その後どうするかなあと思いながら見ていましたら亮介の後に二年生、つまり下学年から順番にだんだんパンツぬぐんですね。で、四人までぬいだあと、この子どうするかなあと思ってたらこのあと、最後についに脱ぎました。
でこのことは私のような経験から見るとですね、最初は少数派でいるというのはすごく勇気がいるんですね。でもだんだんだんだん多数派から少数派に転落してくると自分も多数派に入ンなきゃいけないという風な心模様がこの五年生にもあったんじゃないかと。
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今申し上げてるのは地域社会ていうのは、先ほど池田先生がおっしゃってたように多様な人、多様な出身地、多様な文化そういう7500人の秋津の構成メンバーです。ですから全ての人が「学校って大切だよね、地域のへそだよね。学校があるから、子どもがいるから秋津って元気だよね」、そういう場所にならなければおかしいんじゃないかと。いう風に私はこれまでの経験で感じています。
ちょっと数字的に申し上げますと、幼稚園から高校までの現職の教員数が約120万人だそうです。で、対する日本の人口は一億二千万人。つまりたったの1パーセントの先生に今までの教育はお任せしすぎたンじゃないかという風に考えられなくもないなあと、思っています。
それを別の面から見ますと、どうもその1パーセントが99パーセントの様々な経験や知識をお借りして来なかった教育の歴史ではないかと。いう風にも思う様になりました。それからあと一年一ヶ月で学校完全週五日制になります。勿論総合的な学習も本格的に始まるわけですけれども、別の見方をすると、一年一ヶ月しか残ってないと。といいますのは、全ての土曜日が休みになると、これまでの夏休みや冬休みの様な長期休暇も含めると年間で165日分が学校が閉まってる日になってしまうんですね。165日といいますと、年間の45パーセントです。
もう一つ驚く数字を申し上げますが一日八時間労働という前提で考えると学校が開いてる日は200日ですから、年間で1600時間。ところが一年は365日で一日24時間ですから8.760時間。学校が開いてるのは一年間のうちのたったの18パーセントになるんですね。つまり、82パーセントは使われないのかどうか。また避難所として安心なのかどうか。まそんな観点で秋津実践を少しお話したいと思います。
と同時に今日最初にお手を挙げていただいた中で7,8割が現場の先生ということなんですが、先生にもちょっと頭を切り替えていただいてご自宅に戻られたときの自分、つまり地域のおじさんであり、おばさんである自分というのも頭の中に画きながら私の話を聞いていただけたらと思います。
秋津で実際にどんなことをやっているのか、まず一本目のビデオでご紹介したいと思います。
―ビデオー
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学校と学校のカリキュラムの中に保護者や保護者以外の地域の様々な方々が入って来る授業を私たちは融合教育という風に呼んでいます。ちょっと堅苦しくなるんですが、辞書的な融合という意味ではなくて、辞書的には例えばAとBという異質なものを混ぜ合わせるとCという別なものになってしまう。
つまり、Aの原型、Bの原型をなくしてCという新しいものになってしまうと、そんな概念が辞書的には意味づけされてるんですが、私たちはAという目的、つまり学校教育のAという目的とBという地域社会人の生きる歓びのようなものも含めた目的、この両方が同時に果たせてなおかつ場合によってはCという新しい価値も生んでしまうかもしれない、これを融合教育という風に考えています。
そういうカリキュラムが秋津では15ぐらいできています。そのうちの、今見て頂いたのがクラブ活動です。クラブ活動に地域の人が入っていくというのが一番象徴的なものですからよく取り上げられます。
そのほか学校と地域合同の大運動会とか校内音楽会または、高齢者の方に生活科で育てた鈴虫を届けにいくとかですね、または地域の福祉センターのお風呂に入りにいってお爺ちゃんの背中を流す男の子たちの実践とか、外国の方との交流とか、様々にあります。詳しくはこの本にありますので、興味があればどうぞ。
それで今見ていただいた、特に後半に教師の為のパソコン教室というのがありました。実は写っていた方の女性が全員教師です。男性が3〜4人ぐらい写っていましたが全員地域のおじさん、一部保護者。
何をいいたいかといいますと現在の小学校ですね、女性教員の比率が七割強だそうです。秋津小学校も12学級ですが、実際に七割強です。しかも日本の全小中学校の教員の平均年齢が42才。三年前の秋津小学校は47才でした。申し上げたいのは例えば五年生、六年生の男の子がサッカーやりたいと、そういってもサッカーできないんですね。
先ほど申し上げたような一パーセントの方にお任せしてると。でも地域のおじさんや様々なおばさんが入れば全てとはいいませんが、子どものそれなりの要求を満たす事が可能なんだ。つまり、明らかに学校教育が充実するんだと、だから学校を開くことは学校にもメリットがあるんですよと、そういうことをまず申し上げたいと思います。
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現在の教育目標は「ゆとりの中で生きる力の育成を」と、当然ゆとりは時間的なゆとり、精神的なゆとり。これは単に子どもだけではなくてそれを担う教職員にも同じでなければおかしいと思います。たまたまビデオの中には将棋クラブの担当の加藤さんという先生が写っていました。
一人一分ずつ教えるんだったら、一人の教員だったら19分かかる。でもこれだけおじさんがいれば大丈夫だと。しかも今日は強いおじさんとやろう、今回は負けてくれそうなおじさんとやろうとかですね、子どもの主体性に応じてできるんだと、これも大きなスリム化だろうと思います。
これがクラブ活動に入ってったことの一つの例です。ただし大変大きな気づきを行った事がありました。いわば失敗といってもいいかもしれません。それはクラブ活動に大人が関わる様になったのはちょうど八年前の92年度からです。その年度を最後にして生涯学習研究指定校が終わったんですが、90年〜92年と秋津小学校は市から生涯学習の研究指定を受けていました。
で、様々な事を行いましたけれども、その総仕上げとして研究指定が終わったからといってもとの黙阿弥にしないで、その研究成果をもっともっと発展させるように日常的に大人と子どもが関われるものとして何かやろう。それを両方で話し合いながらクラブ活動に入っていただくようにしました。ただし人材活用という発想でした。パソコンの得意なおじさん、子どもたちのパソコンクラブに来て指導していただけませんか。料理の得意なお母さん、料理クラブに参加して子どもたちに指導していただけませんか。
受けた保護者や地域の人は何ら不思議に思いませんでした。当然、学校教育を充実したいが故に能力のある人に来ていただきたいという発想ですから。
ところが二〜三年すると、子どものささやきが聞こえてきました。こっちのおじさんはパソコンが得意だから学校に呼ばれるんだ。こっちのおばちゃんは料理が得意だから学校にいけるんだ。でも僕のお父さんは無能者だからいけないんだ。勿論こんな大きな声で言ったわけではありません。
冒頭に申し上げたように地域社会は7500人の様々な方の生活圏です。つまり学校教育に確かに役立つけれども、一方でずうっと生活し続けるその地域社会の中の一人でも被差別感を持つような授業はおかしいんじゃないかと。
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ということで、当時の学校に率直に話ました。どうしよう。そこで二つの案がでました。一つは名称を変えよう。大人の人はクラブ活動協力員という名称でした。その協力員という一方的に学校教育に協力するというニュアンスはやめようということで、クラブ活動員という名称に変えました。
先ほどのビデオにはクラブ活動員と表示されておりましたね。もう一つは呼びかけ方法を180度転換しました。それまでは先ほど申し上げたように有能なというニュアンスをどうしても含ませるような募集方法でした。それをご自分で学びたいものがあればどうぞお越し下さい。
当時は学校週休二日制もまだ月一回の導入でしたから、年間で35日分ぐらいのクラブ活動日がありました。毎週土曜日行っていますが。それで、年に一回でもいいんですよ。ご自分の都合のつくときだけで結構です。そんな風に間口をぐうっと広げたところ、毎年毎年子どもの数はへるのに、クラブ活動員の大人の数は増える一方なんです。
今年の例では57人が登録しています。12学級で担任が12人しかいないのに、15のクラブが成立しています。当然一人の先生が二つのクラブの顧問になっています。でも、極端に言って名前だけでいいんです。実際に運動や将棋などは地域のおじさんやおばさんがやれるから。
対するクラブ活動に参加している児童数は四年生、五年生、六年生なので190人です。190人を57人で割ると3.3人の児童に大人が一人つくことになる。
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ですから例えば包丁を使うときなどに、一人の先生で四〇人を教えようとすればものすごい大変でしょうけれども、大人のおばちゃんたちが一杯いますから、それぞれのグループの中で普通に包丁使いも学ぶことができます。
これも先生に取っては大きな精神的なスリム化であり、なおかつ授業目標である例えば、包丁を使うというのが目標であれば、その単元は明らかに効率的に達成することができます。そんな力が明らかにあるんですね。
ですから、今までの学校管理規則にあります、学校教育に支障のない限りの学校開放をしましょう、とこういう発想では決して今のような事はうまれてきません。学校教育が充実するが故の学校開放をしましょう。と私たちはこういう風に感じています。そこで今申し上げた学校教育が充実するというのは先ほど申し上げた一年間のうちの200日です。その残る165日とあと学校がしまった夜などは学校教育外なので、地域社会が様々にコミュニティスクールとして使いこなしていいじゃないかというのが、私たちの実践です。
使いこなすとどれだけおじさんたちがいきいきしていくのか。そのおじさんたちの生き生きした姿を背中で見ながら、子どもたちがどうなっていくのか、それを次のビデオで見ていただきたいと思います。冒頭に申し上げますが、このビデオは文部省がお金を出している監修番組です。「親の目、子の目」というちょっと長いんですが、22、3分ですが、楽しく見ていただけると思いますので、そのビデオに移りたいと思います。
―ビデオ−
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東京からわざわざ来ながらビデオに任せっぱなしというちょっと申し訳ない気がしています。今見ていただいた場面には、やらせが一カ所しかありませんで。あの窪田さんという大阪に単身赴任のお父さんが背広のまま校門を入ってくるという。あれはやらせです。―笑い−
ええ、他のは全部とにかくあの、やってることがとっぴというかそのうあの、シャモ鳥の首を〆て食べる様子も、ある人がシャモがあるよ、あ、いいね、食おう、食おう。じゃもって来なよ。ていうかんじでなっちゃう様なところで。ですからあのテレビの人にはとにかくフィルム一杯使うかもしれないけれどもなにとってもいいですからどうぞどうぞ。と。三ヶ月ぐらいかけて作った番組です。
まあ何というか評論家的に言えばあの中に今教育でやろうとしてることが全て入ってそうな気がしています。ま、総合学習ですね。例えば環境の問題を扱おうという場合に、あそこの学校のうらの畑では、当然学校ですから無農薬でやっています。落ち葉を拾ったり、台所の生ゴミを持ってきて堆肥化させてそれを肥料にしています。
そのまま環境循環の学習に役立つでしょう。で、地域の方々は野菜を作ったり花を育てたりしているわけですが、花が咲けば虫がやってきます。虫がやってくると子どもがやってきます。子どもがやってくるとまたおじさんおばさんが元気になっちゃうんですね。こういうことを良いこと循環といっています。
で、その最初は自分たちの畑の水をやりに夏休みでもいくわけですが、ふっと横見ると子どもの花壇の、夏休みですから、子どもの花壇の水がどうも枯れかかってると。じゃあ子どもの花壇の水揚げもしようと、いう風に当然なってっちゃうんです。飼育小屋も作りっぱなしじゃなくてコミュニティルームの所に餌を夏休みおいといてくれれば当番の子どもが来ればおじさんも一緒に餌やりにいこうとか。
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つまり先生は休んでて下さい。先生は権利としての休みをしっかりとって鋭気を養ってそして本当の、本来の仕事である学問をしっかり伝承してください。という風になります。
そんな風にしながら現在レジュメの冒頭に書きましたが四年間連続不登校児がゼロになっています。子どもたちにどうだいと聞くと学校が楽しいと言います。何が楽しいのってきくと、クラブ活動でおじさんたちとできるのが楽しいとか、また飼育小屋で世話出来るのが楽しい、どろんこ池で遊ぶのが楽しい、井戸が楽しいとか、様々に学校と地域の人たちが力を合わせて自分の楽しみとして、作ってきたものやまたは関わり合う授業の中を通して子どもたちは学校に行きたい、楽しいというふうに言ってくれます。
考えたら、地域の願いっていうのはたったの一つで、義務教育であるならば全ての子どもが朝全員、「いってきまあす。」という大きな声が鳴り響く学校であってほしい。そしてそれを支えられる地域でありたい。その抽象的な地域じゃなくてそこを構成する一人ひとりの私が自分の生き様に責任を負いながら、そして笑顔の絶えない地域社会にしていきたい。そのど真ん中に学校があるじゃないか。
様々な問題があることもそれはそれで承知です。しかし、学校があるじゃないか。地域の宝の子どもが通う学校があるじゃないか。その学校がつまらないわけがない。それを楽しく子どもたちが生き生き出来るところにするのは全ての大人の責任なのだ、と思います。
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学校に関係ない大人はいないと思います。将棋をしにくる定年後のおじいちゃんも楽しくてきます。ビデオには写っておりませんがコミュニティルームのサークルは現在41になりました。
その中に大正琴のおばあちゃんのサークルもあります。現在は二年生の生活科の授業に取り入れられて子どもと一緒に大正琴を弾きます。年に一回の校内音楽会にもこういう体育館の舞台にお揃いのドレスを着て子どもたちに演奏します。少子高齢化社会というととかく暗く語られます。しかしあのおばあちゃんや将棋のおじいちゃんたちは、自分の足で学校に通ってきます。だからあるおばあちゃんが言いました。「血圧が安定してきたので最近薬を飲まなくなったのよ」朝早く病院にいって半日待って薬もらうよりも学校に行って子どもの笑顔の薬をもらった方がどんなにいいか。
おそらく要介護者がひょっとして少ない地域になるかもしれません。日本で一番一人あたりの医療費が安いまちになるかもしれません。そんな夢まで秋津の実践では私たちは画くようになりました。
その真ん中には何度も申し上げますが、やっぱり学校があります。学校があるから学校の授業の中で様々な出会いを作ってくれる。そして学校の有形の施設を地域に開放することによって、無尽蔵といっていいほど、学校教育に還元される素材が地域から飛び込んできます。
先ほど人材活用の話を申し上げましたが、活用ではないから様々な人がやってきます。パソコンクラブにも陶芸クラブにも何人も入ります。最初は素人の人も沢山います。でも二年、三年やり続けていく内にその人もいわば人材になってしまうんですね。これを学校側からもし見ると有能な方を探そうとします。労力は大変です。しかし、生身の人間ですから引っ越したり、場合によればお亡くなりになるかもしれません。そのときに又ゼロから探さなければいけません。または有能な方だからいくら謝礼を払おうかと気にされるかもしれません。
私たちは無償の原則もできました。参画する大人にもメリットがあるので無償があたりまえなのです。また、グループでだんだんできるようになりましたから、人材が自分たちで勝手に育っちゃうんです。先生は学校にいさえすれば、向こうから教育充実素材が転がり込んでくるんです。
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先ほど申し上げたように環境問題の素材もあるし、防災用の井戸もあるし、福祉という点で言えば助け合いもあるし、高齢者の方もいきいきとふれあえるし、学校というところは様々な教育素材の宝庫なんだと。
それを地域と一緒にやっていければ結果的にまちづくりにまでなっていくと、そんな巨大なエネルギーが改めて学校にはあるんだというふうに私は感じています。それを取り持つ人材はやっぱり子どもなんだと。子どもがいるから幸いにも子どもを持てた親同志は勿論のことご自分のお子さんがいない、又ほしいと思っても生まれなかった若い夫婦の方もまたは、高齢者の方もまたはハンディをお持ちの方も全ての方がつながりあうことができる。しかも一人ひとりの笑顔を持ちながらつながり合うことが出来る。
そういうすばらしい可能性を学校はまだまだ持ってるという風に感じています。さらに秋津実践に興味をお持ちの方は、私の書いた『学校を基地にお父さんのまちづくり−元気コミュニティ!秋津』(太郎次郎社)の本をお読みいただきたくお願いします。
どうもありがとうございました。
第15回人権啓発研究集会(2001年2月16日)より
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